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メタバース・プリズン  作者: 篠塚しおん
再スタート
31/68

再スタート ―4―

 ルナにログインした。昨日よりかなり早い時間に来たが、フミトはいるだろうか。待機所にはいないようだ。まだ夕食には早い時間なので、食堂は開いていない。まだ来ていないか。じりじりする気持ちを晴らすためにも、外に出よう。コージは荒野ではなく、街へ向かった。八つ当たりのようにクリーチャーを退治したところで、みじめになるだけだ。今日は手伝いクエストをしよう。


 例の掲示板に向かい、貼り出されている依頼を見る。自警団クエストに、いつもの牛丼クエスト。以前コージが引き受けたタローの散歩クエストも出ていた。一度付き合ったきりだし、タローに会いに行ってみようか。コージは散歩クエストを受注した。


 タローと飼い主の老人が住まう立派な一軒家に行くと、縁台に座った老人と、彼の足元に行儀よく座るタローがいた。コージに気づくと、タローは勢いよく走ってきた。

「タロー、元気にしてたか」

 コージの周りをぐるぐる回っては『ワン!』と尻尾を振る。頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細める。なんとなく、フミトに似ているような気がした。

『兄ちゃん、この間タローを散歩に連れて行ってくれたよな? また行ってくれるのかい?』

「はい。今から散歩に連れて行っても良いですか?」

『もちろんだ。今日は腰が痛むから、散歩は諦めてくれって、さっき言い聞かせてたところだったんだ。よかったな、タロー。今日は散歩に行けないと思って、しょぼくれてたんだ』

 老人はよたよたと玄関に入ると、散歩用の手提げ袋とリードを渡してきた。タローの尻尾の動きが一層激しくなった。

『よろしく頼むよ』

「行ってきます」

 リードを嵌めると、タローはもう我慢できないと言わんばかりに走り出し、コージの方が引っ張られてしまう。

「タロー! 急ぐなって!」


 住宅街を早足で通り抜け、広い並木道に出た。止まって木だの電柱だのにマーキングしまくったかと思えば、突然走り出して、それはもう大はしゃぎだった。途中の公園で水を飲ませて、体中にくっついた草切れやひっつき虫を払ってやると、タローは嬉しそうに尻尾を振った。今回も満足いくまでタローに付き合ってやっていたら、家に着くころには夕暮れになってしまった。

『また長いこと付き合ってくれたなあ。タローも満足気な顔してら。ありがとうよ』

「いえ。遅くなってしまってすみません」

『タローのわがままに付き合ってくれたんだろう? 感謝してるよ。時間があったら、お茶の一杯も飲んでいきなよ。兄さんは何も飲んでないだろう?』

 老人の仰る通り、コージは喉がカラカラだった。お邪魔するには失礼な時間帯になってしまってはいるが、タローも「入らないの?」という感じで見つめてくるので、お言葉に甘えることにした。さすがに居間にまで上がり込むのは気が引けたので、縁台にお邪魔した。


 緑に溢れた庭を眺めていると、老人が温かいお茶を淹れて持ってきてくれた。礼を言って口に含むと、懐かしい風味と甘みが広がった。

「おいしいです」

『そりゃよかった。家内ほどうまくはいかないが、儂でもやりゃできるもんだな。お客さんが来たら、儂しか茶を出してやれる人がいないんだから、自分でやるしかないだろう? 最初は茶っ葉がどこにあるのかも分からんで途方に暮れたが、家内はどうやってたっけなあと思い返しながら真似したら、そのうち何とかできたんだよ』

 前回の依頼の時に、彼の奥さんは亡くなったと聞いた。老人を心配した客が来ると言っていたから、お茶淹れも慣れたのだろう。他愛もない話をしている間、タローはコージの足元でずっと座っていた。

 煎餅を勧められて、ありがたくいただく。一枚食べきって、お茶と一緒に嚥下した。すると、唐突に老人が口を開いた。


『何かあったのかい?』


 コージは驚いて横を見ると、老人がじっと見ていた。足元のタローも、じっとコージを見ていた。

『タローは、お客さんが来ている時は、儂の傍にいるんだ。呼ばれて近寄ることはあっても、頭を撫でてもらったら、また儂のとこに戻ってくるんだ』

 コージが縁台に座ってから、タローが離れることはなかった。お茶菓子を挟んで隣に老人が座っても、彼の傍には行かなかった。

『儂の傍に来ないでお客さんのとこにいるときは、だいたいお客さんが何か悩み事してる時なんだ。首吊っていなくなっちまった人もいた。死なないまでも、来なくなっちまった人もいてな。儂の思い過ごしならいいが、何かあるなら話してみな。年寄りに話しても仕方ないだろうが、愚痴を言うだけでも気分が楽になるぞ』

「……敵わないな。タローにもおじいさんにも」

 タローの頭を撫でてやっても、相変わらずじっと見ていた。ごまかすな、と言われている気がした。


「実は、仕事のことで揉めちゃって。一つ一つは大事じゃないんですけど、これまで積もりに積もった不満が爆発して、辞めるって言っちゃったんです。別に今の仕事には未練はないけど、次どうしようとか、また同じことの繰り返しなんじゃないかとか、不安ばっかり過るんです」

 老人は相槌を打つだけで、何も言わずに聞いてくれている。それに甘えて、抱えていた感情をどこまでも吐き出してしまう。

「大学行ってた頃まで戻りたいなって思うんです。就職活動の会社選びに失敗していなかったら、未来は全然違っていたかもって。初っ端の就職で失敗しちゃうと、いくらその後巻き返そうと頑張っても、なかなか受け入れてもらえないから。そんなのは言い訳だろう、努力が足りないんだろうって言われたこともあるけど、これでも頑張ったんですよ。でも、いくら頑張っても、都合よくこき使われるだけだったんです」

 何を言っているんだろう。老人と犬相手に。NPC相手に。頭の片隅ではそう思っても、一度吐き出し始めた言葉は止められなかった。

「昔には戻れないし、頑張りが報われないなら未来にも期待できない。もう、諦めるしかないんだなって思ったら、何だかやる気が無くなっちゃいました」

 静かな怒りと諦めの感情。過去への後悔と未来への失望。誰にも言えなかった本音を全て吐き出した。頭を撫でてやっていたタローが、ようやく目を細めた。老人は杖を頼りに立ち上がると、コージの頭に手を乗せた。


『頑張ったな』


 コージが驚いて見上げると、皺だらけの顔を余計に皺くちゃにした老人がいた。

『でかくなると、褒めてくれる奴がいなくなるもんな。会社のことは分からんが、タローのことを一生懸命に面倒見てくれたことは知っとる』

 コージは皺くちゃの顔をずっと見ていられず、下を向く。

『仕事はどうにもしてやれんが、もし住む場所に困ったらここに住んじまったらいいさ。住む場所だけありゃ何とかなる。家内がいなくなっちまったけど、いろんな人の手を借りて儂は何とかやれとる。全部ひとりでやろうと思うな』

 目頭が熱くなってきた。

『でかくなって、しかも男に生まれちまうと、何でもかんでも背負わされちまうよな。だけど甘えたっていいんだ。でかくたって、男だって、ただの人間なんだ。一人で無理なら頼ったらいいんだ。たまには他人に頑張らせちまえ』

 耐えられそうにない。

『頑張ったな』

 二度目のその言葉で、限界だった。コージの膝にぽつぽつと染みができていく。タローの顔が滲む。嗚咽が漏れる。老人はずっと頭を撫でてくれた。タローはコージの手の甲を舐めてくれた。この時の感情も、頬を伝った温かい感触も、老人の手も、タローの舌も、紛れもない本物だと感じた。


 屯所に戻ると丁度フミトが魔法陣に現れたところだったが、詫びを言ってこの日の活動は無しにしてもらった。その代わりに翌々日からは朝から冒険することを約束し、コージはログアウトした。


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