10 追い求め
澄は寸座駅に降りる。電車の扉は閉まり、彼女を置いて線路を走っていく。浜松市の寸座駅は無人の駅であり、改札などはない。しかし、目の前に広がる浜名湖と町並みは絶景である。
湖は海と繋がっており、近いからか涼しい風の中に潮の香りがかすかにする。気持ちよさに澄は駅にいたくなるが、彼女は首を横に振る。
澄がここに来た目的はある人に会う為だ。
「……ここは、黄泉比良坂……という場所らしいけど……本当にあの黄泉比良坂?」
黄泉比良坂には人気がないが、良からぬ気配が強い。まずどこに向かえばいいのか悩むが、遠くから恐ろしい声が聞こえる。
彼女は気付いて遠くを見た。声の発生源は遠くに見える山を超えた先にある場所。後輩と行くのを約束した浜名湖のガーデンパーク。恐ろしい声が聞こえてきたのは、気のせいではない。澄は嫌な予感がし、逃げたい気持ちが体で現れており、彼女の足が動かなくなっている。
じっとりとした暑さの中で、恐ろしい何かが向かっていると直感する。
「こわい……けど……」
汗を流しながらも、彼女は無人駅の出口を見る。
「行かなきゃならないんだっ!」
澄は地を蹴り上げて駅を出ていった。
道路を走り、鉄道の線路の下にある道路を通り坂を下っていく。目の前のカフェを澄から見て左に曲がる。
彼女はスマホで地図のアプリを出して、近くに東名高速道路があることを知る。スマホをしまい、彼女は海近くの道なりを走り続ける。
風を感じながら、遠くから地鳴りのような音が聞こえた。近づいてくる様な感じはするものの、彼女は危険な物に近付けば会えるとわかっていた。
彼女の抱く気持ちに連動して、足は動いていく。
道なりに走っているうちに、山に近付いた。一旦止まって道を確認する。額の汗を拭って、地図のアプリを開いて確かめた後、近くにある坂の道路を駆け上がっていく。坂の道路を駆け上がり、平坦な道路となり、彼女は道を走り続ける。走っていると近くに東名高速道路が見えた。彼女はガードレールを超えて、ゆっくりと高速道路へと降りていく。
実際に高速道路を人が走るのは危険であり、してはならない。しかし、彼女がいる黄泉比良坂では車は一つも走っておらず、走りたい放題である。
降りて道路の真ん中につくと、彼女は足を止めて膝に手を置く。息は荒く吐き出され、額の汗を拭い、水筒の中にある水を飲む。顔にも疲れが出てきていた。駅まで休まず走ってきたせいで、澄の体力は大幅に削られている。
紫陽花の少女は顔を上げた。
真剣な顔で、誰かに焦がれる気持ちで道路の先を見ていた。
「……っ急げ……急げっ!」
息を整えてから、澄は走り出す。
ガーデンパークに行く道のりは人の足では遠い。
彼女は無我夢中に走り出す。陸地から湖の上に立つ橋の道路に切り替わる。浜名湖橋と呼ばれる道路であり、彼女はその橋を渡り切ろうと走る速度を上げた。
浜名湖橋の真ん中に差し掛かった時。
[ ゴ ハ ン ]
濁った様な声が聞こえた。彼女は気づいて足を止める。遠くから橋を蛇のようにグルグルと巻き付きながら何かが進んでくる。
無数の足と手を器用に使い、それはこちらに来る。
[ゴ ハ ン ゴ ハ ン ゴ ハ ン ゴハンゴハンゴハンごはんごはんごはんご飯ご飯ご飯ご飯!!!]
姿を見せた化け物は、澄を愕然とさせるのに十分。肉塊の化け目の魑魅魍魎。この魑魅魍魎は澄の気配に駆けつけて、食べに来た。
[ゴ ハ ン ゴ ハ ン ゴ ハ ン ご は ん ご は ん ご は ん ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯縺秘」ッ縺秘」ッ縺秘」ッ縺秘」ッ縺秘」ッ縺秘」ッ縺秘」ッ縺秘」ッごっ ゴッ ごぉ ゴォ GO 繧エ繧ゥ繧ゥォォォォォォ──!]
歓喜の雄叫びであろうご飯にやっとありつける喜びであろう。大きな口を開けて白い歯と涎を垂らしながら、飛びかかってくる。
澄は避けようとするも、化け物の方が早く間に合わない。食われると思い、身構えて彼女は目を瞑る。
瞬間、魑魅魍魎の頭上から目に見えない速度で人が現れる。その相手は化け目のの頭に踵落としを決める。化け物道路に叩きつけられると同時に、道路も力に負けて壊れて崩れていく。
「っ!? あっ……!」
澄は一瞬だけ目を開け、落ちようてしてまた目を閉じる
道路の崩落に巻き込まれようとする前に、人が彼女を抱き抱えて湖の上に着水する。
水の中に入るのではなく、地面のように着地をしたのだ。水上を駆け抜けて陸地に入ると、小さな山に入る。
容易に木々を飛び乗り、小さな博物館があるロープウェイの屋上へと降り立つ。屋上にはベルの形をしたオルゴールが置かれている。居る場所はオルゴールのミュージアムだ。澄は屋上で降ろされ、彼女は目を開けた。彼女を助けた人物は背を向けて歩き出そうとしている。
「待って……!」
制止の声をかけても止まろうとしない。澄は眉を潜め、走り出して勢いよく彼を抱き締めた。
「っ!?」
「待ってください! 助けてくれたのならお礼ぐらい言わせてください! 狸さん!」
背後から抱き締められて、彼は身動きもできず戸惑いを見せた。
「ちょっ……!? っ何をするんだっ!」
変化した寺尾茂吉は抱き締めている澄を首を向ける。叱られるのも構わず、澄は怒り始めた。
「離す気がないから、抱きしめているのです!」
「いやいやい、俺を離してくれるだけで充分お釣り来るよ? だから、離してくれませんか。お嬢さん♪」
明るくふざけて笑う彼に遠ざけようとしている思惑を強く感じ、彼女は抱き締める力を強くした。
「それは、君だけのお釣りで、私にも来るものじゃない!」
引こうとしない澄に、茂吉は困惑した。
放す気のない彼女は力を込めて止めようとする。彼女からの束縛からも逃げられるが、彼は力が強く突き放せない。互いに根比べをするが、現状は時間をかけている余裕はなく茂吉が折れる。
「──……っああ、わかった。わかったよっ! 聞いてあげるから、俺から離れて!」
澄は離して、茂吉は対面をする。気不味そうに彼女を見つめ、彼は頭を掻く。
「……なんで、ここにいるのかな。ここは君のような普通の人がいる場所じゃないよ」
ここにやってくる方法はわかっている。茂吉が問いたいのは理由だ。澄が居ていい場所ではなく、安全な場所に早く返したい。ましてや、茂吉自身は彼女の記憶を思い出させる要因。人殺しの記憶を思い出させてしまう為、出会いたくないのだ。
茂吉は自身を知らないと思い込んでいる。しかし、澄は茂吉の抱える事情の一片を聞いていた。きさらぎ駅で対話した内容を思い出しながら、澄は彼の前に立って顔を見る。
「私は普通の人じゃないんです。さっき、普通ではないと自覚しました。……貴方は……君は、私が苦しまないようにしてくれているんだよね?」
茂吉は眼窩を向けて、大きく見開いた。
リアクションからして肯定と受け取り、彼女は話を続ける。
「……私が苦しまないようにしてくれるのは嬉しいよ。嬉しいけど、それで君が苦しむのは良くない。本当なら、その苦しみは私の苦しみで私が抱えなくてはならないもの。……なのに、その全てを君が抱えている。……本当に君が抱えなくてはならないの?」
紫陽花の少女は敬語が抜けていると気付かない。彼に思いをぶつけるのに夢中になっているからだ。
問われる最中、自分の為に来たのだと気付いて茂吉は渋い顔をした。鬼の駅員である彼の先生が、真実の一部を明かしたのだと。聞かれた質問に、茂吉は躊躇なく縦に振る。
「そうだ。俺が抱えないと、君が普通に生きれない。普通の日常を送れない。君が笑って生きていけなくなる」
真剣に答えられ、澄は複雑な心境だった。今の澄にとっては茂吉は初対面であるが、対面し話して彼女はある思いが湧き上がってくる。心臓が苦しくも熱くなったのか、澄はぎゅっと胸を掴む。涙を溢れさせて、思いを吐き出す。
「なら、私は生きたくない。君が自己犠牲になるなら私は生きたくない!」
言い切った瞬間に、茂吉は言葉を発しなくなった。彼女から、自分に対する一切の否定が出てこなかったからだ。