9. 天井散歩
無機質な鉄の味を舌に感じて見つめたコンクリート。
あの瞬間は何度も思い出すが、その前に何があったか覚えていない。
その瞬間に自らが生まれた感覚。
生命のはじまりを感じた。
この感覚はなかなか伝わらないだろうなぁ。
生まれる前の記憶は冬までだった。
春と夏の記憶データが抜け落ちているだけなのかもしれないが、
そうは感じない。
なんとく前世なのだ。
コンクリートに居た砂粒の表情はもう思い出せなくなったけど、
あの時の生きたいという感覚は今もよく覚えている。
この世に生まれる子が皆そうであるように生きたいと産声をあげた。
そう、あの瞬間に私は「なまくび」として生を享けた。
それからは全ての体験は新鮮で、まさに生まれて初めての感覚に驚く。
例えば、そう、天井散歩。
私はそう呼んでいるが、何のことかわからないよね?
当たり前だけれども私は一人では動けない。
動かせるものは、脳みそぐらい。
ずっとそこに佇むことしかできない。
「動けなくて同じ部屋にいると飽きるよね?ちょっと散歩に出ようか。」
そんな私を散歩に連れ出してくれる人がいるのだ。
本当に嬉しかった。
どうやら目玉は動かせるのだが、人間は目の動きだけでは見える範囲は極端に狭い。
実は散歩に出ても見えてるのは、天井。
しかし誰も気に留めないが、天井散歩もなかなかに面白い。
間接照明が奥へ導く廊下の天井、賑わいのあるダウンライトの暖かな天井は待合室だろう。
一番開放感がある吹き抜けの天井はガラス張りで日差しが眩しい。
そしてそれらが目まぐるしく流れていくのだ。
とどまる視界に慣れすぎていた脳には流れる視界は刺激的だった。
例えるなら…ジェットコースターのドキドキ感ワクワク感。
クライマックスは縞々の扇形に広がる玄関ホールの天井を通りぬけて、青空へ。
太陽の赤外線が顔をヒリヒリと焼く。
乾いた稲わらの匂いとうろこ雲に秋を感じた。
天井がないということは、こんなにも清々しいことなのか。
しばらくそこに居たかったが駄目だった。
「体温が下がらなくなっちゃうので短い時間でごめんね。」
以前聞いたのだが汗が全く出ないらしく、気化熱での体温調整ができないのだ。
今まで何度も高熱が出たが、その度に冷却のために氷漬けにされる。
これが地獄で、痺れがひどくなり痛みも耐え難くなる。
熱にうなされる方がマシだった。
中にはこんな最悪な思いもあるがそれも含めて、
生まれて初めて体験することの連続なのだ。