82. 心を見透かされて
レオン様と一緒の時には、お面は絶対に欠かせない。
以前、寝惚けたレオン様が寝返りを打った際に私と唇が触れてしまい、それがきっかけで変化してしまったことがあった。
それ以来、私は万が一に備えてお面を持ち歩いている。
邪魔になると言えばそうなのだが、これが無いと不安なのだ。
もし、またふいにキスしてしまってレオン様が消えてしまったら?
次はいつ会えるのか分からない。
それならば、少しでも長く一緒に居たい。
「おはよう」
夜中に私の寝床に潜り込んだレオン様が、もう目覚めたらしい。
私が付けているお面を持ち上げて、頬にちゅっとキスをしてきた。
お面を外されて、急に視界に入ってくる朝の光に目を細めながら、目の前にあるレオン様の顔を見る。
……朝から、どうしてこんなに美しいのだろう。
ぼんやりそんなことを考えていると、レオン様の唇が近づいてきた。
「キスされてしまう!」と、咄嗟に手で唇を塞ぐ。
「唇はダメです」
「どうして?」
「……特別、なので」
「僕はクロードの特別じゃないの?」
私の言葉に納得がいかないらしく、レオン様はぷうっと頬を膨らませる。
「レオン様は、特別ですが、唇はダメです」
「だから、どうして?」
「それは、その、私が、ずっとレオン様と一緒にいたいからです」
「ふうん」
レオン様はがばっと起き上がって寝台から降り、そのまま歩いて椅子にどかっと腰を掛けて脚を組んでいた。
肘掛けに肘をついて頬杖をつき、窓の外を見ている。
私は体を起こし、寝台の端に腰かけて、そんなレオン様を見ていた。
このままもしグランブルグ家に帰れば、ずっとレオン様の姿を見ていられるだろうが、平民の私は護衛としてお仕えできず、側には居られない。
リリアナ様に戻れば、護衛として側には居られるが、レオン様には会えない。
私はどうしたらいいのだろう。
目の前にレオン様がいて、嬉しいはずなのに、幸せなはずなのに、心が晴れない。
ふとこちらに視線をやったレオン様が、少し首を傾げて口を開いた。
「どうしたの? 僕は何も怒ってないよ」
レオン様の蜂蜜色の髪が朝の陽射しを受けて、柔らかく輝いていた。
澄んだ青い目を細めて優しく私を見るレオン様に、心の底にある感情が溢れてきそうになる。
「……私は、レオン様の側にいたいのです」
「うん、知ってる」
違う、レオン様は分かってない。
本来ならば、平民の私はレオン様の側には居られないのだ。
身分が違いすぎるから。
……どうして私は貴族に生まれなかったのだろう。
どんなに低くてもいい。
貴族の身分さえあれば、レオン様の側に居られたかもしれないのに。
両膝の上に置いた手に力が籠る。
「ずっと側に居たいのです」
レオン様を見る自分の顔が歪んでいるのは分かっているが、抑えきれない。
そんな私に、レオン様は優しく微笑む。
「分かってるよ」
レオン様は椅子から立ち上がり、寝台に腰かけている私の前に来ると、私の顔を両手で包むように触れて自分の方を向かせた。
そして、私の額に、鼻に、瞼に、頬にと、顔中に優しく口づける。
唇を避けて。
「大丈夫。僕がクロードを離さないから。安心して側に居ろ」
目の前にある大きな青い瞳は、迷いも躊躇いも無く、真っ直ぐに私を見ていた。
「側に居ろ」というレオン様の言葉が、身分の差に怯み、不安だらけの私の心に沁みてくる。
……身分が違っても、それでも、側に居ていいのだろうか。
「まだ心配なの? 心配性だなあ。逃げようたって逃がさないから、心配要らないってば」
私の迷いを払うようにおおらかに笑いながら、レオン様は私の頭をわしわしと撫でる。
その力強さに、ぶんぶんと頭を振り回されながら、私はレオン様の言葉を噛み締めていた。
「離さないから」「安心して側に居ろ「心配要らない」
どうしてこの人は、いつも私の欲しい言葉をくれるのだろう。
心の中を見透かされているようで、恥ずかしい。
だが、その温かさが嬉しい。
ほろり。
涙が勝手に目から零れた。
不意の涙に、驚いて手の甲でそれを拭おうとすると、その様子を見ていたレオン様が私の手を掴んで除け、ぺろっと濡れた私の頬を舐めて、そのまま私の目を見る。
恥ずかしさや気まずさや照れに一気に襲われて、顔から火を噴きそうな私は、声を上ずらせながら必死に言い訳をする。
「あ、あの、断っておきますが、私は普段は全然泣かないんです。ただ、ちょっと、レオン様と一緒だと涙腺が緩くなるだけで」
レオン様は私の必死の言い訳を意にも介さずに、微笑んでいる。
「いいよ、もっと泣いて。だって、これって僕を想って流した涙でしょ。違うの?」
照れもせずに真顔でそんなことを言ってくるレオン様に、私はたじろいでしまう。
「え、いや、あの、そうですが、でも、そういうことを言うのはやめてください」
「どうして? 僕を想って流した涙なら、全部僕のものだ」
至近距離でそんなことを言われた私は、恥ずかしさが限界を超えてしまい、もう勘弁してくださいとそこから逃げた。




