64. 勇気を出して初めの一歩
グランブルグ伯爵邸に戻り、少ししてから目覚めた時に、現れたのはリリアナ様だった。
もしかしてリリアナ様の姿のままレオン様の意識がまた現れることもあるかもしれないと、カリスタ子爵邸で一瞬現れたレオン様の意識がまだ残っているかもしれないと、心のどこかに淡い期待を抱きつつ待っていたが、レオン様はもうそこにはいなかった。
少しだけ寂しい気持ちも感じながら、それでもやっとリリアナ様の意識が戻ったことを皆と一緒に喜んだ。
リリアナ様はお茶会の時のことを、ほとんど覚えていなかった。
ラリサ王女に挨拶をしてから、席に着いた辺りまでは記憶があったが、少しして意識が朦朧とし出したらしく、それ以降は、自分が薬を盛られていたお茶を零したことも、代わりのお茶を飲まなかったことも、何も覚えていなかった。
「まさか王都のカリスタ子爵邸で、そんなことが起きるとは思わなかった……」
マリアからお茶会でのいきさつを聞いた旦那様は言葉を失い、その旦那様の横で、奥様が不可解そうに首を傾げていた。
「それにしても何故、ギリエル男爵はここまで執拗にリリアナを狙うのかしら。元々はアンリエッタがリリアナに猟犬をけしかけて襲わせたのが始まりでしょう。私達は、何もしていないのに」
「……いや、恐らく、私達がしたと思っているのだろう。天に誓って、私は報復などしていない。だが、向こうはそうは思っていない。猟犬でリリアナを襲った後に自分たちが猟犬で襲われ、火を仕掛けたら、さらに被害が大きくなって自分達に返ってきた。私達が倍返しにしていると勘違いして、恨みを募らせているのだろうが、事がここまで至ってしまったら、もはやこちらの言い分など聞く耳も持たないだろう」
「誰がそんな余計なことをしてくれたのか分からないけど、結果として、王族まで巻き込んでしまったわね」
旦那様が奥様と顔を見合わせて、大きなため息をつき、頭を抱えた。
「私はただ家族で穏やかに暮らしたいだけなんだ。リリアナを王族に嫁がせようなんて考えたこともないし、可愛い娘に望まぬことを強いるつもりも毛頭無い。……どうしたらリリアナが危険なことに巻き込まれずに済むのか」
頭を抱えて唸る旦那様の背中に、奥様がそっと後ろから手を添えた。
「明日は、エリオット王子とラリサ王女が謝罪に来るそうよ」
「謝罪なんか要らないから、もう二度とリリアナには関わらないで、放っておいて欲しい。あの二人に関わると碌なことが無い」
心底嫌そうな声で吐き捨てるように言う旦那様を、奥様が何とか宥めつつ、リリアナ様に声を掛ける。
「リリアナ、あなたの体調はどうなの? カリスタ邸で倒れて、ずっと意識が無かったけれど、明日謝罪に来るというラリサ王女とエリオット王子の応対は出来そうかしら? 厳しいようなら、わたしが代わりに相手をするから、あなたは休んでいてもいいわよ」
心配そうに見る奥様に、リリアナ様が首を振って気丈に答えた。
「いいえ、お父様とお母様にこれ以上心配をお掛けできません。それに、わたしはいつも守られているばかりで何もしていないので、せめてこれくらいは自分でしなければ。ですから、明日はわたし一人で大丈夫です」
それは、少し意外な言葉だった。
リリアナ様は小さい頃からずっと周りに愛されて、大切に守られてきた。
名門伯爵家の令嬢なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
過保護とも言える旦那様の溺愛っぷりで、リリアナ様は常に受け身で、自分から何かを強く望んだり、何か行動を起こしたりということが無かった。
内気で恥ずかしがり屋で、控えめ。そんな方だった。
そんなリリアナ様が、旦那様と奥様に心配は掛けられないと、自分一人で面倒な王族に対応すると言う。
ずっとリリアナ様にお仕えしてきたが、こんなことは初めてだった。
何かあるとすぐに私の後ろに隠れていたリリアナ様が、来客があるとすぐにどこかに逃げていたリリアナ様が、こんなことを言う日が来るとは。
私が感慨に耽っていると、「そんなに早く大人にならないでくれ」と旦那さまが滝の涙を流していた。




