8 古今との別れ1
八一の顔が近くにあり、口に柔らかいものが重なっていた。いつの間にか屈んでいたらしい。奈央は逃げようと後ろに下がる。しかし、八一が背中に手を回して引き寄せた。味わうように啄まれ、向日葵の少女の赤みが増す。八一は舌を入れて戸惑う彼女を捕らえ、蹂躙をし始める。
ファーストキスが濃いものだとは、奈央も予想しずらいだろう。上手く息ができず、奈央の思考は真っ白になっていく。
やっと唇が離れていく。口についた透明な糸の繋がりも切れた。赤い顔のまま、奈央は彼の胸に寄りかかる。その少女を見て八一は苦笑をする。
「……近付いてやっとわかった。麹葉さん、本当にやってくれたな」
「や、いち……さん」
か細い弱った少女の声が聞こえた。とろんとした顔で酸欠寸前ではぁはぁと息をしながら、上目使いで見つめてくる。八一は彼女に多く喋らせないよう、培ってきた閨のテクニックで奈央を翻弄させた。八一は自嘲して笑って話す。
「勝手でごめん。もう喋るな」
向日葵の少女はビックリしたが嫌ではなかった。だが、色々と言いたい。口を動かしたかったが、出るのは荒々しい息ばかりだ。
「きたか」
八一が空を見つめるていると、人が降りてくる。依乃を片手で抱えた直文だ。合図を受けて、急いで依乃を連れてきたのだろう。
宙から急いで降りて、直文が焦ったように訊ねた。
「八一、どういうことなんだ。なんで、田中ちゃんがここにっ……」
「直文。悪い時間はない。狐ごとお嬢さんを抱えて駿府城の堀の近くにいけ。場所は昨夜教えた通り、あとは狐に戻る年月と日にちを言えばいい」
彼は直文に狐と奈央を託した。
瞬間、ぱらぱら、ごろごろと、山の上から嫌な音がする。
直文は気付いて顔をあげた。予兆だ。土石流が起きる予兆である山鳴りがした。雨が多く土砂崩れが起きやすい大谷崩れで、起ころうとしているのだ。規模はわからないが、八一はどんな術を使ってでも死のうとするだろう。
直文は苦虫を噛む。
「俺に仲間殺しをさせないがために土砂崩れを起こして、事故死として処理させようとしている。……お前これも計算していたんだろ」
「さあ?」
八一はただ微笑みを浮かべる。
直文は予想通り仲間殺しの命を受けていた。だが、八一自身が死地と死因を選んだ。八一は向日葵の少女の頬をさわり、慈しみの瞳を送る。奈央は彼の顔を見る。八一は優しい微笑みを浮かべていた。
今まで見たこと無いような、とても優しい表情。
「消憶」
その言葉が放たれると、奈央の中から抗いにくい眠気が襲ってくる。八一の名前を呼びたかったが、口を動かしても空気に音が伝わらない。
「奈央。未来に帰っても笑っていて。君は笑っていたほうが素敵だから笑ってなよ」
頬を触るのを辞めて、直文に顔を向けた。
「急げ。直文、もう私の術も間に合わない」
狐の真剣な表情に直文は渋い顔をする。が、黙って頷いて八一から離れた。
依乃は離れていく八一と奈央を交互に見て涙ぐむ。納得できぬ別れに依乃は声をあげた。
「直文さんっ。いいんですかっ……!? 奈央ちゃんは、八一さんは、お互いを……!」
「だからこそだ! だからこそ、八一は俺達を未来に帰そうとしているんだよっ! 八一が生きればタイムパラドックスは起きる。……絶対にだ!」
直文は大声をあげた。彼女はびっくりして彼の顔を見る。顔をしかめて、奥歯を噛み締めている。依乃は理解した。直文もまたこの状況を納得いってないのだと。
花火の少女は口を閉じて何も言わない。
瞼が少しずつ閉じられていく最中、奈央は思う。協力者と言う立場がよかったのかどうかを。離れていく八一を見つめながら、遠くから聞こえ音を耳にいれる。一粒の涙を流して、視界を閉じた。
離れていく直文と少女たちを見つめて、八一は振り向く。振り向いた瞬間を狙ったかのように、彼の胸に鋭い爪が刺さる。
八一は刺さった箇所を冷静に見つめる。
背中まで貫通しているらしく滲み出る赤い血を見て、彼は同じ人の血が流れていたのだと何処か安心感を覚えた。刺した人物を見つめる。夜久無だ。八一を刺せたことを狂喜しており、殺せたと思っているのだろう。
[刺せた刺せた刺せた刺せた刺せた刺せた刺せた刺せたさせふごぉ!?]
顔を殴られてよろける。八一は腕を掴んで刺した爪を引き抜いた。夜久無は地面に倒れ、手足に深々と短刀が刺さる。八一が放ったのだ。彼がしゃがんで血を流しながらシニカルに笑う。
「お前、私を殺れたと思っただろう? 残念だが、私達組織の半妖は柔に鍛えられている訳じゃない」
[……っカエセ、狐ヲカエセ……!]
「あっはっはっ、自分で時駆け狐を呼び戻せないのか。なら都合いい。佳宵火」
言霊を吐くと、夜久無の全身が発火し出した。夜久無は悲鳴をあげながら燃える。白銀の炎は夜久無の黒い靄を焼失させていく。雨の中で消えぬ炎を出したあと、八一は地面に腰をつけた。
「……つっかれたー……」
近くに石と土がパラパラと落ちてくる。ここに来る前に柳葉飛刀にはある術をかけていた。土に影響を与える術。夜久無が避けた全ての柳葉飛刀は地面に刺さっている。八一のいる場所は大きな土砂崩れが起きやすいようにしてある。三人が帰還するまでの間、時駆け狐の存在維持に勤めたいからだ。
また夜久無が下手な動きをせぬように、ここで動きを封じ込めて弱らせるためでもある。八一自身、生き埋めになるのは覚悟の上であった。
彼は雫の流す空を見つめる。
変わらずの灰色に面白味の無さをいつも感じるが、今日は違う。胸に抱く思いが違う故に、今日の空に八一はありがたみを抱いている。彼は空を見続けて申し訳なさそうに笑った。
「……お嬢さんには本当に悪いことをしたなぁ。でも、彼処で本音を出さなかった。私も偉い」
空を見るのをやめ、目を閉じる。
「……本当は今生きて約束を果たしたかった。けど、たいむぱらどっくすであの子の帰れる場所は潰しちゃいけない。……ごめんな。お嬢さん」
目を閉じているが故に彼はわからない。だが、音でわかっている。すぐ近くに大きな石と土の流れが来ていることを。わかっていても、彼は穏やかな微笑みを作っていた。
「それじゃあまたな。奈央」
江戸時代。大谷崩れは雨が起こる度、土砂崩れが起きている場所であった。この時代の人々にとっては、大谷崩れは近寄らぬ場所で土砂崩れが起こるのはいつものこと。
だが、歴史に関係の無い死が一つ。誰も知らない死が一つこの時代の大谷崩れであった。




