第15話 ~変わる日常~ 8
褒められているのだろうが、それも別に凄いものでもなんでもない。
「俺には・・・そんな時間がなかっただけですよ」
「・・・そうか、それは大変だったのぅ」
思わず暗くなった声音に、先生が何かを察して短く返事をされた。これだけの情報で感じ取れる辺り、この先生も十分名医ではないのだろうか?
この診察を通して、萌先輩に対する対応を見れば誰だってそう思うだろう。
本人すら気づかない不調を見抜き、それを裏付け、分かりやすく説明して納得させ、その間にも決して暗くなることは言わず、常に明るい未来を見せてくれる。この診察を受けるだけで、心が軽くなることは嫌でもわかる。
ありきたりの言い方をすれば、命に対する尊厳の持ち方を教えられた気分だった。
この光景を見せられると、俺が夜の世界でやっていることとは一体何なのだろう? ただ存在を壊すだけで、そこには何の価値もなく。起きれば不愉快な感覚に苛まれる日々。
俺は・・・何のために生きているのだろう? 特にやりたいことがある訳でも、目指しているものがある訳でもない。
「・・・あまり色々と考える必要はない。といっても、お主のような人にはそれができぬからこそ、葛藤をするわけだ」
「・・・萌先輩にも似たようなことを言われました」
「そうか・・・」
少しだけ間をとって、先生がまた口を開く。
「よいか。『死にたい』は『生きたい』という渇望だということを覚えておけ」
「・・・・っ!」
そんなことあるはずがない!と、そう言ってやりたかった。だが、投げかけられた言葉に反応する心もあった。
生死が表裏一体であるのなら、確かにそういう風になってもおかしくないと、そう納得している自分がいる。
「何より、お主は———」
なおも言葉を続けようとした先生だが、そこに萌先輩が帰ってくる。続きの言葉は飲み込まれ、先輩へと声をかける。
「いつもすみませんな」
「いえ、私にはこれくらいしかできませんから・・・どうぞ」
先生の机にお茶を置く。湯気が出ている熱いそれを、穏やかな表情で飲むその姿は、まるでおじいちゃんといった感じだった。
「健もどうぞ」
「ありがとうございます」
何気なく先輩からお茶を受け取るが、これっていわば手料理に近いのか・・・・?
『先輩』が入れてくれたお茶。別に誰が淹れても特に変わらないと思うが、気分というのはやっかいなものだ。
好きな女性がしてくれたものというだけで、心が浮つくのが分かる。
「お口に合うかどうかわかりませんが・・・・」
椅子に腰かけ、俺へと視線を向けてくる。つまり、早く飲んで欲しいということかな?
「・・・ありがたく頂きます」
熱い茶を火傷しないように啜る。
「・・・? どことなく風味が違う・・・・?」
「そりゃ、お嬢さんですからな。お茶の淹れ方くらい習っておる」
なんだその漫画みたいな話し。というか、先輩は本物のお嬢様ということなのか・・・・
「・・・どうしたのですか?」
「いえ、その・・・・なんというか、俺が先輩を好きなのが身分不相応な気がしてしまって・・・・」
「そんなことを気にするのですか?」
「やっぱりそれに見合うだけの格というか・・・・箔が必要な気がすると思うんですよ。特に先輩のような女性だと・・・・」
「変な所で俗世的と言うか、古いと言うべきか・・・・今のご時世好きならばそれでよいという方向じゃろ? 別に萌お嬢さんの家は、そういうことは気にしないはずじゃろ?」
「そうですね。私は長男ではありませんから、お家的にも健と結ばれる事に問題はありません」
「えっ?! それはつまり・・・・」
「・・・私じゃ嫌ですか?」
そんなことをからかうでもなく、含むでもなく、まっすぐに言ってくる。表情的なものが出ていないのが返って『えっ? 結婚しないの?』的な雰囲気を強くする。
「いやいやっ! 嫌とかそうじゃなくて早すぎますよっ! まだ一月しかお互いの事を知らないのに、そこまで行くのは時期尚早というか・・・・!」
「つまり? お主はお嬢さんを妻にしたいと言うことで良いのか?」
「イエスかノーかで言えば、当然イエスです。って、こんな風に返事するモノでもないでしょうっ?!」
先生の言葉に条件反射として答えてしまう。
俺の反応を見て先生は楽しげに笑っている。対して先輩は、そんな情緒もへったくれもない言葉だというのに、安心したような空気を出していた。
「はっはっはっ! これはいいものを見れた。今日はお嬢さんの初めての表情をたくさん見させてもらえて何よりじゃっ! これはまだ当分死ぬわけにはいかんのうっ!」
笑いながら残りのお茶を飲み干し、すっかりおじいちゃん化した先生が席を立つ。
「それでは方剤を用意してくるので、しばしお待ちくだされ」
今度は先輩と二人きりになる。
「・・・今日は私の我が儘に付き合って頂いて、すみませんでした」
「ちょ、先輩っ! 頭まで下げる必要はないですよっ! 俺は先輩のことを知れてよかったと思っていますし、嬉しかったですよ!」
「・・・本当ですか?」
「本当です」
何も知らずにいたら、俺はこのまま先輩に甘えまくって依存していたと思う。この人は自分で思うほど身体が強くない。むしろ弱い程だということは、先生の顔つきや声で分かった。そんな人を、昨日の夜の世界で消耗させてしまったことに、今更ながら激しい後悔が押し寄せる。
もっと俺が強ければ、先輩の負担にならないで済むのに・・・・・・
「だから、先輩が謝る必要なんてありません」
「・・・ありがとうございます。やっぱり健は優しいですね」
少しだけ先輩の口角が上がり、僅かな微笑みをみせてくれる。それがどことなく儚いのは間違いではないだろう。
「先輩の優しさには及びませんよ」
守りたい。先輩だけは、絶対に守る。
ただ一人こんな自分に優しさをくれた・・・・この人だけは絶対に・・・・・・・
今は支えられてばかりだけど、いつか必ず先輩を支えてみせる。
そう決意を改めたところで先生が部屋へと戻ってくる。




