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93. 昇華の涙

 オルガの葬儀が終わった。



 己の罪をレオン様に告白し、許しを求めたオルガ。

 あの老婆のしたことは決して許されることではない。

 死をもって償うべきだったと、私は今でも思っている。


 己の主の願いを叶えるためとはいえ、主家に害を為したオルガ。

 戦で瀕死の重傷を負ったアシュラン様に、媚薬を飲ませて子を作らせるとは、おぞまし過ぎて吐き気がする。

 跡継ぎが必要?

 オーランド侯爵家の血筋を保つためとはいえ、狂っているとしか思えない。


 確か奥様は以前、アシュラン様が結婚を望んでいなかったと、独身を貫き、子を成すつもりもなかったと話していた。

 アシュラン様の意志を無視し、媚薬を飲ませて無理やり既成事実を作るとは、何という恐ろしい女だろう。




 だが、私はそんなオルガを非難しきれなかった。

 罪は罪だ。それは間違いなく償うべきだと思う。


 しかし、……オルガの言うお嬢様とは恐らくリディア様のことだ。

 アシュラン様の奥方様で、奥様の母君。

 つまり、レオン様の祖母君にあたる方だ。


 オルガがアシュラン様に媚薬を飲ませたときの御子がレティシア奥様だとすれば、そのレティシア様の御子であるレオン様がこの世にいるのは……。


 アシュラン様がもし独身を貫かれていれば、もしかしたらレオン様は生まれていなかった……?


 もしかしたら、私がレオン様と出会い、こんな風に時を過ごせるのは、もしかしたら、オルガがアシュラン様に媚薬を飲ませたから……?


 頭の中を巡る不遜な考えに思考を支配されそうになり、私は慌ててぶんぶんと頭を振り、それを追い出そうとする。

 これ以上余計なことを考えるのは、あまりにも不遜で、許されない。

 今はただ、目の前にいるレオン様をお守りして、無事にグランブルグ家に帰ることだけを考えねば。



 そのレオン様は、オルガの死後、元気がない。

 あんなに、にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべていた人が、めっきり笑わなくなり、ぼんやりとして目も伏せがちで、夜もあまり眠れていないようだった。


 オルガの罪は許されることではないし、その死は疫病のせいで、レオン様が気に病む必要はない。

 私が何度そう言っても、レオン様の耳には届かないようだった。

 こんなレオン様は見ていられない。

 どうすれば、元の自由で気ままなレオン様に戻ってもらえるのだろう。



 今日も広場の大天幕と町の中を見て回ったレオン様は、宿へ戻るとぼんやりと考え事をしていた。

 私が側に居ても、ちらりとも見ない。

 あの心が躍るような甘い微笑みが失われてしまい寂しい気持ちはあるが、それよりも、どうしたらレオン様の気を紛らわせることが出来るのだろう。


 私が頭を悩ませていると、キアラが「話がある」とレオン様の元に来た。


 オルガの死後、しばらくはキアラもレオン様と同じように気落ちしていたが、気持ちの切り替えが出来たのか、今は時折笑顔を見せている。




「話って言うのは、おばあちゃんのことなんだけど」


 宿の裏庭にある大きな岩の上に腰かけて、キアラが口を開いた。


「あんまり気にしないで欲しいの」


 キアラは、レオン様に穏やかな笑みを向けていた。

 そんなキアラに、レオン様が下を向き、手をぐっと握りしめて答える。


「……そういう訳にはいかない。……僕は助けられたはずなのに」

「いいえ、あなたはおばあちゃんの心を救ってくれたわ」


 ……心?

 キアラの思わぬ言葉に、レオン様が顔を上げた。


「おばあちゃんはずっと何か秘密を抱えていて、辛そうだった。その苦しむ様子を見ていられなくて、わたし達家族が打ち明けて欲しいと何度頼んでも、誰にも何も話してくれなかった」


 主家の体面にも関わる話。

 家族と雖も、簡単に口にして良い事ではない。

 

「数年前から急に体が弱くなって、しょっちゅう寝込むようになったの。このままじゃお嬢様に会いに行けないって、口癖のように言ってた。あなた達がここに来るほんの数日前も寝込んでいたのよ。でも……」


 キアラがレオン様の正面に向き直る。


「今にして思えば、おばあちゃんはあなたを待っていたのかもしれない」

「……僕を、待って?」

「何となくだけど、そう思うのよ。きっと、あなたにすべて打ち明けて、許しを請いたかったんだと思うの」


 そういえばオルガは、初めてレオン様に会った時からアシュラン様と間違えて、許して欲しいと懇願していた。

 レオン様の足元にすがりついて、許して欲しいと何度も言っていた。


「……でも、僕はアシュランじゃないよ。レオンだ。おばあちゃんが待っていたのは僕じゃない」


 レオン様が顔を歪めて、ぽつりと零す。

 キアラは腰かけていた大きな岩から降りて、レオン様の手を取り、ぎゅっと握った。


「おばあちゃんをあんなに安らかな顔で奥方様の元へ送ってくれたのは、あなたでしょう? あなたが、おばあちゃんの心を苦しみから解放してくれたのよ」


 震えながら顔を上げてキアラを見るレオン様に、キアラは曇りのない穏やかな笑みを見せている。


「あなたは、わたしの弟を疫病から救い、わたしのおばあちゃんの心を苦しみから救ってくれた。あなたのお陰で、私は今もこうして笑っていられるの。わたし達を救ってくれて、ありがとう。ここに来てくれて、ありがとう」


 瞬きをすることなくキアラを見つめていたレオン様の大きな青い瞳から、ぽろっぽろっと大粒の涙が零れて、それはレオン様の手を強く握っているキアラの手に落ちる。




 いつしか滝のように流れ落ちても止まる様子の無いその涙に、困り果てたキアラが助けを求めるように、レオン様の後ろにいる私に視線を送ってきた。


 苦笑しながら私はレオン様の後ろにそっと寄り添い、キアラから託されたその手を取ると、そのまま後ろからレオン様を包み、涙が収まるのを待っていた。

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