71. 砕ける心
明け方から焼き始めた豚は、昼近くになって、だいぶいい感じに焼き上がってきた。
表面に綺麗に焦げ色が付き、食欲をそそる匂いが漂い、そろそろ出来上がりかなと串を差して中までちゃんと火が通っているか確認してみる。
よし。大丈夫そうだ。
焼き過ぎにならないように豚の下に置いてあった炭を除けて、焼き上がった豚をさあ切り分けようとしていると、離れから固唾をのんで見守っていた子供達が一斉に駆け寄ってきた。
「クロード、出来上がったの⁉ 僕食べたい!」
「うわあ、豚の丸焼きなんて初めて見た! 僕も食べたい!」
「美味しそう! ねえ、お腹空いた!」
「クロード、早く食べさせて!」
豚の丸焼きを取り囲んで、子供達が目を輝かせながら私にせがんできた。
……え、どうしよう。……困った。……そんなつもりじゃ無かったのに。
これはリリアナ様に食べてもらう為に、レオン様に会いたくて作ったのに。
「……あ、悪いが、これはお前達に食べさせる為じゃなくて……その」
「ええっ⁉ どうしてっ⁉」
「食べさせてくれないのっ⁉ ひどいっ!」
「こんなに美味しそうな匂いをさせておいて、見てるだけなんてひどい!」
「クロードの意地悪!」
私の言葉で目の前にある豚の丸焼きを食べられないと知った子供達は泣き出してしまった。
こんな離れがすぐ目と鼻の先にある裏庭で豚を焼いた私も悪かったが、でも、これはレオン様の為なのだ。
いい大人が年端もゆかない子供を泣かせてしまって心が痛むが、それでも私はレオン様に会いたい。
これをリリアナ様に食べてもらったら、もしかしたらレオン様に会えるかもしれないという希望を、そう簡単には手放せない。
子供達は泣き止む気配が無く、かと言って豚を差し出せない私が困り果てていると、「そろそろ焼き上がった頃か?」と旦那様がクラウス様と話をしながら呑気にこちらに歩いてきた。
「お前が裏庭で朝からずっと豚を焼いていると聞いて、焼き上がりを楽しみに待っていたんだ。……おおっ、旨そうに焼けているじゃないか。クロード、早く切り分けてくれ」
……え、旦那様まで?
私がまさか旦那様までとその言葉に耳を疑っていると、こちらに歩いてきた旦那様は子供達が泣いているのに気づき、その頭を優しく撫でながら声を掛けた。
「うん? お前達はどうしてそんなに泣いているんだ? 何か悲しい事でもあったのか?」
「クロードが豚を僕達に食べさせてくれないんです!」
「ずっと良い匂いがして、楽しみに待っていたのに、僕達には分けてくれないって!」
「クロードはひどい!」
旦那様に優しく問われた子供達は、堰を切るように一斉に私を非難し始めた。
その騒ぎに、何事かと集まってきた他の使用人達も、「大人げないことをするな」と口々に言い始めた。
……意地悪をするつもりなんて無い。私はただ、レオン様に会いたいだけなんだ。
これをリリアナ様に食べてもらって、レオン様に会いたいんだ。
なんと責められようと、私は一縷の望みを捨てられなかった。
「クロード、これだけ大きな豚なんだから、充分に皆に行き渡るだろう。子供達にも分けてやりなさい」
旦那様が子供達の肩に手を置きながら、私に諭すように言う。
周りの使用人達も、「そうだそうだ」と頷いて、私に皆に切り分けるべきだと言う。
……それでも私は。
「……これは、リリアナ様に召し上がって頂くために準備したのです。ですから、リリアナ様に召し上がって頂くまでは……」
「えっ? わたし?」
騒ぎを聞きつけたのか、リリアナ様がマリアと一緒に裏庭に来ていた。
焼き上がった豚の丸焼きと、泣いている子供達を交互に見たリリアナ様は、困惑したようにマリアと顔を見合わせ、それから少し躊躇いながら私に向かって口を開いた。
「クロード、あなたの気持ちはとても嬉しいわ。でも、わたし一人じゃこんなに食べ切れないから、皆に分けてあげてもらえるかしら?」
…………
リリアナ様にそう言われてしまっては、もう従うしかなかった。
レオン様なら、一人でこれを食べ切れるのに。
私は皆を喜ばせたかった訳じゃない。
皆の為に、朝早くからこんなことをしていた訳じゃない。
ただ、会いたかったのだ。レオン様に。
ただレオン様に会いたくて、ただレオン様の喜ぶ顔が見たくて。
それだけだ。
私は唇を噛み締めながら、肉を切り分け始めた。
「美味しい」「美味しい」と賑わう子供達の声が、虚しく私の耳に響いていた。




