第25話 ~恋人としての日常~ 5 萌視点
「健・・・?」
手を止め、鼻歌もやめて、名前を呼ぶ。
気がつけば健の呼吸が変わっていた。
「・・・眠ってしまったのですね」
どうしましょうか・・・? もう15分ほどで午後の授業が始まるのですが、このままこの子を寝かせてあげたい。
今だけは優しい夢を見ていて欲しいとそう願う。
「ただいま・・・って、あら? お邪魔だったかしら?」
「お帰りなさい、静流先生」
「へ~、二人の関係って今はそんな感じなのね」
「そうですね。でも、私はこの距離感は距離感で好きです」
「でも、女としては複雑じゃないかしら? ただただ萌ちゃんが甘やかせる感じでしょ? もたれかかられるだけだと疲れるわよ?」
「普通ならそうなりますね。でも大丈夫です。健だって私を支えてくれていますので」
そう言いながら、また健の頭を撫でていく。そうすると、健の表情があの夜の時と同じように和らいでくれる。その姿に、胸がいいようのない感情に満たされる。
「・・・健」
「あ~、なんというかあれね。今の萌ちゃんの表情から、二人の関係は母と子に近いわね。付き合っているといっても、決して男と女とかじゃないわ。本当にそれでいいの?」
私達の姿を見て、心配そうに先生が言われる。色々と相談ごともされてきているので、先生は異性の関係にも長けていらっしゃる。
「ええ、構いません。なにせ誰よりも近くで、健が素敵な男性へと成長していく姿を見られるんですよ? そう思えば、楽しみな状態ではないでしょうか?」
「あ~・・・こりゃ先生が女として負けたわ」
「こういうのに勝ちも負けもないと思いますよ? ただ、男の子が男性へと育っていく過程をみたいだけですから」
「・・・その考えができる時点で、萌ちゃんって大人よね~」
「だからこそ、誰も私の側には居てくれなかったんですけどね。かわいげも、面白みもないので、すぐに人に飽きられました」
「萌ちゃん、それは・・・・」
私の言葉に、先生が感情を曇らせてしまう。先生のような方々は、どうも本人以上に事態を重く受け止めてしまうみたいですね。
私のなんて、健に比べればとても優しいんですけどね。
「でも、健だけはこんな私の側に好んで居てくれます。こんな私を好きだと言ってくれました」
あの時は心の底から嬉しかったです。
薄々そういう感情は勘づいていましたが、やはり直接口に出して言って貰えるのは・・・・とても嬉しいものなんですね。それも、ごまかさずに正直に告白してもらえるならば、尚更に・・・ね。
「先生、健はですね・・・とてもいい子なんですよ」
「ん・・・そうね。年齢の割には礼儀正しいし、萌ちゃんと付き合えるということは、萌ちゃんと同じくらいの思考力があるわけよね」
先生が健の顔を覗き込む。そして、少し見て気になることを言われる。
「・・・健君って、もしかして早生まれ? 年齢的には中学生の三年じゃないかしら?」
「ええ、そうなんですよ。健が生まれたのは四月一日で、先月十五歳になったばかりです」
「・・・となると、萌ちゃんの誕生日は確か」
「四月二日ですね。先月十七歳になりました」
「一年生と二年生だけど、実質二歳差・・・。子供の二年は大きいのに、それで今の萌ちゃんと同じくらいの思考力・・・? この子の素質は大したものね。そりゃ萌ちゃんも期待するわけだわ」
先生が改めて健を感心した目で見てくる。でも、私はそれを不愉快に感じてしまう。
「・・・あまり健を大人扱いしないでください。この子はまだ子どもでいいはずなのに、どうしてか早く大人になろうと・・・・・大人にならないといけないと思っていて、子どもとして甘えることを捨てて生きてきたんです。それを周りの人は健を大人扱いするから、ますますこの子は甘えられなくなってしまったんですよ? 先生なら分かりますよね? 甘える時期に甘えることが許されなかった子どもが、どんなに苦しんでいるのかを」
私としては珍しく長々と話をしてしまう。
それに先生が目を丸くされている。ここまで私がムキになると、思っていなかったようですね。
「ふふっ・・・随分健君のことを知っているのね?」
穏やかに笑いながら、先生が興味ありげに尋ねてこられる。
「・・・彼女、ですから」
気づけば止まっていた手を、再び動かし始める。
健の柔らかい髪の感触が、まだ男性ではなく、男の子であることを教えてくれる。
撫でてあげると嬉しそうに顔を変えてくれる。こんなあどけなくて可愛い顔も、いずれは見られなくなるのかと思うと、成長するのが少しだけ残念と感じてしまう。
「そっか。萌ちゃんが健君を大切なことは良く分かったわ。で、どうする?」
「何がですか?」
「このまま午後の授業さぼっちゃう? それなら私が休みの理由適当に書いてあげるわよ」
それはとても魅力的な提案だった。できるなら健をこのまま寝かせてあげたい。でも・・・
「・・・健」
視線を健へと向ける。すやすやと、心安らかに眠っている。きっと、久しぶりにこちらの世界での睡眠を味わっている。
本来なら当たり前であるその光景が、どうしてあの夜の影響で、こうまでかけがえのないものになってしまったのでしょう?
迷ってしまう。私としてはこのまま授業など休んでしまえば良いと思える。でも、健は特待生として授業に出て、結果を求められている。
まだ入学して一月余りで体調を崩してしまうということになれば、今後の健にとって決して良い印象ではない。それは健にとって本意ではないはずです。
「・・・いいえ、起こします」
「それでいいの?」
私の葛藤に、先生が寄り添うように話しかけてこられる。
「ええ、また私の膝で寝かせれば済むだけの話ですので」
そう、ここでなくとも、また別のところで健を寝かせればよいだけのことです。
心苦しくはありますが、健の立場を考えますと、やはり授業を休ませる訳にはいきません。
「健・・・起きて下さい」
優しい時間は、また作ればいいんです。そう自分に言い訳をしながら、私達は授業へと戻っていきました。




