2 隠神刑部によるお世話
母乳から切り替わって離乳食のようなものを作って、言葉が喋れるようになって、部屋や外を駆け回るようになる。また道具を使って、物遊びを覚えたりおままごとをしたり、言葉も流暢に喋れるようになった。
現在、とおるは6歳になる。
着物を着た茂吉は仕事を休んで部屋で絵巻物を読んでいると、廊下からドタドタと走る音が聞こえた。「ああ、いつものだ」と彼は笑って、巻物を巻く。戸の入口からひょっこりと少女が顔を出した。
昔の子供が着るような着物を着ている。嬉しそうに紫陽花の花を思わせる笑顔を浮かべていた。
「茂吉くん、ただいま!」
「おかえり。ほら」
彼が両手に広げる。とおるは嬉しそうに勢いよく飛びついた。
とおるは小さい頃から側にいる茂吉が好きなのだ。それをわかっている茂吉はギュッと抱きしめて少し力を込める。とおるは腕から出ようと身動きするが、茂吉が力を込めているのを知って胸を叩いて怒り始めた。
「もーきーちくん。でーれーなーい!」
「あっはっはっ、ごめんごめん」
両手から彼女を開放したあと、とおるは腕から抜け出して頬を膨らませる。その両手で頬に溜めた空気を出す。もちもちとした頬を茂吉は優しく揉みながら、とおるに聞いた。
「相変わらず、もちもちだなぁ。今日は君のお父さんとお兄さんの道雪殿とのお買い物だったんでしょう? どうだった?」
顔を手から放して、彼女は楽しげに話す。
「楽しかったよ。お父さんとお兄ちゃんのお話も聞けてとても良かったんだ」
「とおる。お父さんとお兄ちゃん、何してるって?」
「お父さんとお兄ちゃん? なんか、わからないけど、よもつのひらさか? そこですむ場所を見つけて、おじさんとおばさんと親戚の皆さんでそこに住むらしいよ。あとね、お父さんとお兄ちゃんが茂吉くんによろしくって」
「ふふっ、そっか。お二人がお元気そうで良かったよ。」
親子仲に問題がなく、彼は安堵した。
茂吉は父親との交流は母が死んでから途切れた。隠神刑部の間で序列の問題が起きているらしく、茂吉は父親のお膝元にあまり顔を出さない。家族と交流がない分、金長の一族と交流があるとおるが仲良くしているのを見て彼はほっとしている。
今日、とおるは父親と兄と共に人の街を散策してきた。とおるの父親の金長とその一族は人の営みを見るのが好きであった。彼ら一族総出で組織に協力しており、半妖の娘であるとおるの存在も門外不出として他の妖怪にも漏らしていない。
膝にとおるが座ってくる。甘えているのだろう。子供は可愛い。だが、中でもとおるが可愛いと思っているあたり、贔屓しているなとしているなと考え、茂吉は仕方がないと表情を柔らかくした。
「もー仕方がないなぁー。とおるは何をしたいの?」
「茂吉くんといっしょにえまきをみたい。まえのつちぐものえまきをお話してくれたのが面白かったから、その続きを聞きたいな」
「……貝合わせとか、おままごととか、あやとりとかも面白いよ?」
昔ながらの女の子遊びのようなものを提案すると、彼女は首を横に振る。
「きのうほかの子とやったよ。でも、きょうは茂吉くんのお話を聞きたいな」
彼女の好みは意外と男寄りだ。他の人よりも茂吉と長く居るせいで、好みが若干男寄りになってしまったのではないか。彼女自身は身内とも交流はあるが男系が多いということもあるだろう。少なからず影響を与えてしまっているのに、茂吉は反省した。
とおるは彼の顔に向けた。
「茂吉くん。きょうはなにをはなすの? なにをおはなしてくれるの?」
首をこてんと横に傾げて聞いてくる。
彼の時間が空いている時、とおるは必ずやってくる。彼の仕事終わりのあとは、気遣ってお茶とお菓子を持ってきてくれた。今日は暇であるためいいが、もっと自分の為にしていいのではと考える。だが、甘えられるのは悪い気がせず、彼は悪戯っ子の笑みを浮かべた。
「じゃあ、今日は俺と一緒においかけっこで遊ぶか!」
「おいかけっこ? いいよ! やろう、茂吉くん!」
茂吉の膝から離れると、彼は木の葉を出す。
「ふっふっ……では、どろん!」
茂吉はわざと煙を立てて変化をした。煙が晴れて、目の前に現れたとおると同い年ぐらいの茂吉であった。目がまん丸くて可愛らしく、着物も子供の服となっている。
茂吉が6歳に変化したのである。彼は両手を腰に当てて自慢げに笑う。
「狸はこんなふうに変化だってできるんだ! 狐は七変化だけど、狸は八変化だからね! この姿なら、こーへーに追いかけっこできるよ」
「すごいー! 私もできるかなっ……!?」
興奮する彼女に茂吉は頷く。
「できるできる! 俺が保証するよ!」
自身を指さして笑い、彼女は期待する目で茂吉を見ていた。茂吉は彼女の手を掴んで、無邪気に笑ってみせた。
「じゃあ、早速おいかけっこしようよ! とーる!」
彼の顔を見て、とおるの頬が赤くなった。彼女は頷いて、大輪の花のように笑う。
縁側から下駄を履いて、二人は庭を走り始めた。とおるが逃げて、茂吉が追いかける。このときの少女は全力で逃げるが、彼は加減していた。子供の姿とはいえ、身体能力まで
落ちているわけではない。
息が切れて、彼女は体力が持たないと感じて方向を転換して庭に走っていく。庭ならば隠れる場所は多い。
近くに木の葉が多い場所がある。とおるは木の葉を巻き上げてその中に入っていく。普通の子供が隠れない場所に隠れる。木の葉隠れの術を使い、木の葉の海の中に隠れた。
幼い頃から彼らは逃げる為の術の遁術を遊びの中で教えられている。茂吉も同じように教えられており、木の葉の多い場所を見る。ただ木の葉の中に隠れるだけでは見破られてしまう。茂吉は狸の半妖であるため、鼻は利く。とおるも系列が違うとはいえ、同じ狸だ。
互いに自分の特性はわかっている。
木の葉の多い場所にくると芳しい匂いが漂う。白檀の香りがして彼は寂しそうに呟く。
「……よくとおるはお香をまとうことが多いからなぁ。まあ、皆と仲良くなれてるのは良いんだけどさ」
お香の匂いは強く、場所もわかってしまうだろう。彼は木の葉の海の中で探すのをやめた。木の葉の海からは匂いが強いが、とおるいない。彼は木の葉の海を越えて木の上を見た。
かなり高い場所の太い木の枝で蹲っているとおるがいた。彼の予想通り太い木の枝にいて、降りられなくなっていた。降りられなくなった猫のようで彼は苦笑する。
「おーい、なんでそこにいるのさ」
「こ……こわくて……お、おりられなく……て」
泣きながら茂吉を見下ろしている。
彼女は木登りをするやんちゃさはあるが、彼女がいる場所まで高く登ったのは初めてなのだ。彼は仕方ないと息をついて、変化を解いた。元の身長に戻り、彼は両手を広げた。
「俺が受け止めてあげるから、降りておいで」
「えっ、えっ、でも……」
とおるは戸惑う。高い所から降りるのは怖いだろう。普通の人間ならばそうだ。しかし、組織の半妖であるならば、木々も容易に降りられなくてはならない。だが、まだとおるは6歳の女の子だ。すぐ降りろと酷く言わない。
安心させようと、茂吉は笑ってみせた。
「だいじょーぶ、大丈夫! 落ちそうになっても俺が受け止めてあげるからさ!」
頼れる笑顔を見て、とおるは勇気が湧いたらしくゆっくりと頷く。少しずつであるが、木の幹を伝って降りる。茂吉は笑みを消して、彼女を見守り続けた。
少しずつ降りていき、茂吉の手が届く範囲になった。とおるは顔を横に向けてほっとし始めるが、その安心が油断となった。手のバランスを崩して後ろから倒れそうになる。少女は目を丸くしたが、茂吉がすぐに動いて両手で抱きしめて受け止めた。
とおるはぽかんとして、茂吉はヒヤヒヤしたらしく余裕がなさそうだ。
「……っあ……いやぁ、危なかった……」
ゆっくりと地面に降ろして、しゃがんで目線を合わせる。頭を撫でながら、茂吉は優しく叱る。
「あのね、元気なのはいいんだ。高い所に登るのもいいよ。けど、自分が怖いと思う場所に登るのは今はやめたほうがいい」
「うん……ごめんなさい……ありがとう……茂吉くん……っ」
ボロボロと涙を流しながら感謝をした。心配をかけてしまった自分の行いを反省していた。
とおるが反省しているのはわかるが、茂吉も自身の監督不注意に反省している。彼女の面倒を見る役目の責任もあるが、とおるに愛着が湧いてきていた。だが、彼女が一人立ちするまでは、茂吉は面倒を見るつもりだ。とおるの謝罪に彼は笑顔で許した。
「いいよ。でも、約束して。あんまり無茶をしないって」
「うん、する……」
涙を拭きながらうなずく彼女に、茂吉は懐から紙の包を出す。
「よーし、約束できる偉い子にはー……こんぺーとーだぁー!」
色とりどりの金平糖が紙の包から開かれ、少女は驚いた。
「わっ! こんぺーとー……!? いいの?」
「いいのいいの! 今朝食糧庫からちょろまかしたからさ! 二人で食べよう!」
金平糖を食糧庫からちょろまかしたと聞いて、とおるはジト目で彼を見つめる。
「……茂吉くん。さすがにそれはよくないよ……」
「だよねー……だから、共犯!」
「わっ……!?」
彼は開いているとおるの口に金平糖を一個放り込んだ。甘くて美味しい金平糖。しかし、ちょろまかしたものであるため、とおるは食べながら茂吉に怒った。怒られながらも茂吉は楽しそうに笑っていた。