73. 母の思い
「ねえ、クロード。
あなた、リリアナと一緒にオーランド家の領地に行ってらっしゃいな」
黙ってずっと考え込んでいた奥様は、何かを決めたかのように突然ぽつりと呟いた。
「毎年わたしが訪れていたのだけど、わたしの代わりにリリアナと一緒に行って来て頂戴」
……オーランド家? 奥様のご実家のオーランド侯爵家だろうか?
いきなり出てきたその名に戸惑う。
「聞いたことがあるかしらね。
わたしの実家のオーランド侯爵家は断絶したのよ」
……えっ。
話のあまりの急展開についていけずに、私はぽかんと口を開け、奥様の顔を見た。
「一人娘の私が、グランブルグ家に嫁いで来たのよ。そういうことでしょ」
「でも、あの、遠戚から養子を迎えたりはなさらなかったのですか?」
「父が望まなかったの。
理由は教えてもらえなかったけど、父はそもそも結婚する気も、子を成す気もなかったらしくて、自分の代でオーランド家を終わらせるつもりだったのよ」
侯爵家の断絶という重たい話を、奥様は他人事のようにさらりと続ける。
「父の遺志で、オーランド家の爵位を返上し、領地を献上したの。
でも王太后様が、ご実家の領地がオーランド家の隣だったというよしみで、先の国王陛下に取り成してくださったのよ。
そのお陰で、爵位は返上ではなく停止に、領地はわたしに、グランブルグ家に預けるという形になったの」
高位の貴族が爵位と領地を返上するというのは聞いたことが無いが、それを王家が受け取らずに保留という形を取るのも相当異例なことなのではないだろうか。
私が余程不思議そうな顔をしていたのか、奥様が「分かりやすい顔をしているわね」と言いながら教えてくれた。
「私の父、オーランド候アシュランはとても戦上手な人でね。
その生涯のほとんどを戦地で過ごして、数え切れないほどの戦果を挙げたの。
その功績を認められたことと、王太后様のお取り成しの結果、その異例な措置が取られたのよ。
国を守った英雄の名を後世に語り継がねばならないとの先王陛下のお言葉で、今はわたしが管理をして、将来的にはリリアナか、リリアナの子孫にオーランド家の領地と爵位が与えられることになっているの。
リリアナには話していないから、本人は知らないけれどね」
そう言って笑う奥様は、どこか悲しそうに見えた。
「だって、クロード、考えてもみて。
あなたは、……リリアナが結婚できると思う?
いつ男に変化するか分からない女と、それを知っていて結婚する貴族がいると思う?」
仰る意図が分からずに沈黙する私に、奥様が言葉を続けた。
「何が起きるか想定できない。
もし政敵にでも知られたら、どう悪用されるか分からない。
背負うにはあまりにもリスクが大きすぎる。
わざわざそんなリスクを引き受ける奇特な貴族がいるかしら。
……それに、自分の妻が男に変化するのよ。
男になった妻をそれでも愛せる貴族の男なんて、……想像も出来ないわ」
奥様の言葉に、私は何と返せばいいのか分からなかった。
私にとってリリアナ様は、名門貴族の御令嬢で、優しく美しい特別な方。
他人よりも多くの祝福を神から与えられた方だとしか思えなかったからだ。
そのリリアナ様の母君である奥様が、こんなことを考えているとは想像もしなかった。
「……だからわたしは、リリアナの秘密を知って、それでもリリアナを大切に想ってくれる人なら、身分は関係なく……
例えば、平民でも構わないと思っていたのよ。
でも、人の気持ちって、こちらの思い通りにはならないものね」
私を見ながら軽くため息をついた奥様は、そっと私の頬に手を添えて困ったように笑った。
「あなたも本当に不器用な子よね。
目の前に道が拓けているのに、どうしてわざわざ難しい方を選ぶのかしら」
その言葉が何を意味するのか分からないまま、私は黙って、真っ直ぐに私を見る奥様を見ていた。
「わたしはリリアナの母親だけど、レオンの母親でもあるの。
ずっと会っていなくても、あの子の望みは出来ることなら叶えてやりたい。
……あなたの言うとおりに、もしレオンが本当に現れたのなら、リリアナの中でレオンの意識が目覚めたのなら、きっとあなたの想いは通じているはずよ」
奥様はゆっくりと立ち上がり、私を見下ろしながら優しく微笑んだ。
「オーランド領に行ってらっしゃい。
わたしは手助けをしたわ。後はあなたとレオン次第。
あの子のことをお願いね」




