92. 明かされた秘密
疫病、死の表現があります。苦手な方は避けてください。
指を絡ませながら歩いていると、時折、レオン様が私を見上げて微笑んでくる。
その甘い微笑みに、つい私も頬が緩んでしまう。
そんなことを繰り返しながら、いつもよりだいぶ時間が掛かって宿に戻って来て、入り口のドアに手を掛けようとすると、キアラの大声が外まで響いてきた。
「おばあちゃんっ!」
その切羽詰まるような声に驚き、慌てて中へ入るとキアラの祖母オルガが床に倒れている。
オルガは嘔吐し、意識を失っていた。
……疫病に感染していた。
孫のクルトが回復したのをあんなに喜んでいたのに、自分が感染してしまったのか。
キアラを手伝って、オルガを隣の部屋に運んで寝台に寝かせた。
重症化しないように、キアラが補水液を飲ませようとするが、その度にオルガが吐き出してしまって、なかなか上手く飲ませられずにいる。
レオン様は失われる体内の水分を補うことが大事だと言っていたが、吐いてしまって飲ませられない場合は、どうしたら良いのだ?
横にいるレオン様の顔を見ると、眉間に皺を寄せて険しい表情をしている。
「おばあちゃん、しっかりして。ねえ、お願い、補水液を飲んで」
キアラが泣きながら何度もオルガに補水液を飲ませようとするが、その度にオルガはすべて戻してしまい受け付けなかった。
どんどん様子が悪化していくのが分かる。
ここまで急激に悪化する感染者は初めてだった。
オルガの容態に私が狼狽えていると、レオン様の手が私の腰の辺りに触れた。
もぞもぞする気配に視線をやると、私が旦那様から頂いた貴重な回復薬を手にしていた。
「レオン様! それはお父様がレオン様の為に御用意くださったものです」
オルガに飲ませようというのか?
いくらオーランド領民を守りたいとは言え、領民を見過ごしには出来ないとは言え、そんなに簡単にくれてやっていいものではない。
いざという時のレオン様の為に使うようにと、旦那様がくださったのだ。
それを……。
「構わない」
「しかし……!」
「もし、お父様が咎めると言うなら、それは僕が受けるから、クロードは気にすることは無い」
そう言うとレオン様はオルガの横たわっている寝台に近づいて行き、意識の朦朧としているオルガに語り掛ける。
「おばあちゃん、辛いだろうけど、ちょっとでいいから頑張って飲んで」
ぜえぜえと苦しそうな息を吐きながら、オルガは首を振った。
それを見たキアラが、レオン様の手から回復薬を取り、オルガの口元に持っていこうとする。
「お願いっ、おばあちゃんっ。飲んで!」
うっすらと目を開けたオルガは顔を背けて、それを拒否した。
……何故、オルガはここまで回復薬を拒否するのだろう。
私には、それが不思議だった。
回復薬と言うのは、傷を癒して体力を回復させるもので、本来は病人に与える物では無いし、この疫病に効くかどうかも分からない。
それに、もし効いたとしても、その急激な変化にこのオルガの体が堪えられるのかどうか。
それでもレオン様がオルガに回復薬を飲ませようとするのは、このままでは保たないと判断したからだろう。
このまま何も出来ずに死なせるよりは、回復薬を飲ませて、何とか持ちこたえる方に賭ける気なのだ。
だが、それを何故、オルガが拒むのかが分からない。
高価な回復薬で助かっても、その代金を払えないと案じているのだろうか。
「……キアラ、お願い。……アシュラン様とお話をさせておくれ」
あくまでも回復薬を飲ませようとするキアラに、オルガが席を外すようにと頼む。
「……どうしても、お話しないと……お嬢様に、会えないから……」
「そんな縁起でもないこと言わないでよ、おばあちゃんっ」
「……いい子だから、……お願い」
涙を流しながら懇願するオルガに観念したのか、キアラはレオン様に回復薬を渡し、ぼろぼろと涙を流してしゃくり上げながら部屋を出て行った。
「おばあちゃん、僕に話って何? 話を聞いたら、これ、飲んでくれる?」
オルガの枕元に行って回復薬を見せるレオン様に、力のない笑顔を浮かべながらオルガはたどたどしく話し始めた。
「……アシュラン様、……どうしても、お話せねばならないことが、あるのです。
あの日、意識の戻ったアシュラン様に、……薬を飲ませたのは、……お嬢様ではありません。……わたくしです……」
……え、今このオルガは何と言った?
アシュラン様に、薬を飲ませた……?
オルガの言葉に驚いてレオン様を見ると、レオン様も驚いて息を呑んでいる様子だった。
「……戦から、瀕死の状態で帰ったアシュラン様を、……お嬢様は、ずっと寝ずに看病し続けて、……お嬢様に、あの方が囁いたのです。……跡継ぎが必要だと。……お嬢様は何年も、アシュラン様をお慕いして、……他家に嫁ぐこともせず、……ただ一筋にアシュラン様を。……でも、お嬢様は出来なかった。……だから、わたくしが、……あの日、やっと意識が戻ったアシュラン様に……」
……媚薬を飲ませたのか⁉
戦から戻った瀕死のアシュラン様に⁉
……何てことを!
耳を疑うような言葉に私もレオン様も愕然としていたが、視線を宙にやったまま意識の虚ろなオルガはそれに気づかずに話し続ける。
「……お嬢様、……良かった、アシュラン様の奥方様に、……やっと願いが叶って、……お子様も、……お嬢様」
……ということは、このオルガは自分の主の願いを叶えるために、瀕死のアシュラン様に媚薬を飲ませて既成事実を作り、結婚させたのか……!
何て卑劣な真似を……!
許せない!
オルガは涙を流しながら、歓喜の表情を浮かべていたが、突然、咳き込みだして苦しそうにむせている。
何かを喉に詰まらせたのか苦しそうにえづくオルガの背を、レオン様がとんとんと叩きながら桶にそれを吐き出させようとしている。
「レオン様がそんなことをする必要はありません! この老婆がしたことは許されない! 死をもって償うべきです!」
レオン様は私の言葉を気に留める様子も無く、桶に戻したオルガの口を漱ぐために、水が入ったコップを手に取っている。
「おばあちゃん、口を漱いだら、これを飲んで。きっと良くなるから」
いまだにオルガを救おうと回復薬を飲ませようとするレオン様の心が、私には分からない。
己の主の願いを叶えるためとはいえ、主家に害を為すものを許すことなど出来ない。
「アシュラン様、……わたくしは、お嬢様のもとへ参ります」
つい先程まで苦しそうに虫の息だったオルガは、気が付くと、とても穏やかな表情をしていた。
レオン様が差し出す回復薬を退けたオルガは、最後の力を振り絞るように言葉を続ける。
「お嬢様は、アシュラン様の眼差しに耐えられずに、気を病んでお亡くなりに……。わたくしのせいで、お嬢様は……」
すうーっと涙を流したオルガは、静かに息を吐いてレオン様を見つめる。
「……アシュラン様に、薬を飲ませたのは、わたくしです。お嬢様ではありません。
……どうか、わたくしの罪をお許しください。お嬢様ではないのです。このままアシュラン様の誤解を解かぬままでは、お嬢様に会いに行くことも出来ずに、生きながらえておりました。……やっと、お嬢様に会いに行ける……」
少しずつオルガの言葉に力が無くなっていく。
レオン様を見つめるその目は、もはや焦点が合っていないようだ。
「……アシュラン様、……どうか、……お許しください……」
途切れ途切れに何とか言葉を繋いだオルガは、そのまま静かに目を閉じた。
「許すよ! 許す! 全部許すから! お願いだから、おばあちゃん! 飲んで!」
泣き叫びながらオルガにしがみつこうとするレオン様を、私が間に入って止める。
これ以上の接触を黙って見ているわけにはいかない。
「放せ、クロード! おばあちゃん!」
レオン様は力づくで私の腕を振り払おうとするが、力ではまだ私に適うはずもない。
無理やりレオン様の腕を押さえつけて、有無を言わせずに力づくで抱きかかえて部屋から出た。
足をばたつかせて泣きわめくレオン様の様子に、隣の部屋に控えていたキアラとクルトが慌てて祖母の眠る部屋に入っていく。
「クロード! 放せってば!」
レオン様は泣きながら、抱き抱えている私の胸を拳で殴ってくる。
少しでも腕を緩めたら、抜け出してオルガの元へ駆けて行きそうだった。
「放しません」
「放せ!」
「……私には、誰よりもレオン様が大切なのです。レオン様より大切なものなんてありません。……言ったでしょう? 何処までもついて行くと、決して離れないと。だから、放しません」
私の胸を殴り続けていたレオン様の拳はぴたりと止まり、しばらくして私の腕の中で声を殺して泣き始めた。
そんなレオン様の気持ちが落ち着くまで、私はレオン様を抱き締めたまま、その髪を撫で続けた。
傷つかせたくない。
辛い涙を流させたくない。
どうしたら、この人を守れるのだろう。




