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85. 僕の名は

 その言葉を聞くや否や、私はレオン様を抱きかかえて、急いでそこから走り出た。


 これ以上、ここにはいられない。

 今すぐに、ここを離れなければ。

 最悪の事態になる前に、少しでも遠くへ行かなければ。 

 隣国で妙な病が流行っていると、あの女性は最初に言っていたのに、私は何故それを流してしまったのか。

 迂闊だった。


 レオン様を抱きかかえたまま、石畳を走る。

 あれほど賑やかだった通りは嘘のように人気が無く、目に入るのは嘔吐し道に倒れている病人ばかりだった。

 目を覆いたくなるその惨状に顔を背け、私はひたすら走り続けた。


 一刻も早くここを出なければ、大変なことになる。

 もしもレオン様に何かあったら、私は旦那様と奥様に顔向けが出来ない。


「クロード!」


 必死に走る私の名をレオン様が呼ぶ。


「クロード! 下ろせ! 止まれ!」


 そんな命令は聞けない。こんな所でレオン様を下ろすわけにはいかない。

 今は非常時。何よりもレオン様の身の安全が第一だ。


 命令を無視して走り続ける私の背中をレオン様が拳で殴ってくる。


「下ろせって言ってるだろ! 聞こえないのか⁉ 止まれ!」

「聞けませんっ!」


 本気で私の背中をガツガツ殴ってくるレオン様に、私は大声を上げた。


「レオン様の身に、何かあったらどうするのです⁉ ご自分の身を第一に考えてください!」

  

 後でレオン様に、どれほど殴られても怒られても罰されても構わない。

 今はただ全力でここから逃げねば。





「……お前は、僕が誰だか、忘れたのか?」



 私の後ろでレオン様の声がした。


「僕にとって、ここがどういう土地か、お前は知っているだろう?」


 レオン様の言葉に、私は返事に詰まり、必死に石畳の上を駆けていた足が止まる。


 ……ここはオーランド領。

 本来なら、レオン様が治めるはずだった領地。

 レオン様の祖父君アシュラン様が戦功を挙げて拡大して栄えさせ、そしてレオン様に受け継がれるはずだった領地だ。


「……領民を残して、僕だけ逃げるわけにはいかない」

「どうしてですか⁉ いくらオーランド領とは言え、見知らぬ者たちの為に、何故、レオン様が命を懸けねばならないのです⁉」

「僕がオーランド候の孫で、グランブルグ伯の息子だからだ」


 強く、はっきりと響くその声に気圧される。

 だが、ここで引くわけにはいかない。

 私がここで引いたら、レオン様を危険に晒すことになる。


「レオン様はまだ子供です。子供がこんな責任を負う必要はないっ」


 そう言って、また走ってそこから遠ざかろうとする私の首をレオン様がぎゅっと掴んだ。


「……お前は、僕を卑怯者にするつもりか?」


 違う。そうじゃない。そんなつもりじゃない。

 私はただ、



 ……あなたを失いたくない。



 ここでもし、あなたに何かあったら、あなたにもしものことがあったら。

 私は、あなたを失いたくない……!

 そんなことは耐えられない……!




「お願いだ、クロード。下ろして」




 レオン様の身をこんな危険な所に置きたくない。

 だが、涙声のレオン様のすがるような言葉を無視することも出来ない。


 立ち尽くす私の腕の中から、レオン様がするりと抜けて下りた。


「クロード……」

「レオン様、……私はレオン様を失いたくないのです。どうか、お願いですから、このまま私と一緒にグランブルグ家に、お父様とお母様の元へ戻ってください」


 その場に力なく崩れて、石畳に膝をついたまま懇願する私に、レオン様はきっぱりと言い切った。


「僕は貴族だ。僕には領民を守る義務がある。僕は己の為すべきことをする」


 それは、決意に満ちた強い目だった。


 レオン様を失いたくない。

 ここに居て欲しくない。

 今すぐに、私と一緒にここから逃げて欲しい。

 それなのに、どうしてこの人はこんなにも気高く立っているのだろう。


 ここから連れ去って欲しいと言われれば、誰よりも早くレオン様を連れ去ってみせるのに。

 どうして、この人はそうしてくれないのだろう。

 貴族だから?

 どうして貴族だからと、まだ子供のレオン様がこんな所に残って危険な目に遭わなければならないのだ?

 私には分からない。


 お願いだから、私と一緒にここから逃げて欲しい。


 あなたにもしものことがあったら、あなたを失ったら、……私は耐えられない。


「レオン様……」


 石畳に膝をついたままレオン様を見上げ、なおも言葉を尽くして説得しようとする私に、レオン様は信じられない言葉を吐いた。


「クロード、お前はこのままオーランド領から出ろ。お前とは、ここで別れる」

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