クエスト -2-
掲示板を確認すると、依頼が三件貼り出されていた。二つは戦闘クエストだったので、残り一つの非戦闘クエストを読んでみた。
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【クエスト内容】
夕食の配達
【依頼主より】
あー忙しい忙しい!
忙しすぎて料理してる暇が無いから、誰か夕食持ってきて!
牛丼三つね!もちろん生卵も!
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やはり自分は現実世界にいるのではないかと思わざるを得ないほど、平凡な宅配クエストだった。掲示板に依頼を出してる暇があるなら自分で買いに行けるだろうというツッコミは置いておいたとしても、だ。現実世界で、そこかしこを自転車で走って宅配しているサービスを連想してしまう。そして届け先が書いていない。どうやって届けろというのだ。
コージが脱力していると、アームヘルパーに触れてもいないのに、目の前の空間にパネルが開いた。「このクエストを受注しますか?」という文言の下に、「はい」と「いいえ」のボタンがある。ここで「はい」を押せば、依頼を受けたことになるようだ。こき使われているようで何となく気が進まないクエストだが、他は戦闘クエストなので、仕方なく「はい」を押した。
すると、視界の右端に横長の長方形のパネルが現れた。「牛丼屋に行こう!」となっている。NPC(=non player character:プレイヤーが操作しないキャラクターのこと)が言っていたガイドとは、これのことだろう。目的を忘れないように、ご丁寧に注意を促してくれているのだろう。そして、これまたご丁寧に、牛丼屋があると思われる場所の上空に、下向き矢印が出ている。あの矢印に向かっていけば良いようだ。
牛丼屋に着いて、指定された数の牛丼を受け取った。もちろん生卵も。便利なことに、店員から「お代金はいただいております!」と言われ、コージは一円も払わずに済んだ。
店を出ると、ガイドの内容が変わり、「商品を届けよう!」になった。それと同時に、上空の矢印の場所も変わった。とっとと届けてしまおう。コージは早歩きで矢印を目指した。
『夕食持ってきてくれたのね? お礼は振り込んでおくわ。あー忙しい忙しい!』
家から出てきた中年女性は、コージから牛丼の入った袋を奪い去ると、お礼も言わずに戻っていった。殴ってやろうかと思った。飲食店の従業員は、こういう不躾な客も相手にしているのかと考えさせられる。
苛立つコージの視界の中心に、「クエスト完了!」という派手な演出が表示された。客の態度の悪さはいったん胸にしまい、どれくらいの報酬がもらえたのか、メニューのプロフィールを確認した。
所持金――¥1,000
経験値――50
「所持金」と「経験値」の部分が更新されていた。ただのお使いということを考えれば、妥当な金額なのだろうが、なんとも悶々とする報酬だ。そして、報酬以外に経験値が貰えた。セレーネは、経験値が増えるとレベルが上がり、それに伴って体力も上がると言っていた。目下の目標は、人助けクエストをこなしてレベルを上げ、体力を上げることだろう。体力が上がれば、戦闘クエストの受注にヒヨることもない。
思うところはあるが、とりあえず、ゲーム感覚で金を稼げた。それで良しとしよう。コージは自分に言い聞かせ、自宅に戻ることにした。
帰りがけに掲示板を確認してみると、コージが受注したクエストの貼り出しが無くなり、戦闘クエスト二件のみになっていた。時間が経てば貼り出されるようなことをNPCが言っていたので、待っていれば新しい依頼が追加されるのだろう。少なくとも今は受けたい依頼はないので、予定通り帰ることにした。
大通りを自動車が走り、トラックが走る。騒音とともに走り去った後のぬるい空気と排気ガスの臭い。メタバースの中の空間だというのに、視覚や触覚だけでなく、嗅覚や聴覚に伝わる感覚までもが本物のようだ。夢と現実の境が付かなくなりそうなほどの完成度に、改めて驚嘆する。見知った道路に、店舗。信号機の位置や点滅の仕方に至るまで、忠実に再現している。
横断歩道に杖をついた老婆がいた。青信号を渡っているところだが、進みが遅く危なっかしい。左手にぶら下げた買い物袋が重そうで、鈍足に拍車をかけている。大丈夫かと横目で見ながら通り過ぎようとした時、老婆が転んでしまった。
嫌な予感が当たった。荷物が買い物袋から散らばり、老婆はへたり込んでしまっている。追い打ちをかけるように、青信号が点滅し始めた。コージは慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか! 危ないから、一緒に渡りましょう」
転がった荷物を買い物袋に急いで詰め込み、老婆を半ば抱えるように支えて、大急ぎで反対側の道路へと向かった。横断歩道を渡っている最中に赤になってしまったが、何とか轢かれる前に渡りきれた。仮想空間の中だというのに、汗が出た。
老婆に買い物袋を手渡し、息をつく。
『ありがとうねえ、お兄さん、親切にしていただいて。心ばかりだけれど、御礼を送らせていただくから、受け取ってちょうだいね』
何度も深いお辞儀をしてそう言うと、老婆はゆっくりと去っていった。老婆を見送ったコージの視界の中心に、「クエスト完了!」という派手な演出が表示された。
「は!?」
思わず声が出た。今受けているクエストなんて無いのに、なぜ完了の表示が出るのだ。コージの混乱を読み取ったかのように、「ランダムクエストを達成しました! ランダムクエストは自動で発動し、特定の行動を取るとクエスト完了となります。」というガイドが表示された。前もって依頼内容を告知され、自分の意志で受注できる通常のクエストの他にも、今のように突発的に発生するクエストもあるようだ。ただ転んだお婆さんを助けることが、クエストだなんて思わなかった。