52. 顔に書くな
「私じゃないぞ。最初に言っておくが、私は何もしていないぞ。勝手に疑うなよ?」
エリオット王子に馬車で屋敷まで送ってもらい、無事に帰り着き早々、私の顔を見るなり開口一番に旦那様がまくし立てた。
「……私はまだ何も言っていませんが」
「お前の顔に書いてある」
思わず手で自分の顔を隠してしまった私を、旦那様の護衛騎士のクラウス様が横で苦笑している。
「お前、私を疑っているだろう。失礼な奴だな。幾らリリアナが可愛くても、私にだって分別はある。証拠も無しに馬鹿な真似はしない」
「クロード、心配しなくていい。ギリエル邸のことは、本当に旦那様も私も何もしていない。一切無関係だ」
その言葉にコクコクと頷く旦那様とクラウス様の顔を交互に見る。
馬車の中でギリエル邸の火事の話をオリヴィエ様から聞いてからずっと頭の中で渦巻いていた恐ろしい考えが払拭されて、ほっとする。
……旦那様は関係なかった。
こんな恐ろしいことに関わっていなかった。良かった。
「……そもそも私は、お前からまだ何も報告を受けていないし」
旦那様がちらりと私を見た。
……あっ。
屋敷に帰って私の顔を見るなり「私じゃないぞ」と旦那様に言われて、その話をしていたので報告がまだだったことを思い出し、慌てて説明する。
隣町の神殿に行った帰りにアンリエッタ嬢の乳兄弟に襲われたこと。
馬車のドアに細工をされて出られないようにされ、火を点けられたこと。
山道を爆破されて落石で逃げ道を塞がれたこと。
そして私がリリアナ様を抱えて、崖から飛び降りたこと。
旦那様とクラウス様は真っ青になり絶句していた。
ふらふらとよろけた旦那様はクラウス様が支えられながら、まじまじと私を見た。
「……クロード、お前、よく生きていられたな」
自分でもそう思う。
あの高さの崖から飛び降りて、よく生きていられたと。
死を覚悟した。
……この命と引き換えにしても守りたかったのだ。リリアナ様を、……レオン様を。生きていて欲しかった。
……再び会えた時の、私をずっと抱きしめてくれていたレオン様の温もりは今でも覚えている。
だが、私が生きながらえたのは、私に薬を与えてくれた見知らぬ誰かのお陰だ。
おそらく死にかけていただろう私に、大金持ちの貴族しか手に入れられないという貴重なキオウを与えてくれた誰か。
……大金持ちの貴族?
……え、もしや旦那様?
グランブルグ伯爵家は名門で、私のような者に金に糸目を付けずに作らせたマントを何度も与えられるほど裕福だ。
……旦那様ならば、高価なキオウを手に入れられる?
リリアナ様を守るために、死にかけていた私を生かした?
いや、旦那様はリリアナ様がギリエル男爵家の者に襲われてことを今まで知らなかったし、それに、もし私を助けてくれたのが本当に旦那様なら、あの場に私とレオン様を残して去ることは有り得ない。
必ず自らレオン様を連れ帰ったはず。
……ということは、私を助けたのは旦那様ではない。
やはり、善意の貴族が偶然にあそこを通りかかったのだろうか。
偶然、通りかかったであろう見知らぬ貴族に私は助けられた。
偶然、リリアナ様を火で襲ったギリエル男爵家が放火に遭った。
偶然が重なりすぎて、もやもやする。
「……今回のギリエル邸の火事には私は一切関わっていないが、もしリリアナが無事に帰って来ないようなことがあれば、私は躊躇わずに手を下したかもしれない」
クラウス様の手を放し、私の元へよろけながら歩いてきた旦那様が、私の両手を握って言葉を続ける。
「クロード、お前のお陰だ。お前が命懸けでリリアナを守ってくれたお陰で、リリアナは無事に私の元に帰ってきて、私も罪を犯さずに済んだ。すべて、お前のお陰だ。クロード、ありがとう。心から礼を言う。お前には感謝してもしきれない。私の娘を守ってくれてありがとう。お前がいてくれて本当に良かった」
旦那様が握りしめる私の両手に涙の粒がぼとぼとと落ちてくる。
クラウス様がそんな旦那様と私を見ながら、「よくやった」と私の肩に手を置いた。
そうして初めて、やっと帰って来たのだと、己の務めを無事に果たせたのだと、私は一息つくことが出来た。




