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90. 溢れる想い

 ラリサ王女への嘆願を済ませたレオン様は、広場に張られた大天幕の中の様子を見て回り、世話をしている医師や兵士達と少し言葉を交わした後、今度は町を歩き、異変が無いか確認して回った。


 見た目はまだ幼いが、このレオン様からラリサ王女への指示があって最悪の状況から抜け出せたのだと薄々察した領民達は、レオン様に対して少しずつ敬意を表するようになってきた。


 通りでレオン様を見かければ、子供達は挨拶に駆け寄ってきて、大人達はすれ違う時には道を開けて頭を下げる。

 レオン様は相変わらず、にこにこと人懐っこく笑っているが、まるで領地を視察に回る若き領主のようだ。


 リリアナ様がいつか受け継ぐ、このオーランド領。

 本来なら、このレオン様が治めるはずだった。

 年齢的にも、レオン様はそろそろ授爵してもおかしくない。


 十年前、知らずに私がレオン様にキスしてしまったことで、すべて奪ってしまった。

 この豊かなオーランド領も、侯爵位も、領民から領主として崇められ慕われる未来も。

 どうしたら、私はそれを償えるのだろう。


 ……いや、どうしたら、それをもう一度レオン様の手に戻すことが出来るのだろう。



「なーに、怖い顔してるの?」


 レオン様が後ろから私の背に、えいっと飛び乗ってきた。

 そうして、私の頬にその柔らかな頬をくっつけて、すりすりと頬ずりをする。

 レオン様のその口調から機嫌が良いのが分かる。


「レオン様はご機嫌ですね」

「そりゃあね」


 ふふっと笑いながら、レオン様はなおもすりすりと頬ずりをしている。

 私は、後ろから私にしがみついているレオン様の体を落とさないように両手で支えながら、ゆっくりと石畳の上を歩き出す。


「少しずつ少しずつだけど、良くなってきてるからね。

 発病してすぐに対応できるようになったから、感染しても何とか重症化せずに助かっているし、そもそも感染者自体も減ってきた。

 領民達も、衛生観念を身に付けて、ちゃんと手洗いや消毒をするようになったし。

 あと少しの我慢だ。

 ……これも国を挙げてオーランド領を支えて下さる国王陛下と、真っ先にここに駆けつけて、今も献身的に働いてくれるラリサのお陰だ」


 国境と領境を閉鎖して囲い込み、オーランド領を見殺しにするのかと見捨てるのかと、

一時は勘違いをしたが、「国を挙げて支える」という国王の言葉に偽りはなかった。

 必要な物資はその都度王都から送られて来るし、衛生兵や医者も交代で派遣されてきている。


 靴音を響かせながら歩いていると、私の首に巻き付けられたレオン様の腕にぎゅっと力が入った。


「……それに」


 何かを言おうとして急に黙ったレオン様の様子が気になり、私が顔を後ろに向けると、そっとレオン様の唇が頬に触れてきた。


「クロードも居てくれたから」

「私は何もしてませんよ」


 私はただレオン様の指示に従い、通りに倒れていた感染者を広場の天幕に運んだり、物資の運搬を手伝ったり、掃除をしただけだ。

 特別なことは何もしていない。


「そんなことない。クロードが側に居てくれて、僕がどんなに心強かったか、分かる?」


 レオン様が後ろから手を伸ばしてきて私の頭に添えて、私の左頬に自分の頬をぴとっとくっつけた。

 レオン様が瞬きをするたびに長い睫毛が、私の頬に触れてくすぐったい。


「クロードだってきっと怖かったに違いないのに、僕について来てくれて、ありがとう」


 ちゅっ。


「……何処までもついて行くって、離れないってクロードに言われた時、すごく嬉しかった」 


 ちゅっ。


 一言一言、何かを口にするたびに、レオン様の唇が私の頬に触れる。

 


 ……参ったな。


 レオン様にはまだ伝えてないけど、私はレオン様が好きだと自覚したのだ。

 遅いと、鈍いと言われそうだが、それでも。

 あなたが好きだと気づいたんですよ、レオン様。

 それを、こう、ちゅっちゅっされると、今までのように平静ではいられない。


「大好き」


 ちゅっ。


 私の頬に、まるで小鳥のように何度も口づけるレオン様の体を、私は腰を屈めて支えていた両手を放し、そっと下ろす。

 突然、私の背から降ろされて、レオン様はきょとんとした顔で通りに立っている。


 「どうしたの、クロード?」


 不思議そうに私を見上げるレオン様の大きな青い瞳に魅入られるように、私はその華奢なレオン様の体を自分の方へ強く引き寄せた。


 これまでに何度もレオン様を抱き上げたり、抱き抱えたりしたが、あの時とは違う。


 私は衝動のままにレオン様の体を強く抱きしめて、自分の腕の中にある確かな温もりに浸っていた。

 レオン様の柔らかな髪が風でそよぎ、私の顎をくすぐる。

 私がその蜂蜜色の髪に顔を埋めると、甘い匂いが今度は鼻をくすぐる。


 ……たまらなく愛おしい。

 自分がこんな気持ちになるなんて、想像もしなかった。


 レオン様の胸の鼓動が伝わってくる。

 きっと、私のもレオン様に伝わっているのだろう。

 私とレオン様の胸の鼓動が重なっていくのを感じる。

 

 私の胸の高鳴りは抑えきれずに、どんどんと高まっていく。 

 溢れる気持ちのままに、私はその柔らかな体を抱き締め続けた。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 名残惜しさを感じながらも、私が強く抱きしめていた両腕を緩めると、レオン様の体がふらっと少し離れた。

 ほんの僅かでも、ずっと感じていたその温もりから離れるのが惜しかった。


 咄嗟に、力を入れたら折れてしまいそうな細い腰を左腕で抱き寄せて、右手で白く小さな顎を掴んで上を向かせた。



 ……この唇に触れたい。



 レオン様が目をぱちぱちと瞬かせながら、驚いたように私を見る。


「……え、なに、これ?」


 ……何これと言われても。


 あなたが好きなんです。 

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