94. 目立ち過ぎた
オーランド領に来て、早一ヶ月が過ぎた。
隣国から流入して、この地を襲った疫病は、収まりつつある。
ここ十日程は新たな感染者も出ていない。
広場にある大天幕にいた大勢の感染者達はすでに回復してそこを出て行き、大天幕の中はがらんとしている。
オーランド領は日常を取り戻し始めていた。
町のあちこちに感染者が倒れていたのが、まるで悪い夢だったかのように、今は通りを子供達が駆け回り、大人達は談笑している。
「そろそろ領境の封鎖を解除しても大丈夫そうだね」
大声を上げてはしゃぎながら走り回る子供達をぶつからないように避けながら、レオン様が呟く。
「隣国の方がまだ収まっていないから国境は無理だけど、領境は良さそうだ」
「この疫病の対処法を隣国にも伝えて、民を救って欲しい」というレオン様の嘆願を受けた国王は、時を置かずに隣国に親書を送ったらしい。
隣国と戦をしていたのは何十年も昔。
辛い過去を水に流して、これからは協力し合っていきたいとの国王の言葉を、疫病に為す術もなく大勢の民が死に、国中が大混乱に陥っていた隣国の王が受け入れたのだそうだ。
隣国の現在の状況までは伝わってこないが、適切に対処すれば、数カ月以内には収まるだろう。
そうなれば、また国境が開かれて、両国の商人達が行き来し出して、国境を接しているオーランド領は賑やかになる。
オーランド領は、きっと更に栄えて行く。
……レオン様の力で。
レオン様は私の横を歩きながら、領民達の様子を確認するように見回している。
この細く華奢な体で、まだあどけない子供のような顔で、「領民を守りたい」という自分の言葉通りに、領民と領地を疫病から守り、隣国との関係にも影響を及ぼした。
風に髪をなびかせて歩くレオン様を見ながら、私の心はざわついていた。
レオン様の願い通りに、疫病に打ち勝ち、領民を救えたことは素晴らしい事だと思う。
私にはそれを成し遂げたレオン様がとても誇らしい。
けれど、そこに一抹の不安もあった。
……レオン様の存在は隠されている。
オーランド領を守るためとはいえ、あまりにもレオン様は目立ち過ぎた。
ラリサ王女のこともある。
果たして、今までと同じように行くだろうか。
「レオン様」
町を見回るレオン様のもとにラリサ王女が会いに来た。
国民が苦しんでいるのに自分だけ華美に着飾るわけにはいかないと、ずっと簡素なドレスで過ごしていたラリサ王女が、今日は久しぶりに王女らしい華やかなドレスを着ている。
そのラリサ王女の様子を見て、オーランド領は本当に困難を乗り越えて日常に戻るのだと、私はしみじみと感じていた。
「父から、明日にもオーランド領の領境封鎖を解除する旨の手紙が参りましたの」
「明日?」
「はい。ここ十日程は新たな感染者も出ておりませんし、オーランド領民はこの疫病の対処法を身に付けておりますから、これ以上この地で疫病が流行することは無いだろうとの判断だそうです」
確かに、今のオーランド領民の衛生観念は素晴らしいものがある。
もとから美しい土地だったが、疫病に打ち勝つのだという合言葉の元に、掃除や消毒を徹底し、町中が磨き上げられている。
オーランド領の水源はアシュラン様のお陰で汚染されてはいないのだが、それでも生水、生ものは口にしなくなった。
この様子なら、この地で疫病が再流行することは無いだろう。
「他領での疫病の発生報告もありませんし、オーランド領内での疫病の封じ込めに成功したと思われます。故に、封鎖を解除しても問題ないだろうと、明日にも解除してすべての兵を王都に戻すと伝えて参りましたの」
……領境封鎖の解除。
……長かったが、やっと。
レオン様もほっとした様子だった。唇の端が少し上がっている。
「レオン様。わたくしは、今から城に戻ります。……その、長くこちらに居りましたので、父が、収束したのなら早く戻ってくるようにと、その、わたくしの顔を見たいと矢の催促なのです」
ラリサ王女は恥ずかしそうに少し顔を赤らめながらも、嬉しそうだった。
……確かラリサ王女はレオン様よりも一つ下だったか。
未曽有の困難を乗り越えるためには王族の協力が不可欠とは言え、その歳で疫病の蔓延する土地に派遣するとは、国王の心配はどれほどだったろう。
「……そう。……陛下がそう仰っているなら、……早く帰らなくちゃね」
「レオン様のこの度の御貢献には、後ほど改めて褒賞が与えられますわ」
「僕は自分の為すべきことをしただけだから、必要ないよ。……それよりも、ラリサ。オーランド領に対するあなたの献身と陛下のご理解に心から感謝する。ありがとう」
レオン様がラリサ王女に跪き、その手の甲にキスをするのを見て、私もそれに従って跪く。
「レオン様、わたくしにこんなことをなさらないで下さいませ。感謝しなければならないのは、わたくしの方ですのに」
跪くレオン様の手を取って立たせると、ラリサ王女はレオン様に向かって、ドレスの裾を両手で軽く持ち上げて、優雅に背筋を伸ばしたまま軽く膝を曲げた。
「レオン様、民を救って頂きましたこと、王女として心よりお礼を申し上げます」
そう言って、レオン様と目を合わせてふふっと微笑んだ。
「……また、お会い出来ますわよね?」
「もちろん」
レオン様のその言葉に安心したようにラリサ王女は口元を緩める。
そうしてレオン様に挨拶をしてから、カティア様と共にせわしなくその場を離れた。
久しぶりに家族に会えることが嬉しくて堪らない様子で、カティア様と賑やかに話をしながら去っていくラリサ王女の背中を、レオン様は眩しそうに見つめている。
ラリサ王女の後姿が小さくなっても見送り続けるレオン様の様子は、いつもと少し違っていた。
「……早く顔が見たい、か」
ぽつりと呟くレオン様は、どこか寂しげだった。




