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54. 林檎の結末

 マリアに、「話がある」と呼ばれたのは翌日の昼過ぎだった。


 リリアナ様の部屋に行くと、そわそわと待ちきれない様子で椅子に座っているリリアナ様の前に、腕組みをしてマリアが立っていた。

 ……何やら物騒な気配がする。


 「昨日は帰って来たばかりで疲れているだろうと思って何も聞かなかったけど、何か忘れていることがあるでしょう?」


 ……忘れていること? そんなこと、あったかな?

 思わずマリアにつられて腕組みをしながら色々思い返してみる。


 レオン様のことはマリアにも内緒だから言えない。

 そうなるとレオン様に関わる留守の間のことは、ほとんど話せない。

 それと、リリアナ様がエリオット王子をぶっ飛ばして、私の両頬を殴ったことも、マリアは衝撃を受けそうだから黙っていた方がいいのかな。

 え~と、後はカリスタ子爵邸でのお茶会か。

 これは、ちゃんと話をしてあるし、日にちもまだだし。


 そうすると、忘れてることって何だ?

 何か忘れ物をしてきたんじゃないかと心配しているのか?

 マントも上着も着替えも全部持って帰って来たし。

 忘れ物は無い。大丈夫。


 「何もない」


 「心配してくれてありがとう」とレオン様張りのきらきら笑顔で答えると、マリアが私を超えるきらきら笑顔で尋ねてきた。


 「林檎は?」


 林檎?

 ……っあ、しまったあーーーーーー!!!!!忘れたーーーーーー!!!!!


 自分がやらかしてしまったことに気づき、その場にがくっと膝から崩れ落ちてしまった。


 ……神殿の下げ渡しの林檎。リリアナ様の林檎。

 レオン様に丸ごとボリボリ食べられたあの林檎。

 後で買っておくつもりだったのに、絶対に忘れないようにしようと思ったのに、忘れたーーーー!

 ……しまった、どうしよう?


 そうっと伺うようにリリアナ様の様子を見ると、顔をほんのり紅潮させながら私の返事を待っている。

 無垢なきらきらの瞳が眩しいっ。


 ……いや、だって、もしレオン様に食べられなかったとしても、火の中をくぐったし、川に落ちたし、もう焼き林檎か林檎の水煮だろう。

 それを何故、無事に残っていると思うのか。思わないだろう、普通。


 だがしかし、男に襲われても、火に囲まれても、川に落ちても手放さなかったリリアナ様の執念を想えば、絶対に忘れてはいけなかったのに、うぁ、忘れてしまった……!


 また、この両頬をリリアナ様に差し出すしか無いのか……。

 二日連続でリリアナ様に殴られることを覚悟して、打ち明ける。

 

 「…う、あの林檎は、その、お腹を空かせた子供に食べられてしまって、もう無い」


 ……嘘は言ってない。

 お腹を空かせたレオン様が食べてしまったのだから。

 ……いや、待て。

 レオン様はリリアナ様なのだから、リリアナ様が食べたのと同じことで。

 ……しまった。リリアナ様が食べたと言うべきだったか。


 マリアが背中に火焔を背負いながら、床に両手をついたままの私の襟首を掴んで凄む。


 「……無い、だと? 己は自分が何をしにわざわざ隣町の神殿まで行ったのか、忘れたのか? 林檎の為でしょうが」

 

 ……はい、そうです。

 でも、ちゃんとリリアナ様が食べたから(レオン様だったけど)、きっとご利益はあるよ、大丈夫。……とは言えないんだよなあ。つらい。


 私の襟首を掴んだままのマリアの手をぽんぽんと軽く叩きながら、せめてもの言い訳をする。


 「…うぁ、でも、崖から飛び降りたし、川にも落ちたし、その、失くしても仕方ない、かな?」

 「お腹を空かせた子供が食べたってことは、崖から飛び降りようが、川に落ちようが、林檎は死守してたってことよね?」

 「……はい」


 マリアの背中の火焔が勢いを増して渦になりかけた時、辺りを払うような澄んだ声が響いてきた。


 「もうそれくらいにしてあげて、マリア」


 リリアナ様が椅子から立ち上がり、こちらにゆっくりと歩いてきて、床に座り込む私に優しく手を差し伸べる。


 「クロード、気にしないで。あなたは、あんな目に遭った私を命懸けで守ってくれた。あなたのお陰で私は今こうしてここに居られるのだから、感謝こそすれ、責めるなんて出来ないわ。……ただ、ちょっと、林檎はどうなったかなあなんて、気になっただけよ」


 穏やかに微笑んでいるが、少しぎこちないように感じるのは私の気のせいだろうか。

 あれほど欲しがっていた恋が叶うとか言う林檎。

 手に入れたのに、あんなに嬉しそうに頬ずりまでしていたのに、食べられなかったことが心残りなのだろう。


 でも、食べましたよ。ちゃんと。あなたが。

 目の前で残念そうに目を伏せるリリアナ様に伝えてあげたいが、それは出来ない。


 あの時はレオン様だったけど、でもレオン様はリリアナ様なのだから、同じだろう。

 ……まさか、レオン様の恋が叶って、リリアナ様の恋が叶わないなんて、そんなことはないだろうし。


 差し伸べられた手を取って立ち上がり、寂しそうな表情のリリアナ様の顔を伺いながら声を掛けてみる。


 「あの、リリアナ様。宜しければ、また来年、神殿に行きましょう。今度こそは必ずリリアナ様に林檎を召し上がっていただけるようにしますから。何なら、次は私も林檎を貰って、私の分も差し上げます」

 

 リリアナ様の顔が一瞬歪んだ。

 困惑したようにも、泣きそうなようにも見えるその表情からリリアナ様の気持ちが読み取れずにいると、マリアが後ろから手を伸ばして私の口を塞ぎ、私の上着を引っ張って後ろに下がらせた。


 「それ以上余計なことは言わなくていいから、ちょっと引っ込んでいて」


 私を後ろに追いやると、何やらくるくると丸められて筒状になった紙のような物を手に、マリアがリリアナ様の前に立った。

 そして、何事かと見るリリアナ様の目の前で、その筒状になった物を広げてみせた。


 「こんなこともあろうかと、リリアナ様の為に用意していたんです。見てください、これ。素敵でしょう?」


 マリアがリリアナ様に見せたのは一枚の絵だった。

 神殿らしき建物を背景に、黒いマントを纏った長身の黒髪の騎士が、赤い林檎を手にした恋人と思われる美しい令嬢を抱きかかえ、微笑みながら頬に口づけをしている。


 ……この令嬢の顔、リリアナ様か?

 気品があり、リリアナ様の柔らかい雰囲気も、はにかむような表情も良く描けていて、かなり腕の良い絵師が描いたものであることが見て取れる。


 その絵を前に、さっきまで沈んだ表情だったリリアナ様がぱあっと明るい顔になり、弾んだ様子でマリアを見る。

 

 「……これ、もしかしてクロード?」


 ……え、私?

 思わず絵を二度見する。


 「そうです、お嬢様とクロードの絵です。これを描いた絵師が神殿で、お嬢様とクロードをたまたま見かけて絵心を刺激されたとかで、その日のうちに一気に描き上げて売りに出したらしいのです。それで、今この絵が隣町で大人気で、同じ物があちこちに飾られているんですよ」


 ……この騎士が、リリアナ様を抱きかかえて微笑んで頬に口づけをしているこの騎士が、私? 売り出されて、あちこちに飾られている? なんだそれ?


 「この甘い雰囲気、素敵だと思いません? 絵師が言うには、見たままをそのまま描いたらしいのですが、……こんな楽しいことがあったんですね」


 マリアがにやにやと私を見ながらリリアナ様に耳打ちし、リリアナ様がぽっと顔を赤くして下を向く。


 え、ちょっと待て。

 私はそんなことしてない。

 リリアナ様、否定してください。

 マリア、こっちを見ながらにやにやするのはやめろ。

 私はそんなことしてないって。

 こんなのが町中に飾られているなんて、恥ずかしくてもうあそこには行けない。

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