5 喪失感
休みの期間が終わった。
山野のスパルタを乗り越え、休んだ分の授業の補講を受け、奈央は中間テストに臨んだ。クラス名と名前と番号を書いて、テスト用紙に多くの答えを書いた。まっさらではないものの正答は不明。
テストの日まで、依乃には休み時間に復習を付き合ってもらい、部活の担任に頭を下げて補講を優先させてもらった。彼女なりに頑張って勉強と補講をし、テストに臨んだ。
中間テスト終了日。
帰宅する頃、奈央は机に突っ伏している。中間テストに燃料を傾けて完全燃焼したようだ。魂が昇天しそうな奈央に、依乃は声をかけた。
「な、奈央ちゃん。お疲れ様……」
「……はなびちゃん……お疲れ……」
気力をだいぶ持ってかれたようで元気は少ない。依乃はテストはどうだったと聞こうにも聞ける状態ではない。結果はしばらく先だ。直文は採点で忙しくなるだろう。
「コンビニに行く? 新作のスイーツがあるかもよ」
「……行くぅ……」
通学カバンを持ってゆっくりと立ち上がる。動けるまで気力が回復したようだ。今日は部活のない曜日であり、補講は先生の急用により無くなった。二人は学校を出て、通りを歩いていく。覇気なく歩く奈央の手を引いて依乃は歩いた。
信号のある通りに出て、コンビニが見える。
彼女達は立ち寄って、持ち金でスイーツを買った。
奈央はプリンを買い、依乃はどら焼きを買う。
飲み物も買って、邪魔にならない場所、駿府の公園の堀の近くにある憩いの場のベンチでスイーツを食べる。
付け合せでもらったスプーンで掬い、奈央は口に運ぶ。口の中にあふれる卵のまろやかさと甘味に涙を流す。飲み込んで、天を仰いだ。
「ん~、頑張ったよー……甘いものが染みるよー……」
「そうだね。私も頑張ったから小豆解禁。明日は羊羹とおはぎ、どっちを食べようかなぁ……シベリアもいいなぁ」
「本当に依乃ちゃんはあんこ系が好きだよねー」
「つぶあん、こしあんとかにこだわらないよ!」
二人は笑い合う。テストはあったが、昨日と今日が楽しく感じた。普通の日常であるはずなのに、いつもより楽しく感じている。プリンを食べ終えると、依乃は笑うのをやめて聞いてきた。
「ねぇ、奈央ちゃん。……変なものとか見えてない?」
「変なもの……?」
不思議そうに聞く彼女に首を横にかしげる。テスト勉強やテスト期間で周囲を気にしていなかった。依乃は頷いて話す。
「うん、怪異現象とか幽霊とか見えてないかなって……」
「何を唐突に……──ひっ!?」
戸惑いつつ周囲に目を向け──彼女は声を少し上げる。
今までテストに集中して気付いていなかった。遠くに黒くて顔が大きくねじ曲がったような少年がいる。目も大きく首がホースのように伸びていて、手も足も折り曲がっているような。あっちあっちあっちあっちあっちと言いながら折り曲がった手を先に伸ばしている。
二次元で見るようなものを見てしまった。なんで見えるものが見えているのか。怪異は二人の存在に気づかずに、何処かへ歩いていく。依乃は気付いて話しかけた。
「……もしかして、今異形の子供が見えた?」
「っ!? もしかして……依乃ちゃんも……?」
「うん、きっかけは名前が戻ってきたときから見えたんだけど……普段はこのお守りを持って移動しているから見ることは少ないんだけどね」
依乃は通学のバッグからお守りを出す。それは奈央も貰った直文が拵えたお守りである。効力は間違いなく、身代わりになることも。奈央もバッグからお守りを出した。このお守りがあったから、さっきの怪異に気づかれなかったらしい。
奈央は顔を上げると、依乃の背後に先程の子供がいた。大きな口から涎を垂らして、依乃に手を伸ばしている。
【これちょーだい?】
聞こえてきたおどろおどろしい声に、奈央は顔色を真っ青にして声を上げた。
「はなびちゃん……! 後ろ……!」
名を呼び、依乃は後ろに向こうとする。
一瞬で子供が黄金の焔に焼かれた。
依乃が後ろに向く前に、炎と怪異も消えており小さな蛍が空に向かって昇っていく。子供のいた場所には直文が立っていた。伸ばした手を下ろして、無表情から笑顔に切り替える。
「依乃。田中ちゃん。こんにちは」
「直文さんっ」
依乃は表情を輝かせ、奈央は呆然とした。
相手に悲鳴を上げさせる間もなく、簡単に怪異を倒した。奈央は強いとは聞いていたが、規格外すぎて言葉を失っている。花火の少女の目の前に来ると、直文は注意をし始めた。
「依乃。さっき妖怪に襲われそうだったよ。いくらお守りがあっても絶対に安全じゃないんだから気を抜かない」
「そうだったのですか……? すみません……」
「俺の力があっても、怪我するときはするんだ。次は気を付けるように」
「はい……気をつけます」
彼は落ち込む彼女の頭を優しく撫でる。向日葵少女はやり取りを見て、相変わらず付き合ってないのかと考えた。直文がいるならばちょうどいい。怪異退治ができる彼に恐る恐る尋ねた。
「あ、あの、さっきの化け物は一体何なのですか。久田さん」
「ああ、あれは悪霊が怪異、妖怪になりかけていたものだね。俺達は生成って呼んでいるんだ」
専門的な用語を教えられて、奈央は興味を持つ。ホラーを見るのは好きだが見る専だ。先程のような実体験はしたくない。急に見えるようになったことに、奈央は困惑するが前の夢の話を思い出す。夢で真っ白な狐が見る世界が違うと言っていた気がしたのだ。
誰だったのかわからないが悪い人でない気がして、直文に尋ねた。
「……あの、私、昨日から幽霊なんて見えてなかったのですが……先程急に見えるようになったのです。……夢の中で白くて優しい狐さんが熱が収まったら見える世界が違ってくると……心当たりはありませんか?」
質問の内容に依乃が苦しそうな顔をする。仕方なさそうに直文が口を開いた。
「それは、君を守っている狐の影響だろう。そして、君はある狐に見初められようとしている。時駆け狐ではない、別の狐。その仮面の男に」
「えぇっ!?」
声を上げて、典型的な驚き方をする。依乃は目を見開いて口を開けるが、直文は手のひらを見せて制した。彼は話を続けた。
「考えられるのは、君が行方不明になっている間だ。そこに何かがあったとしか思えない。君が夢で見た白い狐は君を守る善い狐だ。不安にならなくていいよ」
狐に狙われて、狐に守られている。不思議な状況に奈央は理解がしにくかった。だが、自分が不味い状況であるのはわかる。直文が言うのならば間違いはないだろうと彼女は考える。
一年前の夏、夢の中で怪異に襲われており、怪奇現象は依乃の名無し状態で実感している。その時に助けてけれたのは、直文ともう一人。
あれっと奈央は内心で疑問が湧く。もう一人とは誰だったのか。夢の中であった為、思い出せないがカッコイイ人が助けてけれたのは間違いない。向日葵少女は確信する。
直文は奈央に注意をした。
「……前にも言ったと思うけど、稲荷社や稲荷関連の社に近づかない方がいい。仮面の男が現れたら、すぐに逃げるんだ。……俺が言えるのはこれくらい。お守りが身代わりになれるのは一回ぐらいだから、本当に気をつけて。田中ちゃん」
狙われている自覚を今後は持ったほうがいいだろうと、奈央は気を引き締めて頷く。
「わかりました」
手を叩いて、彼は提案をする。
「そうだ。依乃から聞いたんだけど、今日でテストが終わりなんだよね?
呉服町通りにある店でハンバーガーを奢るよ。まあ、二人共知っているお店なんだけど、お疲れ様の意味合いを込めてどうかな?」
「いいんですか? 直文さん」
依乃に頷き、奈央に顔を向けた。奢ってくれる気持ちも嬉しいが、申し訳なさもある。いつもの彼女なら遠慮なく厚意に甘えるが、何故か乗る気にならない。頭を下げて彼女は断った。
「……ごめんなさい。テストが終わったばかりで疲れてしまって……すみません。久田さん」
「……そっか。うん、こっちこそ申し訳ない」
申し訳なさそうに笑う彼に、奈央は再び一礼して依乃に顔を向ける。
「ごめん。はなびちゃん。先に帰るね」
「いいよ、奈央ちゃん。でも、お守りは肌身離さず持っていてね」
「……うん」
「また明日ね」
奈央は頷いて二人に手を振り、駅に向かう道を歩いていった。
堀の前の歩道を歩くも、次第に彼女の歩きは早くなり、奈央は涙を流す。
二人を見て、奈央は羨ましかった。互いに大切な人が近くにいるのが羨ましい。何故羨ましいと思ったのか、理解できなかった。
去っていく友人の背を見つめて、依乃は彼に聞く。
「……直文さん。奈央ちゃんは大丈夫でしょうか。変なものに狙われませんか?」
「妖怪と怪異、悪霊にか? 大丈夫。俺のお守りがある程度田中ちゃんの気配を消すし、身代わりにもなる。けど、まあ」
直文は苦笑して、道路の奥を見つめる。
「……俺のお守りよりも強いのが守ってくれると思う」
道路からは車やバイクの音が聞こえてくる。いつもと変わらぬ日常風景がそこにある。花火の少女は若干不安になりつつも、奈央の背を見つめていた。