79. その瞳に捕らわれて
何と言ってもレオン様は伯爵家の子息なのだから、そういうマナーはきちんとしなければならないだろう。
表面はぶつぶつ文句を言いながら、その実、やっぱりレオン様に会えたことが嬉しくて、つい顔がにやけてしまう私だった。
レオン様はマントの中に潜ったまま、顔を見せない。
眠ってしまったのだろうか。
それでも、会いたくても会えなかった今までとは違う。
私の腕の中にレオン様がいる。
夢ではない、本物のレオン様がいる。
その温もりが、私の胸を温かくする。
レオン様を抱えたまま花のアーチのような道を抜けて歩き続け、しばらくして町の中へ入った。
……驚いた。
隣国と国境を接していて王都からだいぶ離れた土地だが、道がすべて石畳で覆われている。
今までに私が訪れた町は、どこも土がむき出しのままで雨が降ると道がぬかるんで歩きにくかったが、ここは大通りも裏道も、すべて綺麗に石畳で覆われている。
それだけで、このオーランド領の豊かさが分かる。
行き交う者たちの身なりも良く、他所で見かけるような、つぎはぎだらけの汚れた服を着ている者など一人もいない。
簡素だが、清潔そうな、整えられた服装をした者ばかりだ。
他国からの往来も多いと聞いたが、異国風の服を着た者もちらほら見かける。
通りに並ぶ店も、異国の物を取り扱っている店が多いようだ。
見慣れぬ織物や、変わった意匠の宝飾品、聞いたことの無い言葉を話す商人達。
まるで異国に足を踏み入れたかのようだ。
……これが、レオン様とリリアナ様の祖父君アシュラン様のオーランド領か。
初めて目にする物ばかりで圧倒されつつ歩いていると、通りの端の方に小さな宿を見つけ、そこに入ることにした。
「こんにちは」
私とさほど年が変わらないような若い女性が受付にいて、その女性に部屋を一部屋と、二人分の着替え、そしてレオン様の着替えの手伝いを頼む。
賑わっている町のようで、もしかしたら空き部屋が無いかもしれないと少し心配していたが、その受付の女性が言うには、これでもだいぶ人通りが減ったのだそうだ。
「わたしもあまり詳しくは知らないけど、隣の国で妙な病が流行っているらしくて、商人が行き来を控えているんです。だから、あなた達みたいなお客さんがたまに来るくらいで、今は暇なの」
「……妙な病?」
不穏な言葉に不安になり、受付の女性に聞き返すが、まったく情報が入ってこないらしく肩を竦めていた。
「でもまあ、隣の国の事だから、わたし達には関係ないわ」
彼女が呑気にそう言い終えた丁度その時に、従業員の女性がレオン様の着替えが終わったと言いに来た。
妙に胸が弾んでいるのを自覚しながら、レオン様のいる部屋へと急ぐ。
「レオン様、クロードです。入ります」
ドアをノックして中へ入ると、レオン様が窓を開けているのか、涼しい風が顔に当たるのを感じる。
レオン様はいつものように窓枠に腰を掛けて、眼下の町並みを見ていた。
風がレオン様の蜂蜜色の髪を優しく揺らしている。
……ああ、私はこの光景が堪らなく好きだ。
初めて会った時もそうだった。
あの時もレオン様は窓枠に腰かけて外を見ていた。
まるで絵画のような整い過ぎた顔立ちに私は言葉を失くし、長い睫毛に縁取られた青い瞳に吸い込まれてしまったのだ。
……それ以来ずっと、レオン様の不思議な引力に捕らわれてしまっている気がする。
「なーに見惚れてるんだよ」
部屋のドアも閉め忘れて入り口で突っ立っている私を、レオン様が見やる。
レオン様に見惚れていたことがバレて気恥ずかしくなった私は、慌ててドアを閉めながら言い訳をする。
「……仕方が無いでしょう。レオン様にお会いするのは久しぶりなのですから」
すとんっと窓枠から降りたレオン様は、こちらに歩いてきたかと思うと、私の首に両手を回して自分の方に引き寄せて、鼻先が触れそうなほど顔を近づけてきた。
「じゃあ、いっぱい見れば?」
すぐ目の前にレオン様の顔がある。
たじろいで、思わず後ろに後ずさりしそうになるが、レオン様の両手でしっかりと掴まれていて動けない。
レオン様の甘い息のかかるこの距離に戸惑いながら、私は高鳴る胸の鼓動をレオン様に気づかれないように抑えるのに必死だった。
恥ずかしさで彷徨っていた視線をそっと前に向けると、白くて柔らかそうな肌が、動かすたびにばさばさと音がしそうな長い睫毛が、私の顔に触れそうなほど近くにある。
真っ直ぐに私を見る青い瞳に吸い込まれ捕らわれて、そこから出られなくなりそうな気さえする。
そして、この眼差し。
どうしてこんなに甘く優しい目で私を見つめるのだろう。
レオン様は最初からそうだった。
初めて会った時からずっと、まるで語り掛けるような優しい目で私を見る。
頭突きされたり、蹴り飛ばされたり、手荒な扱いを受けることもあったが、それでもこの目は変わらない。
気恥ずかしくて逃げることも何度かあったが、こうしてやっと会えた今は、レオン様の眼差しが変わらないことが嬉しい。
気がつくと私の両腕はレオン様の背中に回り、その華奢な体を強く抱きしめていた。




