第16話 ~変わる日常~ 9
「これが今回分の方剤です。次回まではこれを使ってくだされ」
先輩が袋に入った薬を受け取り、それをこれまた見事なまでの所作で胸へと抱える。
その動き自体が一つの芸術のように感じる。とにかく何をしても気品があるというか、上品というか・・・・なんでも絵になる人だ。
「それでは家まで送りますので、車に乗ってください。健君も一緒に送るので、共に来てくだされ」
「さ、行きますよ。健」
断ろうと思ったが、先輩に手を引かれてはどうしようもなかった。
俺が先輩の手を振り払うことができるわけがない。
車に乗ると先に先輩を送り、その後に俺という順番になった。それに不満はない。先に先輩が帰って休むべきだと思う。ただ、車が出てすぐに先輩が眠りに落ちるとは思わなかった。
今は俺の肩にもたれかかった先輩が、安らかな寝息を立てていた。
「すー、すー・・・・」
整った顔立ち、長くて綺麗なまつ毛、ふわふわで柔らかな髪、自分とは違った芳香さ、艶やかな唇、ほっそりとした首筋、豊かな胸が呼吸に合わせて上下する。
華奢だけど女性として完成された身体。生きる美術品といっても過言ではない女性が、今俺に寄りかかっている。
「普段は気丈に起きているんじゃが、お主がいるおかげで落ち着けるんじゃろうな。じゃが、変な気を起こすでないぞ?」
「安心してください。あまりにも綺麗すぎると、そういう感情は沸いてこないですから」
「・・・その若さでそういった悟りはどうかと思うがのう」
「まあ、どきどきしないと言えば嘘ですけどね」
「それくらいなら健全じゃよ」
「それより先生・・・萌先輩の身体って、かなり弱いんですよね?」
先輩が寝ているからこそ聞ける。熟睡している今なら、家に着くまでは大丈夫だろう。
「・・・そうじゃのう。分かりやすく言えば、子供を産めるかどうかというレベルじゃのう。二年生に進級するまでは落ち着いていたんじゃが、ここ最近はどうも体調を崩されておる」
夜の世界のせいだ。あれのせいで先輩の身体に負担がきているんだ。
夜の世界のおかげで先輩に会えてよかった。そう思っていた自分を殴ってやりたい気分だ。
先輩に負担を強いている世界なのに、なにを自分勝手に喜んでいたのやら・・・・・自分自身に反吐が出る。
「じゃからのう・・・・お主にはお願いがあるんじゃ」
「お願い? なんですか?」
「萌お嬢さんを独りにせず、側にいてやって欲しいんじゃ。小さなころからお嬢さんは聡明過ぎたせいで、周囲と上手く合わせられず、いつも一人で過ごされていた。話し相手と言えばいつもわしら大人で、年の近い子供との触れあいなどはなかった・・・・どうしても合わなかったんじゃ」
そうだろうな。一見先輩は人を惹きつける魅力に溢れているが、色々と次元が違っているせいで、考えを理解できない時がある。理解できないことをヒトは嫌がる。理解できなければ遠ざけようとする。関わろうとしないし、関わりたいとも思わない。そこを非難する権利は誰にも無い。
俺だって、あの世界で先輩と出会わなければきっと同じことをしていたのかもしれない・・・・。でも、今はそうじゃない。俺は先輩の側にいたい。先輩を助けたいと思っている。だからこそ、俺が先輩を支えられるようにならないといけない!
「今日、初めて萌お嬢さんの喜んでいる姿を見られた。どうやらお主はお嬢さんを理解しようとしてくれているし、心の底からお嬢さんを慕ってくれているみたいじゃ。そんなお主じゃからこそ頼む。お嬢さんを幸せにしてやってくれ」
「・・・ええ、出来る限りのことを尽くしてそうしてみせます」
今は格好つけのセリフにしか過ぎないが、それでも何も誓えずにいるよりかはましだと思う。
「今は届かなくても、近い未来には必ず届いてみせます」
「・・・その手をずっと掴んで、離れないようにいてくだされ」
先生に言われて手を見ると、気づかないうちに俺は先輩の手を握りしめていた。
「・・・・んっ」
慌てて離そうとすると、先輩が握り返してきた。こうなるともう家に着くまではこの状態でいないといけないな・・・・
「・・・・・」
「・・・・・」
先輩とのそんな格好を見て、老医師は家に着くまで話しかけてくることはなかった。
言葉のない空間の中、俺は先輩の温もりと柔らかさに癒されながらも、その儚さにどこか心が苦しかった。ただただ、先輩が救われる世界が欲しいと思った。
「・・・・っ!」
先輩を離さないように、しっかりとその手を掴んだ。その感覚を心に刻み付ける。
自分が守りたいと思ったその存在を忘れないように。その脆さを見失わないように・・・・
そこからは先輩の家に着くと先輩を起こして、その時に嬉しいハプニングがあって、それを藤塚先生にからかわれ、先輩がどことなく慌てたような感じで家へと入っていくのを見届けた。先輩らしくない一連の姿が凄くかわいくて、これがギャップってやつなのかと思った。
俺の方も特に問題なく家へと送って頂き、時間が来るまで授業の予習・復習をして過ごす。それが終わっても少しだけ時間があったので、珍しく昔読んだ漫画を本棚から取り出してみた。
タイトルは『創破神世~暗黒の大地編~』。ソウハシリーズの外伝としての短編漫画。
「これだったよな・・・」
確か『創破神世~ヴィルスの乱~』のもう一人の主人公の男が、もう一人のヒロインと過去に出会っていたとか言う話しだったな。
ぱらぱらとその作品を読み返す。
死の大地を再生の地へと戻すために旅をしていた主人公が、最後の大地で幼いヒロインを助ける。
その娘と触れあっているうちに次第に主人公は感情を思い出す。それだけでなく破れた夢も思いだして、それを叶えるため、ヒロインのためだけに生き続けることを決意した。
大地は無事に回復傾向をみせるも『創破神世~ヴィルスの乱~』での敵が現れる。それは消滅させることに成功するも、蘇る大地に不穏の空気を感じた主人公はそれを調べる為、幼いヒロインを置いてまた旅に出る。
それはただ一人、幼いヒロインが脅えず過ごせる世界を作るために、ただ一人の少女を守るためだけの行為だった。
「これで時間が10年くらい流れた本編に繋がるわけだが・・・・その結末がな~・・・・・・」
本編を思い返すと暗くなる。
いくら作中至高の存在と呼ばれても、結局神である作者には勝てない。そして、案外この世界を作った神様とやらもそういうものなんだろうと思ってしまう。
もしこの漫画のような展開が先輩に起きたら俺は・・・・
「・・・初めて読んだ時『ネウス』は好きじゃなかったけど、今はかなり感情移入してしまうな・・・・・間違いなく俺も『ネウス』と同じ・・・いや、それ以上をするな。そう考えると『ネウス』って偉大なキャラクターだな。俺にはそんなことはできない」
気味の悪い独り言をしながら本を戻し、電気を消して布団に入って夜に備える。
今夜はどうする? 夕方はなんだかんだ先輩と相談することなく過ごしてしまった。
「・・・先輩のことを考えれば、ゆっくりとした方がいいよな」
極論だが、終わりが分からなければ無難に夜を過ごせばいいわけだ。時間が来ればまた朝が来るのなら、リミットまで無事に過ごせる場所にずっといればいい。
ああ、だから先輩は初めからずっと静かな場所をと、言っていたんだ・・・・な・・・・・・・
そこで思考が途切れる。
こうして、先輩のことを知れた一日が終わった。これまでの日常が、仮とはいえ恋人としてのそれに変化して、その状態で再び夜の世界へと旅立つ。




