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83. 訳ありの二人

 オーランド領に入って、今日で二日目になる。


 昨日も食事の際に少し町を歩いたが、今日は時間を掛けてゆっくりと見て回りたいというレオン様の希望で、午前中から出かけることにした。



 宿を出ると、綺麗に掃除がされているのか、石畳が日差しで白く輝いて眩しい。

 その石畳の上を、コツコツと靴音を響かせながら歩いていると、通りの両脇の建物の二階から掲げられているオーランド領の旗が風ではためいているのが見える。


 午前中の爽やかな空気の中、マリアが自分も行きたいと話していたオーランド領の豊かさを肌で感じながら、レオン様と二人で歩いていた。


 異国風の店が並ぶ通りを過ぎると、今度はオーランド領の伝統工芸品や特産物を扱う店が並んでいた。

 織物に宝飾品、家具、陶器、加工肉、酒。

 国で一番豊かと言われるだけあって、王都にも劣らぬ充実ぶりだった。


 これほど栄えている領地を、アシュラン様は国家に献上したのか……。

 奥様もその理由は知らないと言っていたが、私のような平民には想像もつかない。

 未練は無かったのだろうか。


 そして、この豊かなオーランド領を将来リリアナ様が継ぐ。

 「本来なら、レオン様が受け継ぐはずだったかもしれないのに」と、私は自責の念を感じながら横を歩くレオン様を見た。


 私の心中を知らないレオン様は、風に柔らかな蜂蜜色の髪をなびかせながら、好奇心に目を輝かせていた。

 そんなレオン様の足が止まったのは、店が立ち並ぶ賑やかな通りを過ぎて、町外れにある人気のない広場に辿り着いた時だった。


 広場の隅の方に視線をやったレオン様が、そのままぴたりと足を止めたのだ。

 その視線の先には、大木の根元に置かれた木の長椅子に腰かけた老婦人とその横に立つ若い男が見えた。


 しばらくじいっと老婦人を見ていたレオン様は、ゆっくりとそちらの方へ歩みを進め、私もレオン様について行く。


 濃い紫色の長い髪のその老婦人は、年は70を過ぎたくらいだろうか、顔も膝の上で重ねた手も皺だらけだった。

 身に纏っている黒いドレスは明らかに高価な物で、ただそこに座っているだけなのに、その佇まいからかなりの高位の貴族のように思われた。

 ……この老婦人、何処かで見たことがあるような、誰かに似ているような気がする。


 老婦人の横に立っている若い男は、年齢が25、26くらいだろうか。

 淡い紫の髪に赤い瞳で、優し気な顔立ちをしているが、隙がまったく無い。

 かなりの剣の使い手のように感じる。


 見るからに訳アリの怪しげな二人に警戒する様子もなく、レオン様はすたすたと近づいて行き、にこやかに声を掛けた。


 「こんにちは」

 「……こんにちは」


 私は横に立つ若い男にちらりと視線をやり警戒しつつ、老婦人の反応を見ていたが、レオン様の挨拶に穏やかに返事をしている。


 「ねえ、おばあさん。もしかして僕に会いに来たの?」

 「……どうして、そう思うのかしら?」


 老婦人は軽く片眉を上げて、レオン様に聞き返した。


 「何となくだけど、僕がおばあさんを待っていたような気がするから」


 レオン様の言葉に、老婦人が息を呑むのが分かる。


 「とても懐かしくて、……大切な人」


 レオン様はそう言って、老婦人にさらに近づこうとする。

 そのレオン様の様子に、老婦人の横にいる若い男が身構えた。

 私がそれに反応してレオン様を守ろうとするのと、老婦人が軽く片手を上げて若い男を制するのが同時だった。


 木の長椅子に腰かけている老婦人の横に立ったレオン様は、腰を屈めて、そっとその老婦人の深く皺が刻まれた頬にキスをした。


 「会えて、嬉しい」


 レオン様の見せたそれは不思議な微笑みだった。

 まるですべてを許して包み込むような、そんな慈愛に満ちた微笑みをレオン様は老婦人に向けていた。


 息を呑んでレオン様を見つめていた老婦人の頬に、つーっと一筋の涙が流れる。


 「……ずっとあなたを待っていたわ。本当に気の遠くなるほど長い間。あなたのお陰で、わたくし達の願いがやっと叶う」


 躊躇いがちにそっと手を伸ばして、レオン様の頬に触れた老婦人は、ずっと前からレオン様を知っていているかのように愛し気に微笑んでいる。


 レオン様をずっと待っていたという、この老婦人。

 今回初めてオーランド領を訪れたレオン様とは初対面のはずなのに、グランブルグ伯爵家の秘密であるレオン様の存在を知っていて、しかも「待っていた」とは、どういうことだ?

 何処からその秘密が漏れたのか、私は激しく動揺していた。


 目の前にいる二人が何者なのか、何故レオン様のことを知っているのか。

 私は狼狽しながらもそれを悟られないように、老婦人の横に立っている若い男をちらりと見るが、男は微動だにせず前を向いている。

 「わたくし達」とは、老婦人とこの男の事だろうか。

 それならば、「願い」とは何だろう?


 自分の頬に置かれたままの老婦人の手を取り、それをそっと両手で包んだレオン様は、申し訳なさそうに口を開いた。


 「ごめんね。その願いは叶えてあげられない」

 「……何故、今更そんなことを? 約束を忘れたの? ……ごほっごほっ」


 レオン様の言葉に血相を変えて異を唱えようとして、咳き込みだした老婦人を心配するように、横にいる若い男が駆け寄り、その体を支える。

 老婦人を支えながら、まるでレオン様を責めるかのような強い視線を向けてくるその男に、私が危機を感じて、後ろからレオン様と老婦人の間に入ろうとした、その時だった。


 レオン様の体から、うっすらと金色の靄のようなものが見えた。

 

 淡い金色の光がレオン様の全身を包んでいる。

 変化を起こしているわけでもなく、初めて見るその光景に私が呆気に取られていると、いつもと違う口調でレオン様が言葉を発した。


 「私は、そのようなことは望まぬと伝えたはずだ」


 咳き込んでいた老婦人が、驚いた様子で顔を上げてレオン様を見る。


 「……!」

 「帰りなさい。ここに長居してはいけない」


 そう言うと、全身を包んでいた金色の光がすうっと消えて、レオン様の体が崩れるのを慌てて後ろから支える。


 老婦人はなおも何かを言おうとしていたが、咳でむせて言葉にならず、その体を支えていた若い男が、これ以上は無理だという様子で制止していた。

 

 やがて老婦人は諦めたのか、名残惜しそうにレオン様に視線をやりながら、若い男に支えられてその場を離れていった。


 その場を立ち去る二人に安堵しながら、私が腕の中にいるレオン様を見ると、レオン様は虚ろな様子で、離れて行く二人の後姿を黙って見ていた。

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