親友のヒロインちゃんへ【殿下の前に出ると呼吸困難になって困っています】公爵令嬢より
「ということで、どうしたらいいか教えて欲しいのだけれど?」
「えっ? 知らないけど?」
お昼休みの屋上、親友の公爵令嬢に手紙で呼び出された私は、悩み相談が始まる前に即座に断った。
「駄目よ。教えなさい。親友でしょ?」
駄目らしい。残念かな、【親友】という言葉を使われてしまったら従いざるおえない。決して弱みを握られているというではなく、長年の付き合いで彼女が【親友】という言葉を使ったら引き下がらないのだ。
「だってさぁ、もう手遅れだと思うんだよね」
「手遅れじゃないわよ! まだなにか、何かあるはずよ!」
「無い! 以上!」とは言えない悲しみ。
「だって~、昨日死にかけたじゃん。というか確実に心臓止まってたでしょ? そんな人に克服なんて言われてもね……二番じゃなきゃダメなの?」
一応テキトーに思いついた助言を言う。昨日偶然とはいえ殿下の着替えを見てしまったくらいで倒れたやつだ。付き合うなんてしたら本当に死んでしまうだろう。だったら二番目を選んだ方がいくらかマシだ。
「二番なんてないわ! 殿下一筋なの! 殿下がいいの! でん――コヒュー……コヒュー……」
「これは手の施しようがないですねぇ。妄想で呼吸困難とか、治療できませーん」
息苦しそうにする彼女の前でわざとらしく両手を上げる。【お手上げ】という意味だ。想像しただけでこれなんて無理だろう。
「ちょっと待って、これはちが……殿下が近くにいるせいよ!」
「はっ?」
近くにいるって、ここ屋上なんだけど? こんなところに私たち以外に誰が来るというのだ。
「やあ、ヒロインちゃんと令嬢ちゃん。君たちもここでお昼を?」
「ほとにいた……ドン引きだよ……」
令嬢ちゃんは人間なのかな? センサーとかどこかに付いてない?
たまたまお昼を食べに来たという殿下を彼女は感知した。好きすぎるあまり人外に足を踏み入れたのだろうか?
「ひぅっ! コヒュー……コヒュー……」
「ああああああ! 令嬢ちゃん気を確かに! 寝たら死ぬよ!」
興奮のあまり息が上手くできていない。このままだと本当に死んでしまう。まさかここまで重症だったとは……
「どっ、どうしたんだい!」
「持病の発作みたいなもんだよ! 医者を呼んできて!」
「わっ、分かった! 呼んでくるよ!」
「すっ、すみませっ、コヒュー……コヒュー……」
「いいから、安静にしてて!」
とりあえず原因である殿下を令嬢から離す。これでしばらくは大丈夫だろう。あとは彼が医者を連れて来る前に対策を考えなくては――。
「うっ、ゲホッ! ゴホッ!」
「最悪だよ、ドン引きだよ、手遅れだよ」
悲しみのあまり、口から文句が出た。これはもう同情ができないほどに酷い。彼女はこれを治療したいと口にしているのだ。明らかに無理だろう。
「言い過ぎよ! 仕方ないでしょ、体質なんだから!」
「体質にしても特異過ぎるよ。もう本当に病気じゃんこれ」
「だから治そうとしてんじゃない。手伝いなさいよ」
「え~……」
「え~じゃない!」
不可能なことを可能にするなんて力を私は持っていないのだが、彼女はそれが分かっているのだろうか?
「う~、わかったよ。でも手伝うっていっても何をすればいいの?」
「知らないわよ。あんたが考えなさいよ!」
こっちこそ知らんわ。というか言い方が失礼すぎるだろ。
「それが人に頼む態度かよぅ……この悪役令嬢!」
「ぬぁんですってー! この貧乳ヒロイン!」
「てめぇ、人が気にしていることを!」
とうとう堪忍袋の緒が切れた私は、目の前の悪役令嬢に向かって拳を振り上げて殴りかかった。頬にきつい一撃を受けた彼女もまた、私に平手打ちを食らわせる。
彼女たちを止めるものが居ない屋上は今、どちらかが倒れるまで行われるデスマッチの会場になってしまった。
――
――――
――――――
「……わかった。とりあえず落ち着こうか。これじゃあ埒があかないよ」
「わかったわ。それで、なにか手は思いついていて?」
勝敗は引き分けに終わった。ダブルノックアウトである。地面に横たわりながら、私は令嬢に話しかけた。
「うん。まず妄想から始めようか。考えるだけだと呼吸困難にならないんだよね?」
「しないわよ。さっきのは偶然殿下がいたからで――」
「ふーん、じゃあ想像しても大丈夫なんだよね?」
「当たり前じゃない!」
心配だ。直接会っただけで倒れるようなやつが、果たして耐えられるのだろうか?
「じゃあやって見せてよ。早くしないと殿下来ちゃうし」
「望むところよ! 見てなさい……むむむ」
「コヒュー……コヒュー……」
「駄目じゃねーか!」
知ってた。これは予測できてたわ。
「ちょっと待って、こんなはずでは……」
「もうがっかりだよ。諦めた方がいいんじゃない?」
「いやよ! このままだと殿下と付き合えないじゃない。そんなの駄目よ!」
その気合を少しでも治療に向けて使ってくれ。いや、使ってこれなのか。
「はぁ……仕方ないな。それなら目の前の私を殿下だと思って話してみたら?」
「あなたを? なんか気持ち悪いわね」
「あっそ。そんじゃあさよなら~」
愛想をつかした私はそのまま出口へと向かう。もうどうでもいい。
「分かりました! 分かりましたから見捨てないで~!」
目に涙をためながら手を引いてきた令嬢。いつもこんなに素直だったらいいのになと思う。
「もうっ、初めからストレートに受け入れればいいのに。めんどくさいなぁ」
明らかに煩わしそうな素振りを見せながら、私は令嬢に向き直った。
「親友なんだから、わたくしがどんな性格か分かってるでしょう? 今だっていっぱいいっぱいなんだから……」
「それは理解してるけど……もぅ、今回だけだからね」
「じゃあっはい。どうぞ」といってさっそく会話の練習を開始した。練習内容はもちろん、私を殿下ということにして彼女と会話することである。これで呼吸困難にならなければとりあえずクリアだ。
* * *
「そっ、それじゃあ行くわよ?」
「うん。どうぞ」
とりあえず呼吸は出来ている。これは成功か?
「殿下って意外と胸がありますわね」
「はいカーット! なんで殿下に胸について聞くんだよ! それ完全に私に対する質問じゃねーか!」
手を叩いて練習を一旦止める。聞き捨てならない言葉が聞こえてきたのだ。明らかにこの問いはおかしい。男に聞くことじゃない。
「違うわよ。これは殿下に対する質問よ。ほらっ、男にしては胸があるなぁって思って質問したのよ」
私の上半身を見ながら口にする。どう考えてもその言葉は私に対する侮辱である。だってその目は殿下では無く私に向けられているのだから。
「それはどういう意味だコラッ!」
「はぁ、悪かったわよ。今度こそ気を付けるからその手にもってる鈍器を下ろしなさい。どこからそんな大きなハンマーを出したか分からないけれど、危険よ。いい子だから。
今にも振り下ろしそうな身の丈ほどのハンマーをポケットにしまいこむ。次はないと告げながら。
「ったく。ほらっ、もっかい最初っからね。……スタート!」
仕切り直してもう一度最初から練習を始める。今度こそ成功させなくては……
「え~っと、ゴホンッ。あのっ、殿下? 本日はお日柄も良く、いい天気でございまするね」
「曇ってるけどね」
「……こんな日は外に散歩に行きたいですね」
「今日は忙しいから無理だねぇ」
「お仕事ですか? 残念ですね。こんないい天気なのに」
「雨降って来たけどね」
「……どんな仕事をされてるんですか?
「それは秘密だねぇ……」
「あらっ、人に言えないようなお仕事を?」
「そうだねぇ」
「そうですか……あの、お休みは何をしているんですか?」
「すみません個人情報はちょっと……」
「カーット!」
次は令嬢のほうから一旦やめるように指示が出た。完璧なはずだったのに、何故止めたのか。
「会話! 会話が続かない! あとその否定のラッシュはなに!?」
「ほらっ、殿下がそういうコミュ症だったらっていうシミュレートをね?」
「殿下はそんな人じゃないし、そんなのこと言わない!」
髪を逆立てながら激昂する令嬢。別にそこまで怒らんでも……
「もうっ、めんどくさいなぁ……わかったよ。次は真面目にやるよ」
「やっぱりふざけてたんかい! そろそろ本気で怒るわよ!? はいっ、スタート!」
半ば投げやりに合図をする令嬢。これはそろそろ限界が近いな。だけど私はこの程度じゃ怖気づかないぜ。
「あのっ、殿下?」
「なんだい、令嬢ちゃん。僕になんか用かい? 今日も君は綺麗だね。そう例えていうなら――」
顎クイッをして凛々しい表情を作り、語り掛ける。まあ別に本物の殿下じゃないからこの程度じゃあ……
「はぅっ! コヒュー……コヒュー……」
「カーット! ちょっと、まだ最後まで言ってないのに呼吸困難にならないで!」
想像よりも重症だったようだ。この女、本当に大丈夫だろうか? 相手は同性の私だぞ?
「ちょっと、ふざけないって約束したよね……?」
「それはごめんだけど、私の予想の斜め上を突っ切らないでよ……まさかこれくらいで息苦しくなるなんて」
「わたくしを舐めないでほしいわね」
長い黒髪をかき上げ、決め顔をする令嬢。
「ドヤ顔で情けないことを言わない! ほらっ、さっさと次いくよ!」
「なんでわたくしが責められているのよ!」
納得のいかない令嬢を尻目に、次の特訓を開始した。
「でっ、殿下? 今お話ししてもよろしいですか?」
「なんだい?」
今回は本当に戯れ禁止で演技をする。この令嬢、なにが切っ掛けで発作が起きるか分からないから怖いのだ。最悪死ぬかもしれない。
「あの……今日はいい天気ですね」
「そうだね! これから散歩に行こうと思ってたんだけど一緒にどうだい?」
「一緒にさんっ!? コヒュー……コヒュー……」
おいっ、今のどこに発作の要素があったんだよ。
「駄目じゃないか……」
「すみませんでした! わたくしが悪かったわよ!」
本当にそうである。
「もう諦めたら? 殿下の演技をした私でもこの調子だともう無理だよ」
「まだよ! まだ諦めません! だって殿下と付き合うためなんだから! コヒュー……コヒュー……」
「もう、また発作を……ってなんで?」
今は特になにもしていないよね? もしかして殿下以外にも原因が? もしかして私!? こいつ、両方いける変態さんだったのか?
「コヒュー……コヒュー? なんでかしら?」
よかった。百合ではなかったらしい。ではいったいなぜ?
「あの……医者を連れてきたんだけど」
「あっ殿下、もしかして今の聞いてた?」
理由はすぐにわかった。殿下が医者を連れてきたようだ。遅すぎる……いやっ、このタイミングだと早すぎると表現した方がいいのか。
「うん。ごめん……」
「きっ、聞いてマシ――ゴホッ! ゲホッ!」
あちゃ~、これは不味いね。もしここでフラれたりなんてしたら命が危ない。ここはフォローしないと。
「でっ、殿下、これはね、その……ただの遊びで――」
「令嬢ちゃんからそう想われていたなんてすごく嬉しいよ。実は僕も令嬢ちゃんのことをずっと前から好きで……その、僕でよろしければお付き合いしたいと思うんだけど、いいかな?」
「がはっ!」
「令嬢ちゃああああああん!」
この後、殿下が連れて来ていた名医のおかげで一命をとりとめた令嬢は、殿下と会うたびに呼吸困難になって倒れてしまうそうなので、今は文通から始めているそうです。
ハッピーエンド!
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