72. お母様、ひどいっ
その日の夜遅く、私はいつものように庭の木の根元に座り込んでいた。
一人になって考え事をしたい時には、ここは誰にも見られず丁度良いのだ。
レオン様に会いたくて、自分なりに色々試してみたが、すべて失敗に終わってしまった。
本もダメ、薬草もダメ、豚の丸焼きもダメ。
もう途方に暮れてしまった。
諦めたくはないが、これ以上どうしたらいいのか私には分からない。
抱え込んだ膝の上に頭をのせて、答えの出ないまま考え込んでいると、衣擦れの音がして誰かが横に座る気配がした。
驚いて顔を上げると、奥様だった。
奥様は私と同じように膝を抱えて座り、私の顔を覗き込んでいた。
「……奥様」
この広い屋敷の中で、奥様は私が唯一レオン様のことを話せる方だ。
レオン様の面影のある顔で優しく微笑まれると、脆くなっていた私の心は一瞬で崩れ落ちそうになってしまった。
「あらまあ、そんな泣きそうな顔をして。命懸けでリリアナを守ってくれた子とは思えないわね」
奥様は優しく私の髪を撫でながら笑った。
「レオンの事を考えているのでしょう? リリアナを書庫に連れて行ったり、草を食べさせようとしたり、あなたが妙なことをしているとマリアが言っていたけれど、豚の丸焼きを作っていると聞いてピンときたわ。レオンの事で何か悩んでいるのなら、一人で抱えていないでわたしに相談なさいな。ね?」
奥様のその温かい言葉に、我慢して心の奥に押し込んでいた感情が一気に溢れてきてしまった。
「……レオン様が現れたのです。カリスタ邸で、変化もしていないのに。マリアに、リリアナ様に私が見惚れたことで焼きもちを妬いたのではないかと言われて、……私はレオン様にまた会いたくて、お好きな物でどうにかレオン様の感情に訴えようとしたのですが、どれも上手くいきませんでした。私にはもう術が無く、どうしたら良いのか分からないのです」
「……なるほどね、そういうこと」
奥様は、変化もせずにレオン様が現れたことに驚き、レオン様に出てきてもらう為に私が豚の丸焼きを作ったことに苦笑していた。
そして、首を傾げながら私に尋ねてきた。
「ねえ、クロード。あなたはリリアナが水に濡れるとレオンに変化すると知っているのよね?」
「はい」
「そして、どうしたらレオンからリリアナに変化するかも知っているのよね?」
「……はい」
「わたしがずっと不思議に思っているのはね、そこまで知っていて、何故、あなたがリリアナに水をかけないのかっていうことよ」
奥様は体の向きを変えて、真っ直ぐに私を見た。
「レオンに会いたいのなら、豚の丸焼きを作ったりとか、そんなまだるっこしい事をしなくても、リリアナに水をかければ済むんじゃないのかしら」
奥様は静かに私の返事を待っていたが、私は奥様のあまりの衝撃的発言に呆気に取られてしばらく言葉が出てこなかった。
「どうしたの?」
「……え、あ、その、奥様の言葉に驚いてしまって、何とお答えしたら良いものか、混乱してしまって」
「どういうこと?」
軽く眉を顰める奥様に、上手く説明できるか分からないが、私は何とか言葉を続けた。
「……私はリリアナ様の護衛で、リリアナ様をお守りするのが私の務めです。己の命を懸けてお守りすることはあっても、私情でリリアナ様を害するなど決してあってはなりません。ですから、どんなにレオン様に会いたくても、私がリリアナ様に危害を加えることは絶対にありません」
その瞬間、奥様が私の頭をわしわしと力強く撫でまわした。
突然のことに驚いたが、頭をわしわしと撫でるのはレオン様と同じだと思い出して、つい笑みが漏れてしまう。
顔立ちだけではない。やはり奥様はレオン様に似ている。
何故か、ほっとして、心が緩んでしまう。
「ああ、クロード! もう、もう、大好きよ! なんて可愛いの! なんて良い子なの!」
私の頭をしばらくわしわし撫でまわした奥様は、少しして何かを考えるように黙り込んだ。




