5 狸は八変化2
澄は見慣れぬ町並みを見ながら、言い難い不安を抱く。狙われているから不安なのか。ありえない目にあっているからストレスを感じているのか。
「……何が、不安なんだ……私は」
呟いていると、重光が近くにあるコンビニの駐車場で止めてくれていた。葛と真弓。澄が車から降りた。扉が閉じられると、車窓を下げて重光は顔を出す。
「天竜川の駅までの地図を渡してある。いいか? 俺がひきつけている間、早くその子を家に帰せよ」
「念を押されなくてもわかっている」
真剣な葛に、重光は手を挙げた。
「サンキュ。じゃあ、二人共頼んだ」
「待って!」
車窓を閉じる前に、澄が声をかけた。
重光は驚き、目線を向けた。何故止めたのか、澄はわからなかった。重光は何を言うのか、待っている。彼女は何を言いたいのかわからず口を閉じて申し訳なく謝った。
「……ごめんなさい。なんでもありません」
「……そうか。じゃあ、俺は行くぜ」
車窓は閉じられ、車は動き出す。澄は遠くに走っていく車を見つめ続けていた。
「高島さん。彼が敵をひきつけている間、俺達は駅へ向かいましょう」
葛から声がかかり、振り返る。
「……彼は、大丈夫なの……ですか?」
「大丈夫ですよ。後から、仲間もついていきます。敵に気付かれると厄介だ。今は早く動きましょう」
彼の言う通りである。三人は急いで駅へと向かっていった。
葛は地図を見ながら県道を速歩きで歩いていく。細道で行くよりも、大きな道の方が見通しがいい。物陰から追いかけられても、異変が起きてもすぐに気付く。三人は周囲を警戒しながら線路近くに着いた。地図通りに道なりにそって彼らは歩いていく。
歩いていくうちに、遠くにタクシー広場やバス停が見えて真弓は声を上げた。
「あっ、お兄ちゃん。あそこかな!?」
「多分、そうだな」
少し古い駅舎であり、少し古い平成初期頃の雰囲気がある。
天竜川の駅。新たな駅舎はまだ先の未来に立つ。その駅舎の前に一人の男が立っていた。近づいて行くと、その相手は三人に気付いて手を振る。
「おーい、葛、真弓ちゃん」
サングラスをかけた男性の重光。三人はぼうぜんとして立ち止まり、重光は手を振り続ける。一向に動かない三人をおかしく思った重光は、駆け寄って話しかけた。
「おいおーい、真弓ちゃんと坊や。どうしたんだよ」
「っ! 坊やじゃないって! いや、そんなのどうでもいい」
彼は首を横に振り、重光に尋ねる。
「重光。おまえ、なんで駅前にいるんだよ!? 車で引きつけてくれて囮役を買って出てるんじゃないのか!?」
「はっ? 車で囮……ってなんのことだ? 俺は保護の手伝いしか聞いてないけど……?
狙っているその子をお前が妹と一緒に守って保護して家に返す。その手伝いをしてほしいって、お前がそう話したんじゃないか、葛」
「はっ?」
「はぁ?」
二人は意味がわからないという顔をした。葛は重光が囮役を買って引きつけるという作戦を聞いて手伝った。重光は葛からの保護の協力だけを要請していた。
互いの話を聞いて、真弓は混乱している。
「えっ、えっ? どういうこと? さっきの重光さんは……」
「……えっ? さっき、俺に会ったの? だったら、それ俺じゃないっ!」
驚く彼に、葛も指摘した。
「だったら、お前が会った俺も俺じゃない! これはっ……」
静観していた澄はある答えを導き出していた。
「……恐らく、化かされたんですよ。私達は……」
紫陽花の少女の発言に全員が向く。
先程の重光は、澄の視界にいる重光とは大分異なる。魂の写身とも言われるドッペルゲンガーでもない。そのままの通り、誰かの姿に成りすました誰かに化かされていたのだ。化かされたと答えが出た理由が、澄にはわからない。彼女の中では不安が渦巻くと共に目が次第に潤んでいく。
「誰かが、私達を逃がそうとした手助けをしたとしか思えない。そうでないと、私達を安全にここまで連れて行こうとはしない」
「……えっ、それって狸関係じゃ──……っ!」
真弓ははっとして口を押さえ、澄は目を丸くした。
「──たぬき?」
動物の狸。昔から物語やアニメなどで澄は目にしてきたが、普通に可愛いとしか思えない。しかし、今聞いて言葉に表せない苦しい思いが溢れ出てくる。
それを表すかのように、澄は胸を掴んだ。
車を走らせる。重光ではない男はサングラスをかけ直してハンドルを動かす。
「有料道路を避ける為に、ここを通る人も増えたんだねぇ。いいことなのかな?」
浜名湖を渡る橋をエンジンで走らせていく。浜名湖大橋と呼ばれる場所まで車を走らせており、周囲には湖しかなく逃げ場はない。ここで襲われれば格好の餌食だ。しかし、彼は一人で襲われることが目的であった。目の前の空には多くの鳥が飛ぶ。道路の近くにも車と並走するように飛ぶ。
ハンドルを片手でつかみ、刀印を切った。
「開門」
反対車線に走っていた車が一瞬にして消える。しかし、空の鳥と並走して飛ぶ鳥は消えてはいない。
普通の生き物は、黄泉比良坂の入り口は通れない。サングラスを取ると一瞬にして青々しい葉となって、宙の中へと消えていく。姿は桜の付きのシンプルなTシャツに変わり、髪形も変わる。ヘアバンドをつけた男性に切り替わった。
ポケットから栄養調整食品群を出し器用に口で開けて、一口食べる。
「……さぁて、俺のお仕事でも始めますか」
不敵に笑い、寺尾茂吉は手にしているものを食べていった。