7 今晩は美狐と情報屋で散歩
話がまとまり、奈央と麹葉に確執が生まれることはなかった。
麹葉の婿狐。この狐がどんな相手なのかを麹葉から聞いた。相手は気狐であるらしく、野狐の次に強いとされる狐の位だ。
麹葉もこの気狐の位に当たるが、神の使いであるため善い狐である。婿狐の性格も聞いた。人に悪戯はするが、過度なことはしない。気が強く、向上心があるようだ。奈央はどんな相手なのかも気になる。八一がかっこよかったらどうすると聞くと、奈央は腕を組んで悩む。麹葉は少女の将来を若干だが心配した。
八一はもう少し情報がほしいと麹葉に頼み、彼女に婿狐の相手の情報を集めてもらう。彼女を呉服屋まで送り、その日のことは終えた。
──あれから三日後。
夜明けと共に鐘の音が六つ聞こえる。
朝方と共に起きる人々もそれなりにいるが、平成の世では夜型の人間もいる。奈央は朝型の人間であるのが救いだろう。彼女は身を起こして蚊帳の中で目覚め、背伸びをした。
朝に大方の仕事を終えて、昼間は涼を取る為に風の通る日陰や水辺にいる。
奈央が驚いたのは、駿府の町では真夏の暑い日に一時的に駿府用水を溢れさせて、道に水を適度に染み込ませるという方法。最初に来たとき、地面が濡れていた理由がわかった。
部屋の中にいる場合は、蚊に刺されぬようにヨモギや杉で煙を焚く。
下女中の三人はある部屋で煙を焚いていた。
充満した煙が無くなると、とよとなるは袖を捲って団扇で風を作る。無論、奈央も団扇を扇いで涼んでいた。じっとりとした暑さだが、未来より暑くないのが救いだ。アスファルトから発する熱の方が彼女には恨めしい。
パタパタと扇いでいると、とよとなるが興味深そうな話をする。
「ねぇ、駿府城の七つの不思議って知ってるかしら? なる」
「耳に入れたことはあるぐらいですよ。とよさんも気になります?」
「やっぱり、徳川の将軍様がいらっしゃった場所だから、色々とそういう噂が流れるのよね」
駿府の七不思議。奈央も耳にしたことがある。
大した内容の七不思議ではないが、不思議なお話としては好きな部類だ。なるが話しかけてくる。
「ねぇ、奈央ちゃんは何か不思議な話を知ってる?」
「えっ、不思議なお話ですか?」
「そう! なんか怖い話でもいいから聞きたいな」
なるにねだられて、奈央はどうしようかと考える。
学校の怪談は時代が違うためか通じない。時代背景に合わせて、話せる怪談はいくつかある。選別した結果、これならば今の時代に合うため怖いだろうと決めた。とよとなるの顔を見て、奈央は話す。
「怖くなかったらすみません。姦姦蛇螺と言うのですが──」
彼女は二人にそれを話した。
この時代は妖怪の存在を信じやすく、また姦姦蛇螺の内容もあって効果抜群だったのは言うまでもない。なるととよの声高な悲鳴は町中に響いた。
──日が沈みかけ、夕食を食べ終えた頃に八一は奈央を訪ねに来た。平成の店とは違い、土間があり帳場がある。客と談笑をして欲しいものを察するために、呉服屋は帳場が広くなっている。
中に入り、声を掛けた。
「こんばんは、八一です。誰かいらっしゃいますか?」
声が聞こえて、奥から番頭がやって来る。青年とも言える見た目で八一の姿を見て、表情を笑顔にした。
「これはこれは八一さん! 何かご用ですか?」
彼は慣れたように帳場の畳の上に座る。
「ああ、奈央お嬢さんに用と、前に頼んでいた幾つかの着物の布についての購入を決めたので、その金を払いに来たんだ」
八一は懐から風呂敷で包まれた物を出して、幾つかの金色の小判を見せる。番頭は喜色満面の笑みを浮かべて、小供に声をかけて奈央を呼び、着物の布を持ってくるように話す。
談笑しているうちに、奈央がやって来た。
「八一さん、こんばんは! どうしました?」
「こんばんは。お嬢さん」
彼女は駆け寄り、八一の近くで正座する。
「麹葉さんが来たから、この後時間あるかな?」
「えっ、麹葉さん、来ているのですか?」
奈央の言葉の後に、店に入ってくる人物がいる。
真っ白な長い髪に美しい簪。口には紅が塗られて、薄くだが化粧が施されている。お淑やかに黒い下駄で歩く。着物も上質なものらしく、麗らかな帯を巻いている。番頭や小供の彼らも見惚れていた。美しい女性は奈央を見て微笑む。
奈央もこの女性に見惚れていたが、見続けてはっとして表情を明るくした。
「麹葉さん。麹葉さんですかっ!?」
「ええ、そうよ。奈央ちゃん」
「そうなのですかっ。こんばんは、いらっしゃいです。麹葉さん、どうやってここに?」
「八一様の案内でここまで来たの」
教える彼。まさか麹葉が変化をしてやってくるとは思わなかった。しかも、美しい。また八一は半妖とはいえ、美形で狐の血を引く。九尾の狐に魅了される理由が何となく奈央はわかった(狐だからと言う理由だけではない気もするが)。
小供が八一の頼んだ布を持ってくる。仕立ては八一の方でやるらしい。幾つかの布を買って彼はお金を渡して、奈央と麹葉を連れて店を出た。
三人は日の暮れる様子を見ながら通りを歩く。八一の買った布は、人通りが少なくなると彼の手から一瞬で消えた。その様子を目の当たりにして、奈央は驚く。
「えっ、布が消えたっ!?」
「おっ、いい反応。私達組織の半妖は何処からともなく出し入れできる入れ物を持っているようなものでね。これは、私達の役職上の特権だな」
便利な術と特権を持っている様子に奈央は羨ましがる。
「いいなぁ。私も組織の半妖になりたいです」
妖怪も退治できて、便利な術を使えて、長生きもできる。人の理想が詰まっているように彼女は思えた。組織の半妖の成り立ちさえ、知らなければ思えること。八一は何も知らぬ少女を見て、足を止めた。
二人が止まると彼は目を伏せる。
「なっていいもんじゃない。君は組織の半妖にはなるな。全部が楽なことばかりじゃない。組織の仕事は嫌なこともしたくないこともする。…………絶対になろうと思うな」
咎めと悲しみが含んでいるように感じた。冗談で言っていいものでないと察して奈央は戸惑う。
「それはその……冗談で………………………………ごめんなさい」
落ち込んで反省する。八一は目を開けて、しゅんと擬音が出るほど落ち込む少女を見た。頭を軽く撫でて、奈央が顔を向けると彼は穏やかに笑っていた。
「気にするな。お嬢さんが気を病むことじゃない」
頭を撫でるのをやめて、八一は歩き出した。奈央は頭を押さえて彼の背を見ている。
彼女の隣に麹葉が来て話す。
「奈央ちゃん。仕方ないわ。貴女は平和な未来から来た人間。多くを知らなくて当然だもの」
「……麹葉さん」
彼女から励ましを受け、麹葉は八一を切なそうに見つめる。
「半妖は妖怪からも人からもあまり良い目で見られていない。私は情報を集めに帰って、彼についても調べてみた。けど、八一様は私達妖狐からあまり良い扱いを受けていない。そもそも、存在しないものとして扱われているわ」
存在していない。
半妖という存在は普通はあり得ない。この時代ならば、普通でないと扱われる。人からの差別もあり得るだろう。奈央は、妖怪の世界にも差別があるとは考えられなかった。
麹葉の話は続く。
「狐に位があるのは、知っているかしら?」
聞かれて、奈央は頷いた。
天狐、空狐、気狐、野狐。最上級は天狐で、狐は尾の本数によって力の強さが決まると聞いた。逆に、狐の尾の数が減ると強くなる説もあるが、有名なのは前者であろう。八一は狐の半妖。麹葉が敬った言い方をする辺り、力強い存在なのだろう。
八一は足を止めて、振り返る。
「天狐、空狐、気狐、野狐。最上級は天狐とされているけど、本当は狐の中にも最も上位の存在がいる。九尾と同じぐらいの三千年以上を生きた天狐は稲成空狐となる……。まあ、同等か同じとされる存在がいるのさ。この天狐以上の神狐は数少ない。俺はその狐のドラ息子なのさ」
遠くからでも聞こえていたらしく、八一は意味深に笑みを浮かべていた。天狐以上の存在がいるとは知らず、教えられて奈央は目を丸くする。少女の反応に、彼は楽しそうに笑っていた。
「あっはっはっ、相変わらず良い表情をするよ、お嬢さん。で、麹葉さんは私の素性を知っちゃったわけか」
八一に目を向けられて、麹葉は頭を下げた。狐の階級は厳しいらしい。彼は背を向けて、顔を見ずに手を振る。
「まあ、そっちも気にしなくていい。稲成空狐からも良いようには思われない。私の現状にも興味ないだろう。何も言わなくて良い」
「……わかりました」
頭を上げて、麹葉は黙る。一瞬だけ八一の闇が垣間見えてしまい、奈央は気になった。




