95. 夕焼け
レオン様と別れてすぐに、ラリサ王女は父王が首を長くして帰りを待っているという王都の城へ帰って行った。
広場に設置されていた感染者を収容するための大天幕は撤去され、オーランド領に派遣されていた衛生兵や医師達も、ラリサ王女と共に王都へ戻っていった。
オーランド領にはもはや感染者はおらず、もし新たに感染者が出ても再流行までには至らず、領内で対処出来るという判断からだった。
明日にも封鎖を解除されるという領境にいる兵以外のすべての兵も王都に戻った。
今、オーランド領内はとても静かだ。
私とレオン様は、「領内を一望してみたい」というレオン様の希望で、町が見渡せる小高い丘の上に来ている。
少しずつ陽が落ちて、空が赤らんできていた。
ピンク色に染まった長い雲がたなびき、その雲の隙間から漏れるオレンジ色の光が眼下に広がる町並みを照らしている。
夕陽を顔に受けたレオン様が、ぽつりと呟いた。
「……ラリサはもう城に着いたかな」
「ここを発ってからだいぶ経ちましたから、もう着いているはずです」
「……そう」
夕陽のせいだろうか。
やけにレオン様が寂しそうな顔をしているように見える。
「……ラリサが羨ましい」
王都の方向へ顔を向けながら、レオン様は小さな声で呟く。
「……僕はもうずっとお母様に会っていない。……僕も、お母様に会いたい」
つーっと静かに頬を流れる涙を夕陽が照らす。
「……お母様は褒めて下さるかな。……僕は、お母様に抱きしめてもらいたい」
ずっと昔に会ったきりの奥様を思い出しているのか、レオン様の眼差しは王都の方向に向けられたまま動かなかった。
自分が貴族だからと、務めを果たさなければならないと、ずっと気張ってきたが、レオン様はまだ十五歳の子供なのだ。
領民を疫病から守る為にずっと気力を奮い起こしていたが、家族と離れて十五歳の子供が一人ここで過ごして、どれほど心細かっただろう。
奥様が恋しいと、涙を流すレオン様に私の胸は締め付けられる。
「…………何してるの?」
私は、レオン様の前で大きく腕を広げて立っていた。
「いえ、あの、……奥様の代わりに私が抱きしめてあげようかな、と。私の胸をお貸しします」
途端に、ものすごく冷たい目で見られた。
顎を上げて眉間に皺を寄せて、斜めから冷たい視線が注がれる。
……うわ、冷たすぎて凍り付いてしまいそうだ。
「そんなムキムキの胸で何言ってるんだよ。お母様の胸はそんなに固くないし」
「……そうでしょうか? 厚みがあるので良いかなと思ったんですが」
「……あのさ、お母様の代わりって言うなら、せめてドレス着なよ」
「あ、そこですか?」
私は上背がかなりあるし、胸板も厚く、肩幅もある。腕回りも太い。
今から奥様の代わりをするためのドレスを注文しても、相当時間が掛かりますねと笑いながら言うと、はあーっと大きく息を吐いたレオン様が、その場に座り込んだ。
「……もういいよ。クロードと話していると、疲れがどっと出る」
膝を抱えて座り、眼下に広がる夕陽に照らされている町並みを眺めているレオン様の隣に私も座る。
すると、レオン様が私の肩にちょこんともたれてくる。
「こうしていると、色んなことがあったのが嘘みたいだ。とても穏やかだね……」
空が鮮やかなオレンジに染まり、ピンク色の雲がたなびく下で、そろそろ夕食の支度を始めているのか、あちこちの煙突から白い煙が上っている。
それは、とてものどかで美しかった。
「……この光景を、守れて良かった」
眩しそうに目を細めながら町の様子を眺めているレオン様の横顔は、とても気高く美しかった。
「……頑張りましたね」
その言葉にレオン様が、私の肩に持たれていた頭をがばっと起こし、私を見ながらにやりと笑う。
……え、私は何かまずいことを言っただろうか?
私の顔に自分の顔を近づけて、目をきらきらと輝かせながらレオン様は悪戯っぽく笑う。
……うわ、私はこの顔に弱いんだ。
「僕、頑張った? じゃあ、ご褒美ちょうだい」
ぐいぐいと近づいて来るレオン様の顔に、私はたじろいで、つい後ずさりしてしまう。
……ご褒美って。
……参ったな。
吸い込まれてしまいそうな大きな青い瞳。
私に向けられる甘い眼差し。
何かを企んでいるような悪戯な微笑み。
私はレオン様のこういう表情にとても弱い。
心をぐらぐら揺さぶられて、抗えなくなる。
きっとレオン様は知らないのだろう。
だから、いつも無防備にこんなことをしてくる。
悪戯に私の心を搔き乱す。
私の心を知らないで。
私がどんなにあなたを好きか知らないで。




