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9. 悪役王女の胸のときめき

 まさか停まっているラリサ王女の馬車の横を通って、のこのこと宿に入るわけにもいかないので、とりあえず逃げて馬車がいなくなった頃を見計らって宿に戻ってくることにし、レオン様の手を引いて歩き出そうとしたその時、後ろから凛とした声が響いた。


「お待ちください」


 ……しまった、捕まったか。


 苦い気持ちで振り返ると、髪を少し気にするようにそっと手で押さえ、ラリサ王女がゆっくりと優雅にこちらへ歩いてくる。


 レオン様の前で立ち止まったラリサ王女は恥ずかしそうに目を伏せて、リリアナ様の時とは明らかに違う、思わず耳を疑うような可愛らしい声で話しかけてくる。


「危ないところを助けて頂き、ありがとうございます。わたくし、ラリサと申します」


 ……助けたのは私だ。レオン様は見ていただけ。


 私は心の中でぼそっと呟いた。

 ラリサ王女は繊細な刺繍を施したレースのハンカチを手に、はにかみながらレオン様を見ている。


「是非お礼をさせてくださいませ」

「知らない人から物を貰ったらいけないって言われてる」


 ラリサ王女がじろっと私を睨む。

 いや、違う、私じゃない。私は何も言ってない。


「では、せめてお名前を」

「知らない人に名前を教えたらいけないって言われてる」


 今度は後ろの侍女も一緒になってじろっと睨んでくる。

 だから、私じゃないって!


 ラリサ王女に対してにべも無く返事を返したレオン様は、完全に興味を失くしたらしく、面倒くさそうに大きな欠伸をしてくるりと向きを変え、頭の後ろで手を組みながらすたすたと歩きだした。


 ぽつんと残されたラリサ王女を尻目に、私はレオン様に置いて行かれないように慌てて追いかける。

 少し気の毒な気もするが、ラリサ王女とあまり深く関わると後々面倒なことになる。

 このまま名前を明かさずに去るべきだ。


「……待って、……待って下さい!」


 大きな声で呼び止められて振り返ると、ラリサ王女が胸の前でハンカチを両手でぎゅっと握りしめて小さく震えながら、こちらを見ていた。


「……わたくしは」


 みるみるうちにその顔は赤く染まり、目は潤んで、縁に溜まった涙は今にも零れ落ちそうだ。

 きゅっと下唇を嚙んでいたが、やがて意を決したようにキッと顔を上げて言葉を続けた。


「……あなたにもう一度お会いしたいのです! ……お名前を教えてくださいませ!」


 声を絞り出すように言うと、ラリサ王女はそのまま泣きそうな顔でレオン様を見ている。

 頭の後ろで手を組んだまま、興味無さげに一瞥をくれたレオン様は、ラリサ王女のその様子を目にした途端に、突然大きく目を見開き、まるで凍り付いたかのように固まってしまった。


 ……レオン様? ……様子がおかしい。


 異変を感じて、横にいるレオン様の顔を覗き込もうとしたが、レオン様は私には目もくれずに何かに取り憑かれたかのようにふらふらと歩いて行ったかと思うと、いきなりラリサ王女を抱きしめた。


 突然抱きしめられたラリサ王女は目を丸くして固まり、後ろの侍女はあんぐりと口を開けている。


 我が目を疑いながらその光景を見ていると、しばらくしてその腕を緩めたレオン様はラリサ王女の顔を愛おしそうに見つめて、その頬にキスをした。


 そして、鼻と鼻がくっつきそうなほど顔をラリサ王女の顔に近づけると、傍から見ているこちらまで蕩けそうな甘い笑顔で囁いた。


「可愛い」


 ……何やってんですか――――っ! 逆に火を点けて煽ってどうする⁉


 限界を超えたラリサ王女はぼんっと頭から煙を出し、後ろで見ていた侍女は衝撃で顎が外れたらしい。


 まずいまずいまずいまずいっ! これはまずい‼

 これ以上この方を野放しにしていたら危険だ! 今すぐ逃げねば!


 慌ててレオン様を肩に担いでこの場から逃げようとすると、へなへなぺたんとその場に座り込んでいたラリサ王女が驚いて声を上げる。


「……あの……?」


 私の肩の上から大きく手を振りながらレオン様が応える。


「また会えたらね――っ!」


 もう二度と会うことはないだろう。あっても私が全力で阻止する!


 あれだけの勇気を振り絞ったラリサ王女には心からの拍手を送ってやりたいが、それは相手がレオン様でなければだ。レオン様はダメだ。諦めてくれ。


 ラリサ王女の視線を背中に感じながら、ひたすら走ってそこから逃げる。


 ……本当に本当にもう、何てことをしてくれるんだ! この方は!


 レオン様に対するやり場のない怒りやら呆れやらで、頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 露店が並ぶ通りを走り抜けてラリサ王女から遠く離れ、誰も追いかけて来ていないことを確認してから、レオン様を肩から降ろし、側にあった木の根元に座り込んだ。


 ……疲れた。


 隣にちょこんと腰かけたレオン様を見ると、呑気に鼻歌を歌っている。

 ふぅ――っと溜息を吐きながら、私は気になっていたことを尋ねてみた。


「…レオン様、先程はどうされたのですか? 様子がおかしいように感じましたが」

「何のこと?」

「ラリサ王……いや、ラリサ嬢のことです」

「……ラリサって、誰?」


 レオン様がきょとんっと首を傾げてこちらを見る。


 ……ついさっきのことなのに、名前すら覚えてないのか――!


 私はがくっと全身の力が抜けてしまった。


 ……可哀想に、ラリサ王女。あれだけ勇気を振り絞ったのに、名前すら覚えられていないとは。……心から同情する。


 ……いや、待て。では、あの態度は何だ? 名前すら覚えないほど興味が無いのなら、何故抱きしめたり、頬にキスしたりしたのだ?


「レオン様。ラリサ嬢というのは、先程助けた令嬢のことです。どうして急に抱きしめたりしたのですか?」

「……さあ? よく分からない」


 ……分からないって、分からないのはこっちだ。


 レオン様は、やってることも、言ってることも意味が分からない。

 振り回されるこっちの身にもなってくれ。


「……何だか、とても懐かしい気がした」


 レオン様が遠くを見ながらぼそっと呟いた。


「……あの子の泣きそうな顔を見たら、体が勝手に動いてた」


 ……懐かしい? ラリサ王女が? レオン様は初対面のはずだが? 


 ラリサ王女にしても、初対面だから名前を尋ねてきたわけで。

 例えば、これがもしかしてリリアナ様の記憶だとしても、リリアナ様もラリサ王女には一度しか会っていないし、リリアナ様に対して悪態をついたラリサ王女のことを懐かしいと言うとは到底思えない。


 問いただそうとして口を開きかけたが、遠くを見ながら何かを考えているレオン様の辺りを払う様子に、そのまま諦めて口をつぐむ。


 レオン様の蜂蜜色の髪は風になびき、赤い唇は閉じられたまま。

 私は、しばらくその美しい横顔をぼんやりと見ていた。 

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