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65. 護衛、ブチ切れる

 一夜明け、今日はラリサ王女とエリオット王子が、リリアナ様に謝罪に来る日だ。


 ラリサ王女が是非にと誘ったお茶会で、リリアナ様がお茶に毒を盛られて命を狙われたこと。

 その毒を盛ったのが、エリオット王子の所謂元カノだったこと。


 ……いくら王族とはいえ、これは謝って済むことか?

 しかも、エリオット王子のせいでリリアナ様が命を狙われたのはこれで三度目だぞ?

 リリアナ様がエリオット王子を好いているならまだ多少は理解できるが、何故、好きでも何でもない、むしろ苦手な男の為に何度も命を狙われねばならないのだ。


 ……ついでに言うと、リリアナ様をお守りするのは私の仕事だから、リリアナ様が危険に晒される度に私も命懸けでお守りせねばならない。

 要するに、私が何度も死にかけているのは、あのエリオット王子のせいと言うこと。

 ……あいつ。

 心の奥から沸々と怒りが湧いてくる。


 「マリア、もし私がエリオット王子に手を掛けようとしたら止めてくれ」

 「……ちょっと、物騒なことを言うのやめてよ」


 エリオット王子とラリサ王女を迎える準備を整えるため応接間に行く途中で、横を歩くマリアに、万が一に備えてとりあえず頼んでおく。

 あの二人がリリアナ様に会いに来て、何事も起こらないということが微塵も想像出来ないのだ。


 「……そういえば、マリア。昨日のカリスタ邸で、私がエミリアに襲われかけたところを東屋から見ていたんだよな?」

 「ええ、見ていたわよ。リリアナ様の目がうつろで様子がおかしかったから側で支えながら、エミリアを追いかけて行ったあなたを見ていたの。そうしたら意識が朦朧としていたはずのリリアナ様が、急にあなたの方に向かって走り出して、何が起きたのか訳が分からなかったわ」

 「……何が見えた?」


 どこまで見えたのか、確認しておきたかった。 

 リリアナ様が私に飛び蹴りをして、私の襟首を掴んで強引にキスしたのを、見られたのかどうか。

 東屋からは多少の距離があった。

 見えたのか、それとも見えなかったのか、どっちだろう。


 マリアは顎に手を当てて思い出しながら、言葉を続けた。


 「えっと確か、エミリアの手にナイフか何か光る物が見えたわ。それをあなたに向かって振り下ろそうとしているところにリリアナ様が駆けつけたの」

 「……ん? 駆けつけた? 蹴り飛ばしたじゃなくて?」

 「駆けつけた、よ。蹴り飛ばすなんて、リリアナ様がそんなことするわけないでしょ」


 マリアはぷいっと顔を背けた。


 ……こいつ、リリアナ様の飛び蹴りを見なかったことにしようとしているな。

 実際、蹴り飛ばしたのはリリアナ様じゃなくてレオン様だが。


 ……ふっ、マリア。お前は知らないだろうが、リリアナ様は実はめちゃくちゃ強いんだぞ。エリオット王子を拳で吹き飛ばすリリアナ様を目にしたら、マリアはどんな顔をするだろう。想像しただけで、笑いがこみ上げてくる。


 「何を笑っているの?」

 「……いや、何でもない。それより、その、リリアナ様が駆けつけた後は?」

 

 リリアナ様が私にキスしたのを、見たのかどうか。


 「リリアナ様があなたの名前を叫んで駆けつけて、その後は何か話をしているようだったけど、リリアナ様の頭で隠れてあなたの顔は見えなかったし。ちょっと遠くて、正直言ってよく分からなかったわ」


 ……見えなかった。リリアナ様の頭で死角になって見えなかったのか。

 ……良かった。

 ほっと胸を撫で下ろした。

 マリアに見えなかったのなら、その横に居たはずのラリサ王女とカティア様にも見えなかっただろう。良かった。


 ……だが、飛び蹴りは間違いなく見られた。

 あの二人は以前、レオン様の飛び蹴りを見たことがあったはず。

 向こうがどう出てくるか分からないし、用心するに越したことは無いと、マリアに耳打ちをする。


 「……え、何それ? どういうこと?」

 「とにかく頼む」

 

 **


 エリオット王子とラリサ王女がグランブルグ伯爵邸に来たのは、夕方になってからだった。


 いつもなら、少しでも早くリリアナ様に会いたい、少しでも長く一緒に居たいと、こちらの都合を無視して朝早くから押しかけてくるのに、夕方に来るのは珍しいと驚いていると、少し寝不足な様子のエリオット王子が口を開いた。


 「……おばあさまの容態があまり良くないんだ」


 聞けば、エリオット王子とラリサ王女の祖母にあたる王太后様が少し前から体調を崩していていたのが昨夜、急に倒れて、そのまま意識が戻らないらしい。


 「おばあさまは、私とラリサを子供の頃からとても可愛がってくださった。……そのおばあさまがこんなことになって、心配で側を離れられなくて、こちらに謝罪に来るのが遅くなってしまった。すまない」


 よほど王太后様が心配なのだろう。エリオット王子は力無くそう言うと、目を伏せた。


 「おばあさまは、いつもわたくしとお兄様に仰っていたわ。……お前達が素晴らしい伴侶に出会うのを楽しみにしていると」


 エリオット王子の横にいたラリサ王女が、真っ直ぐにリリアナ様を見ながらこちらに進んで来た。


 「……だから、おばあさまがこんなことになってしまった今、わたくしには時間が無いの。……レオン様、どうかわたくしを許してくださいませっ」


 そう言うとラリサ王女は、いきなりリリアナ様の髪を思い切り引っ張った。


 「……きゃあっ、痛いっ」


 遠慮無しに両手でびーびー引っ張るラリサ王女に、リリアナ様が髪を押さえて叫び声を上げる。

 いきなりの無体な行動にマリアが目を剥いているが、相手が王女では手出しが出来なかった。


 「……カティア、取れないわ。本物よ」


 ラリサ王女がリリアナ様の髪を引っ張りながら、後ろに控えているカティア様に声を掛けた。

 リリアナ様が悲鳴を上げながら痛がる様子を見たカティア様は、冷静に「では、次を」と言った。

 その言葉を聞いたラリサ王女は一瞬躊躇いながらも、「ごめんなさいっ」と言って、リリアナ様のドレスの胸元を引っ張り、中を覗いた。


 「……きゃあっ」


 ……何をやってるんだーーーー! この王女は⁉ 気が触れたのか⁉


 「カティア、無いわ。見当たらないわ」


 胸元をラリサ王女に除かれたリリアナ様が顔を真っ赤にして、手でしっかりドレスの胸元を押さえて震えながら後ろに下がった。

 そんなリリアナ様にさらに追い打ちをかけるように、カティア様がラリサ王女に何かを指示した。


 ラリサ王女はリリアナ様の前に立ち、困ったような恥ずかしそうな表情で、「ごめんなさいっ。許してっ」と言うと、いきなりリリアナ様の、胸を、……揉み始めた。


 後ろで困惑した表情で見ていたエリオット王子とオリヴィエ様が、口をあんぐりと開けて固まっていた。

 マリアはまるで悲鳴をあげるように口を大きく開けたまま、瞬きをすることすら忘れているようだった。


 「……カティア、どうしよう、本物よ、これ」


 ラリサ王女が泣きそうな顔でカティア様を振り返って見る。


 「だって、思い切り持ち上げても、寄せても、引っ張ってもずれないもの。これがもし詰め物なら、わたしだって欲しいわ」


 そう言いながら手を動かし続けていた。


 ……ちょっと、いつまで揉んでるんだ⁉


 相手が王女で自分とは身分が違うと分かっていても、それでもさすがに我慢の限界を超えて、ラリサ王女をリリアナ様から引き離そうと私が手を伸ばすより先に、リリアナ様の体がふにゃりと崩れて、その場に倒れた。


 「リリアナ様!」


 我に返ったマリアが駆け寄り、倒れたリリアナ様を抱き起こす。

 

 両親に心配をかけないようにと「自分一人で大丈夫」と気丈に振舞っていたリリアナ様。

 さすがにこれ程の無体は想像もしていなかっただろう。


 ……昨日の謝罪に来たのではなかったのか。

 お前達のせいでリリアナ様は何度も命を狙われて危険な目に遭っているのに、その上さらにこんなことをするとは。……よくも。


 「……クロード!」


 抑えなければならないのは分かっているが、怒りに体が震える。

 ぎりぎりと歯を噛み締めて必死に堪えるが、どうにも抑えきれず、ラリサ王女を睨みつける目から感情が漏れる。


 「……あの、わたくし、ごめんなさい。…そんなつもりじゃなくて、あの」

 

 ラリサ王女が後ずさりながら弁解する。

 

 「クロード、私達が悪かったっ。昨日のことと言い、今のことと言い、本当に申し訳ないっ。許してくれっ」


 床に頭を摺りつけるようにしてエリオット王子が謝罪する。

 

 ……元はと言えば、お前のせいじゃないか。

 リリアナ様は嫌がっているのに、お前がいつまでもしつこく追いかけまわすから、周囲にリリアナ様が勘違いされて、アンリエッタ嬢やエミリアみたいな女が次々に現れるのだ。

 ……どうしてくれよう、この男。


 我慢が限界に達しようとしたその時、ふいに、怒りに震える私の手を、何処からか出てきた冷たい手がぎゅっと握った。


 ……え。


 私の手を握る小さな手の先を見ると、リリアナ様だった。

 リリアナ様が意識の無いまま、私の手を握っていた。


 ダメだと。抑えろと。

 まるで私を諫めるように、華奢な手が私をその場に留まらせ、その手の冷たさが、私の熱を一気に冷ました。


 自分の立場も忘れて怒りに飲み込まれていた私は我に返り、意識の無いまま私の手を握るリリアナ様の側に、片膝をついてしゃがんだ。


 私の手を強く握って諫めているのがリリアナ様なのか、それともレオン様なのか、私には分からない。

 それでも私の大切な方が、自分がこんな状態にも関わらず、抑えろと我慢しろと私に言っていた。


 私の手を握るその冷たい小さな手に、私は自分のもう片手を添えて、そっと呟いた。


 「……取り乱して、申し訳ありませんでした」

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