1 隠神刑部の半妖と金長の半妖の出会い
茂吉は寺生まれの寺育ち。
彼の母は松山の良い家の武士の娘であったが、訳あって桜花と関わりのある寺に預けられた。そんなある時、僧侶に化けた隠神刑部と恋に落ちて彼を産んだ。
隠神刑部が正体を表したとき、母親は彼を崇めて感謝をした。隠神刑部の名はその名に響いており、その子を成すことに感謝する。またこの子の出産を口外してはならない。この半妖の子は成長したら然るべき場所に預けると告げて、隠神刑部は去っていった。
そして、寺にて茂吉が生まれる。
生まれたときは狸の耳をはやした姿であったが、彼の母親は気味悪がらずに愛を持って育てた。隠神刑部の言葉通り、自分の身内に告げずに育てた。大きくなると彼を寺に預けて、彼女は自分の実家に戻っていった。
母親とも文通し、父親である隠神刑部と会う機会もある。
現代からすれば歪であるとはいえ茂吉は、他の半妖と比べて自分が遥かに恵まれていると自覚していた。また恵まれていない彼らと比べて、若干人らしくはなかった。
当時の直文は、無表情ではあるが一定の優しさはあった。
当時の八一は、父親に対して憎悪を抱いていた。
当時の啄木は、人を冷めた目で見つめていた。
そんな当時の彼は、小さい頃から驚くほどに淡々としていた。
母親の愛はわかるがわかる『だけ』。
父親が遊んではくれるが楽しい『だけ』。目の前にある感情を希薄に感じ、処理していく。客観的に見ている感じだった。
父親に聞くと、自分は周囲よりも化生に近い精神性らしい。それをバレないように、組織に入るまで彼からは笑っているように教えられた。彼は常に笑って笑顔を絶やさぬようにしていた。その癖で彼の笑顔がデフォルトとなってしまった。
5歳で組織に入って以降は素を出していく。
上司が思った以上に厄介で、素を出すのは早かった。八一達とつるんで悪戯を仕掛け先生に叱られたり、多くの知識を得て学習していく。組織の半妖の仕組みを知って不快に思いつつも、彼に転機がやってくる。組織の半妖として生きると決めて、見た目の成長を止めた数十年後。
江戸時代上期。彼が70歳の頃だろうか。組織の上司に呼び出されて部屋に向かうと、狸の耳をはやした赤子を抱えていた。生後六ヶ月ほどだろうか。これには、茂吉もぽかんとするしかない。
「茂吉。この子の面倒を頼むよ。狸の半妖の女の子なんだ」
「唐突に呼び出されて、俺に育児をしろとは何の仕打ちなんですか」
ツッコまざるを得ない。
茂吉にはいつもの笑みもなく、上司に億劫そうに話す。
「そもそも、どこの子なんですか? 俺の知っている狸なんですか?」
「狸の金長殿だ」
金長という名の狸は耳にしたことがある。力が強く人情のある性格だと。彼は話を聞いて頷いて納得した。その狸からも半妖が生まれるとは、将来的に強い存在になるのだろう。哀れだと思っている内に、赤子をいつの間にか抱きかかえさせられていた。
「はっ、ちょ!?」
驚く彼に上司は慌てる。
「ああ、ほら、持ち方が違うぞ……あっ、泣き出した」
「そ、そうじゃなくて……! いや、なんで抱えさせるのですかっ!」
彼は落ちないように慌てて抱きかかえる。落とさないように抱きかかえ方を試行錯誤していると、赤子は泣くのをやめた。茂吉はほっとして上司に尋ねる。
「……訳があるんでしょう? 話してください」
聞かれて、上司は複雑そうに腕を組んだ。
「ああ、今の金長殿の一族はこの子を養えるほどの環境ではないからだ」
上司は簡単に答えを出して経緯を話す。
金長の一族は当時まだ弱く、半妖の子を養えるほどの環境と力はない。隠神刑部のような力ある存在であれば可能であろうが、弱い狸は自分たちの一族を存続させるのに精一杯なのだ。組織の半妖として生まれてきた彼女を本部で育てる話となった。
聞いて、育児を任せる理由を察する。
「あー、なるほど。隠神刑部の半妖がいるからって金長さんに話して、俺に任せようってことになったんですね? ふざけないでくれますか? 貴方か俺以外の人が育てればいいじゃないですか」
にこやかに笑いながら青筋を立てる彼に、上司は豪快に笑う。
「あっはっはっ、だが、私より間違いなくお前の方が適任だぞ? その子を見てみろ」
言われて顔を見ると、じっと彼の顔を見てにこやかに笑い始めた。
あーうーと言葉にならない声を出しながらも、きゃっきゃっと笑う。不器用に抱く彼の親指を小さな手で掴んでおり、彼は目を丸くして震えた。上司に抱かれていたときは笑わなかったが、彼を見て笑って指を掴んでいる。上司よりも茂吉がいいと言っているようだ。
小さくて弱くて、力を入れてしまえば壊してしまいそうな赤子。元々、組織の力持ちの一人として茂吉は数えられているが、か弱い存在を抱き締める力加減に不安がある。母は偉大なり。組織の中で聞いたことがあるが、彼はまさにこの言葉を実感している。
赤子は彼を見て笑っている。無邪気に、穏やかに笑っていた。まだ笑っている様子に茂吉は愕然としていた。
「っ……なんで、まだ笑うの……? 赤子ちゃんが笑うのは……成長のため……でしょう?」
「私では、笑わなかったぞ。赤子の頃はよく人を見る。茂吉がいいんだよ。私よりも、お前がいいんだよ」
上司よりも自分がいい。赤子は笑うのをやめて彼をじっと見続ける。泣かずにずっと見続ける。
何とも言えない感情が溢れ、震えながら茂吉は上司に顔を向けた。
「……俺が……この子の面倒を見るんですか……? 仮定だとしても……本当にできますか……?」
瞬きをして、上司は微笑む。
「最初、赤子の面倒を見る人は不安になるものだ」
上司は茂吉に赤子の名を教えた。
「金長殿から名を預かった。この子の名はとおる。清らかに、濁ることのないように澄透からとった名だそうだ」
「……とおる」
名を呼ぶと、彼女はにこやかに笑って見せた。
言葉通り、濁らない。濁ってはならない笑顔であった。赤ちゃんは可愛いというが、本当に可愛らしく保護欲を掻き立てた。彼の精神性が化生寄りであったとしても、彼女をかわいいと愛しいと思うらしい。
茂吉はなんとも言えない愛しさを感じ、涙目になりかける。
この子の育児を頑張ってみようと考えたときだ。
とおるを取り上げられて、再び上司の腕の中に収まる。茂吉はぽかんとしていたとき、言い忘れたかのように上司は話す。
「教育係をお前に任せるが、育児や生活全般の面倒は私の妻と組織の女性に任せるからな? 別にお前一人で彼女を任せるなんてするわけないだろ。ろ。一人に負担をかけさせるなんて、ふこーへーだし。するのは教育係だけだからな。いやあ、言葉足らずですまないな。はっはっはっ」
と笑う。
明らかに言葉足らずなのはわざとである。先程の一連の流れは彼女の面倒を見させるための確認、もしくはからかい。あるいはその両方だと気付いて、茂吉は表情に出るほど怒りを漏らした。
「──っっ! このくそじょぉしぃぃぃ──!」
部屋に怒鳴り声を響かせて、赤子のとおるを泣かせて上司を笑わせた。
茂吉はとおるの世話に積極的に関わった。
任せられた責任から、彼女を知ろうとしたのだ。
育児に関しては、半分は家族を持った半妖や女性陣に任せている。その半分に関しては茂吉が関わり、毎日のように顔を合わせたり、おしめを変えるぐらいはしていた。ほとんどを仲間に任せてしまうため、その度に土産や詫びの品などを持って行って渡していた。
そんな一年後。
「たったー! とおるがたったーぁ……!」
ある一室で茂吉は涙目で歓喜している。一歳のとおるが机をつかんで立っているのだ。
首がすわり、寝返りが打てて、ハイハイができるようになった頃だ。彼女の世話をしてきた者は立っている様子を見て感動している。
「ああ、やったじゃない! うちの子もこんなふうだったわー。すごいわ。とおるちゃん」
「某の娘や息子、孫たちよりも、少し立つのが早いんじゃないのか? だが、良い! とおるは元気な子になるであろう!」
「むしろ、将来絶対に美人だ。口説きがいがありそうだ」
褒める中に口説くという言葉を聞いて、茂吉は彼らに怒り始めた。
「ちょっとちょっと! 美人なのは確かとして、将来口説こうとするのはやめてくださいよ! 彼女には彼女の好きになった相手がいいんですから」
注意をする彼に、一人の男性が不思議そうに声をかける。
「だが、茂吉。もしとおるがそなたを好きになったらどうするんだ?」
「保勝先生……それはないでしょう。まあでも、あった場合は……どうでしょうね? その時になったら考えます」
こんなに夢中になるとは茂吉は考えなかった。最初は愕然としてやる気もなかったが、今では彼女を立派な人として面倒を見ようと考えていた。
澄透から名を取ってとおる。
彼女は尻もちをつくと泣き出した。大きな泣き声は元気な証拠だ。とおるを優しく抱きとめて、彼は腕の中に抱いて慰める。最初は不慣れであったが、周囲の教えを乞いながらも今ではもう抱き慣れていた。