62. 少女の儚い夢
謀られたと悟ったエミリアは、悔しそうに座り込んだまま指で土を掻いていた。
それ以上口を割る様子の無いエミリアを見たラリサ王女は、自分の後ろで、心配そうに成行きを伺っていたカリスタ子爵夫人に視線をやった。
「……カリスタ子爵夫人、これはどういうことかしら? 私の大切なお客様に毒を盛るとは。……これは、あなたの指図なの?」
「い、いいえっ。わたくしではありませんっ。わたくしは何も知りませんっ」
カリスタ子爵夫人がラリサ王女の言葉に慌てて前に出てきて、釈明する。
「確かに、わたくしがリリアナ様にお茶を入れて差し上げるように言いましたが、毒を盛るなんて、そんなことわたくしは命じておりませんっ」
「エミリアは、あなたの所のメイドでしょう?」
「……この者は、その、ある方に我が家で雇って欲しいと頼まれたのです」
このままでは自分が主犯にされてしまうと、カリスタ子爵夫人は懸命にラリサ王女に申し開きをしていた。
自分のところのメイドが王女の客に毒を持ったとなれば、カリスタ子爵家もただでは済まない。
それゆえ夫人は必死だった。
「……あなたの言う、ある方とは、誰のことなの?」
ラリサ王女に問われて、言い難そうにカリスタ子爵夫人は一度は顔を伏せたが、このままでは己が身の破滅と覚悟を決めたらしい。
顔を上げて、躊躇いがちにその名を口にした。
「……ギリエル男爵です」
……ギリエル男爵!
二度もリリアナ様の命を狙ったギリエル男爵家が、ここでもまた、三度目までも関わっていたことに愕然とする。
……何故、ここまで執拗にリリアナ様を狙うのだ。
リリアナ様は何もしていない。
完全な逆恨みじゃないか。
「あなたは、日頃からギリエル男爵と付き合いがあったの? ……それに、エミリアとエリオットお兄様とのことを、あなたは承知していたの?」
ラリサ王女の問いに、眉間に皺を寄せて苦しそうにカリスタ子爵夫人が答えた。
「……直接付き合いがあるのは、わたくしではありません。恥ずかしながら、……夫が、……ギリエル男爵に多額の借財がありまして、この者を預かれば返済を猶予すると言われて引き受けたのです。それに、わたくしは、この者とエリオット殿下のことは存じませんでした。先程のラリサ殿下のお言葉で初めて知ったのです」
「嘘よっ!」
地面に座り込んだままのエミリアが、横でラリサ王女の前に跪いて弁明するカリスタ子爵夫人に向かって声を上げた。
「ギリエル様がわたしに仰ったわっ。カリスタ子爵家の養女になれると。もう話はつけてあるからと」
「……えっ、養女? 知りませんっ。わたくしはそんな話、夫から聞いておりませんっ」
カリスタ子爵夫人が目を見開いて、慌てて否定した。
エミリアの言葉に、ラリサ王女が首を傾げながら尋ねた。
「あなたが、何故、カリスタ子爵家の養女になるの?」
「エリオット様の妻になる為よ」
ラリサ王女にカリスタ子爵夫人、その場に居る者達が息を呑むのが分かった。
「……エリオットお兄様の妻になる為?」
「そうよ。……平民のわたしでは、どんなにエリオット様と愛し合っていても、身分が違い過ぎて妻にはなれない。……だから、あんな女なんかにエリオット様は脇見をしてしまったのよ」
そう言って、気を失ったままマリアに体を支えられているリリアナ様を、エミリアが憎々し気に見た。
「ギリエル様がわたしを憐れんで、手を差し伸べて下さったの。カリスタ子爵家に養女の話を通してあるから、しばらくメイドとして働きながら礼儀作法を身に付けなさいと。首尾よく邪魔なリリアナを消したら、エリオット様も必ずわたしの所へ戻ってきて下さるだろうって」
エリオット王子が自分の元へ戻ってくると、うっとりと夢見る表情で語っているところに水を差すようだが、子爵家の養女になるのにメイドとして働く? リリアナ様を消したら、エリオット王子が自分の所へ戻ってくる?
冷静に考えれば話が可笑しいと分かりそうなものだが、恋に目が曇って分からなかったのか。この少女は。
……そして、そんなことすら分からないような少女を、ギリエル男爵は自分の手駒として使ったのか。リリアナ様の命を奪う為に。
「……あなたに薬を与えたのも、ギリエル男爵なの?」
「リリアナは悪い女なのよ。伯爵家の娘だからって、身分をかさに着て、愛し合っているわたしとエリオット様を引き裂こうとするんだもの。懲らしめてやらなくちゃいけないの」
厭わし気にリリアナ様を見たエミリアは、地面に手をつき膝で歩いてラリサ王女の前に行き、その顔を見上げながら微笑んだ。
「あなたのお茶には何も入れていないから、心配しないで。入れたのはリリアナだけよ。だって、あなたはエリオット様の妹で、わたしの義妹になる人よ。傷つけるわけない。ふふっ」
自分がどれほど重大な罪を犯したのかも、もはや理解出来ていないような無邪気なエミリアの笑顔に、ラリサ王女は顔に手を当てたまま、天を仰いだ。
カティア様は控えていたカリスタ家の執事を促し、エミリアを捕らえて下がらせると、マリアが抱き支えている意識の無いリリアナ様の顔を腰を屈めて覗き込んだ。
「……リリアナ様は、あの者が入れたお茶を一口も口になさいませんでしたから、そのうちに気が付かれるでしょう。薬に関する知識をお持ちですので、もしかしたら何か異変に気付かれたのかもしれませんね」
「……え、リリアナ様が、薬の知識?」
思いも寄らぬ言葉に思わず声を上げるマリアを無視し、カティア様はちらりと私を見る。
……レオン様だと、言いたいのだろう。
リリアナ様のふりをしているが、実際はレオン様だと、分かっているぞと言いたいのだろう。
……だが、変化をしていない今、ここに居るのは間違いなくリリアナ様なのだ。
どれだけ疑われようと、痛くも痒くもない。
私はカティア様の思惑有り気な視線に気づかぬ素振りをして、ラリサ王女の前に跪いた。
「王女殿下、リリアナ様を一刻も早く伯爵家に連れ帰りたく存じます。どうぞ、退出をお許しください」
「許します。カティア、馬車の用意をして差し上げて」
退出を乞う私に許可を与え、カティア様に馬車を用意するよう指示したラリサ王女は、私の顔を見ながら申し訳なさそうに口を開く。
「……あの、レオン様を、いえ、リリアナをお願いするわね。……リリアナの意識が戻ったら、こんな目に遭わせるつもりは無かったと、私が心から謝っていたと伝えて欲しいの。それと、明日、兄と共にグランブルグ伯爵家に謝罪に行くと、伝えてもらえるかしら」
「……はい、必ずリリアナ様にお伝えします」
意識の無いリリアナ様を抱きかかえて、マリアと共にラリサ王女の前を去る。
ラリサ王女は、下唇を噛み、悲しそうな表情でずっと私達を見送っていた。




