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メタバース・プリズン  作者: 篠塚しおん
プロローグ
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プロローグ -2-

 帰宅早々浴室に向かい、汗と汚れを洗い流す。頭からシャワーを浴びながら、狭い風呂場の壁を伝う湯水を眺める。この家に住み始めた頃は、新生活への期待に溢れ、シャワー中に大声を出して流行りの歌を歌ったものだ。余裕のある生活ではなかったが、普段は自炊をし、たまの贅沢に食べ放題へ行き、当時いた数少ない友人とは毎年呑んだ。


 不安はあったが、不満はなかった。


 それが、今や何の楽しみもない。最後に笑ったのがいつだったのかも忘れてしまった。このままではダメだと理解しつつ、ではどうすれば良いのか、は分からない。前進したいのに、その方法が分からない。こんな調子で、今まで来てしまった。


 風呂から上がり、ガシガシと髪を拭く。冷えた麦茶で喉を潤す。節約のために自分で煮出した麦茶だ。コンビニで買い物なんて、もう半年以上していない。考えれば考えるほど、虚しい人生だ。晃司はスマホを手に取り、例の広告を見返した。やはり、仮想空間内で稼いだ金は本物の金として使えると書いてある。警戒して安全を取るか、信じて怪しげな儲け話に乗るか――。


 これまでの晃司なら、間違いなく前者だった。少ないながらも希望はあり、友人もおり、自分に価値があると思っていたからだ。だが、今の晃司には、守る物が何もない。警戒したところで、何の安全を守るというのか。


 晃司の指は、「応募」のボタンを押していた。


 二週間後の土曜日の朝のことだった。インターホンが連打された。目覚まし時計に叩き起こされることなく、午前中いっぱい布団と愛し合うつもりが、邪魔をされてしまった。出てくるまで鳴らすのを止めなそうな、強い意志を感じるほどの鳴らし方に根負けし、晃司は頭を乱暴に掻きながら玄関に向かった。


「はーい」


 玄関を開けた。誰もいなかった。


「あ?」


 苛立ちで目が覚めた。人を叩き起こしておいて、いないだと。ふざけているのか。ピンポンダッシュなんて、どこの暇人の仕業だ。ぶつぶつ言いながら玄関を閉めようとした晃司だったが、ドア横に段ボール箱が置かれていることに気づいた。箱の上に『天地無用』のシールと伝票が貼ってあり、確認してみれば晃司宛てのものだった。もしかして、さっきのピンポンは、この荷物を届けに来た業者だったのだろうか。


 人の荷物を、勝手に廊下に置いていったのか。

 誰かに盗まれたらどうしてくれるんだ、と先ほどとは別の苛立ちを感じ始めた晃司だが、とりあえず荷物を家の中に運ぶことにした。


 玄関の扉が閉まった。外廊下の先には、無地の白シャツにブラックスーツ、黒ネクタイにこれまた黒の革靴という、全身真っ黒な装いの男が、姿勢正しく立っていた。


「いってらっしゃいませ。黒岩様」


 恭しく一礼すると、男はゆらりと立ち去っていった。


 何かと思えば、先日応募したモニターの商品だった。大きな段ボールを開けると、緩衝材に包まれた箱が二つ。その中には、VRヘルメットと、分厚い腕輪のような形をした薄いグレーの機械が二つ入っていた。手に取ってみると、なめらかな肌触り。知っているような、初めてのような、不思議な感触だった。段ボールの底には、『取扱説明書』と書かれた小冊子が入っていた。内容を読み進めてみると、このようなことが書いてあった。


 装置には最新の研究で生まれた永久式充電が使用されているため、充電不要。

 「ルナ」を始めるには、VRヘルメットと、アームヘルパーと呼ばれる腕輪型の装置を両腕に装着する必要がある。

 その二つを装着した状態で、ヘルメットの電源を入れると、装置が起動する。

 初回だけログイン処理が必要で、アバターやニックネームの設定をしなければならない。

 起動中は睡眠状態になり、ルナでも現実世界と同様に自分の意思で動ける。

 ルナの中でも物に触れたり、匂いを感じたり、音を聞いたりできる。

 左腕用のアームヘルパーにボタンがあり、押すと設定メニューが開く。

 現実世界とルナの世界に行き来する際は、設定メニューの「ルナへ行く」「ルナから帰る」を選択する。

 詳細は起動後のチュートリアルで説明される。


 ――とにかくすごい装置であることは分かった。充電のいらない装置だの、現実と同じように五感が使えるだの、科学技術の結晶じゃないか。普通に買ったらどれほどの値がするのか想像も付かない。こんなものを無料で送ってくれるなんて、金のあるところはやることが大きい。早速使ってみたい気もしたが、まずは腹ごしらえをすることにした。


 冷凍しておいた白米を解凍している間に卵を焼いた。ご飯、卵焼き、納豆、インスタント味噌汁。休日の定番メニューだ。今朝は昨晩の残り物の肉じゃがも付く。


 葉物野菜や肉は高いし、魚は調理が面倒なのでほぼ買わない。そうなると、自ずとメニューも限られる。必要に迫られての自炊だが、もともと料理は好きなので苦痛ではない。安く食えれば何でもいい。別に、買い食いや外食が嫌なわけではない。料理は好きだが洗い物が手間だし、生ゴミは増えるし、少ないレパートリーのサイクルだから栄養が偏る。添加物が多いとは言われるが、コンビニ弁当も牛丼もファミリーレストランのメニューも旨い。食えるものなら食いたいが、財布事情がそれを許してくれない。


 惨めなものだ。毎週五日間、一日八時間以上の時間を労働に費やしているというのに、金に困る生活を強いられている。何に希望を持って生きろというのか。


食事が終わって洗い物と洗濯を済ませた。ベランダに干したTシャツがだらしなく風になびいている。これで洗濯物が乾くまでやることは無い。いつもならゴロゴロとスマホで無料動画でも見ていることだろう。だが、今日はやることがある。ゴロゴロしている場合ではない。


 晃司は説明書通りにVRヘルメットを被り、アームヘルパーを両腕に装着した。不思議な感触だ。ヘルメットの中は金属のようにひんやりとしているが、固くもなければ重くもない。視界はゴーグルのせいで薄暗くなった。子供が初めてゲームを手にした時のような興奮を覚えながら、ヘルメットの頭頂部にある電源スイッチを押した。

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