53. 思い知る身分の差
リリアナ様が無事に帰ってきたことに大喜びした旦那様は、奥様の呆れ顔も気にせずに、ずっとリリアナ様を抱きしめて側を離れようとしなかった。
やっと帰ってきた娘に美味しいものを食べさせてやりたいと、大急ぎで料理人達にリリアナ様の好物を作らせて、出来上がったそれを手ずから食べさせてやるという、年頃の娘にさすがにそれはどうかと思うような溺愛っぷりまで見せた。
それに戸惑いながらも、心配をかけたからとしばらくそれに付き合ったリリアナ様が、さすがに疲れたと部屋に戻るまで、旦那様の猫可愛がりは続いた。
……まあ、旦那様の子煩悩は昔からなので、こんな光景は屋敷内ではそう珍しい事ではないのだが、……これがもし、レオン様だったらどうだったのだろうとふと考えてしまった。
10年前のあの日、私と出会わなければ、ここに居たのはリリアナ様ではなく、レオン様だったはず。
こんな風に溢れんばかりの両親からの愛情を受けたのはレオン様だったはず。
それを、私が奪ってしまった。
あの日、子供だった私がレオン様にキスしてしまったせいで、本来ならば受け取るはずの愛情も爵位も、名誉も、未来もすべてレオン様は失くしてしまった。
私のせいで。
己のしでかしたことを思い出し、私は唇を噛んだ。
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夜遅く、皆が眠りについた頃、庭の木の根元に座ってぼんやりとレオン様のことを考えていると、奥様が一人で現れた。
私が何やら浮かない顔をしているように見えて、レオン様に何かあったのかと心配になり聞きに来たのだそうだ。
咎めを受けることを覚悟して、奥様の前に跪いて俯きながら「10年前、レオン様をリリアナ様に戻したのは自分だ」と打ち明ける私に、さも大したことでは無いというように奥様はあっけらかんと言った。
「そんなに気にすること無いと思うわ」
本来ならレオン様が立派なグランブルグ伯爵家の跡取りになっていたはずなのに、何故奥様がこんなにものほほんとしていられるのか、私には理解できなかった。
「だって、もしレオンが跡取りとして育っていれば、あなたはレオンの護衛ではなかったはずよ」
……え、私がレオン様の護衛では無かった?
どういうことだ?
「リリアナだから、あなたが護衛に選ばれて、今またレオンに会えたのよ」
……え、え、意味が分からない。
リリアナ様だから私が選ばれて、レオン様なら私は選ばれなかった?
混乱する私に、奥様が頬に手を当てて首を傾げながら話を続ける。
「10年前、我が家で貴族の子弟を何人か預かっていたのを覚えているかしら?」
確か、旦那様の遠縁にあたるアレクシオ様と、その他にダリエル様と…。
「そうよ。その中でも特にアレクシオが酷かったのだけれど、長子ではなく爵位の継げない彼らは、どうにかしてのし上がろうという野心がとても強くてね、夫がリリアナに近づけるのを嫌がったのよ。何かあってからでは遅いと言って、リリアナを守る為に、急いで彼らの出仕先を探して屋敷から追い出したの」
奥様がふふっと笑って私を見る。
「その点、あなたは申し分無かったわ。平民とはいえ、剣の腕はクラウスの目に適ったし、真面目で忠誠心も強く、リリアナを利用して成り上がろうなんて考えは微塵も持っていないし。今回のことで、あの時、あなたを選んだのは正しかったと胸を張って言えるわ」
跪いたまま話を聞く私の頬に奥様がそっと触れた。
「でもね、レオンだったら、あなたではなくアレクシオが選ばれていたはずよ。その身分故にね」
……平民の私ではレオン様にお仕えできない。
如何ともしがたいその事実に、私は打ちのめされた。
力なく項垂れる私の顔を、奥様が両手で触れ、そっと自分の方に向かせた。
「今度もしレオンに会ったら、本人に直接聞いてみるといいわ。あなたのいない伯爵家の跡継ぎとしての将来と、あなたと一緒の今と。どちらを選ぶのか、レオンに直接聞いてみなさい」
……レオン様に、直接聞く。
……そんなことは恐ろしくて、とても私には出来ない。
お前のせいですべて失ったのだと、レオン様に罵られ責められるのが辛い。
奥様が呆れた顔をして私を見た。
「あなたって、本当に鈍い子ねぇ。まぁ、そんなあなただから私も安心してリリアナとレオンを任せられるのだけど、これじゃあ、あの子達も苦労するわ」
指で軽く鼻先をはじかれて戸惑う私に、奥様が笑いかける。
「レオンは、例え伯爵家の跡継ぎとしての将来を失くしたとしても、きっとあなたを選ぶはず。それにね、何が幸せかはレオンが決めることよ。クロード、あなたが思い悩む必要はないわ」
……何が幸せかはレオン様が決めること。
奥様のその言葉が、自責の念に押しつぶされそうになっていた私の心に沁みた。




