49. 空気を読んで、身を捧げる雉
夜が明けた。
レオン様のことを想い、私は眠れないままドアの前で一晩過ごした。
一階へ行き、リリアナ様の身支度と食事の手伝いを頼むと、女将が私の顔を見て「あんな廊下じゃよく眠れなかったでしょう。酷い顔をしてますよ」と心配していた。
リリアナ様が身支度を終えたら、挨拶に行かねばならないのは分かっているのだが、どんな顔をしてリリアナ様に会ったらいいのか分からなかった。
レオン様の未来を奪った私が、素知らぬ顔をしてリリアナ様の側にいるのも良心が痛む。
何より、レオン様と同じ顔をしたリリアナ様を見るのが辛いのだ。
印象が違うとはいえ、同じ造りのあの顔で見られて、平静でいられる自信が無い。
しかし、リリアナ様に戻ったのなら、すぐにでも屋敷に帰らなければならない。
このまま顔を合わせずにいる訳にもいかないし、どうしたものかと考えていると、女将がリリアナ様が朝食を終えたと声を掛けてきた。
覚悟を決めて、部屋の中にいるリリアナ様に声を掛ける。
「……リリアナ様、クロードです」
中へ入ると、私の顔を見た瞬間、リリアナ様がぱあっと笑顔になる。
そのリリアナ様の笑顔に居たたまれず、思わず顔を背けた。
「……食事が済んだようなので、もうここを出ます。……旦那様と奥様が心配なさっているはずですから、急ぎましょう」
女将が寝台の横にまとめてくれていた荷物を取り、足早に部屋を出ようとして、ちらっとリリアナ様を伺うと、困惑した表情をしていた。
……それがリリアナ様だとは分かっていた。
しかし、その時の私には、それが困惑したレオン様の顔に見えて、レオン様に無言で責められているような気がした。
自分がレオン様に対して、してしまったことは分かっている。
だが、いつも私に向けられていたレオン様の無邪気な笑顔が消えて、私を責める顔に変わってしまったことに耐えられず、そこから逃げるように部屋を出た。
「……あっ、待って」
背後でリリアナ様の声が聞こえ、私を追ってくる小さな靴音が聞こえる。
宿代の支払いは済ませていたので、そのまま外に出ると、もう日が高く昇っていた。
昨夜、レオン様と蛍を見に外に出た時の静けさとは打って変わって、人通りも多く賑やかで、寝不足の私にはその明るさが目に沁みた。
「……クロード」
私を追って宿から出てきたリリアナ様が、私の袖を掴む。
リリアナ様の顔をまともに見られない私は、気づかない素振りをして顔を背け、馬車を借りるための馬繋場を探す。
行き交っている馬車がいるのだから、近くに馬繋場があるはず。
「馬車を探してくるので、リリアナ様はここで待っていてください」
「……待って、行かないで! クロード!」
宿の入り口にリリアナ様を残して、一人で馬繋場を探すために歩き出すと、リリアナ様の悲壮な叫び声が聞こえた。
振り返って見ると、リリアナ様が今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
私はリリアナ様に駆け寄ることも、声を掛けることも出来ずに、固まったままその場に立っていた。
「……おや、クロードじゃないか」
通りに立ち尽くしリリアナ様を見ている私の背後から、聞き覚えのある声が降ってきた。
たまたま通りかかったらしい、私の後ろに停められた仰々しい馬車の中から顔を出したのは、エリオット王子付きのオリヴィエ様だった。
「おや、リリアナ様も」
私の視線の先を見たオリヴィエ様がリリアナ様の名前を口にすると、馬車から勢いよく誰かが降りてきた。
「リリアナ⁉」
……エリオット王子だった。
その場に流れる微妙な空気を読んだのか、エリオット王子は勢いよく馬車から降りてきたものの、視線をあちこちにきょろきょろさせただけで、その場を動かなかった。
そして、ちらりとオリヴィエ様に視線をやり、オリヴィエ様が軽く頷くのを見てから、ゆっくりとリリアナ様に近づいて大袈裟に抱きしめた。
「会いたかったよ、愛しのリリアナ! そんな顔をして、私に会えなくて寂しかったんだね! 嬉しいよ!」
……この王子は学習能力が無いのか?
前にもリリアナ様をいきなり抱きしめて吹き飛ばされているのに、何をやっているのかと呆れていると、案の定、リリアナ様の右の拳に吹き飛ばされて、きらりと何処かへ消えていった。
こんな阿呆な王子を何度も探しに行くオリヴィエ様と護衛騎士達も大変だと思っていると、オリヴィエ様が馬車から降りてきて、厳しい顔をして私の前に立った。
「……クロード、何があったかは知らないが、主にあんな顔をさせてはいけない」
リリアナ様は右の拳を突き上げたまま、両目にいっぱい涙を溜めて、唇を噛んで私を見ていた。
……リリアナ様。
主にあんな顔をさせてはいけないことは分かっている。
私だって、今まで大切に、命を懸けてお守りしてきたリリアナ様にあんな顔をさせたくはない。
だが、レオン様の未来を奪っておいて、どんな顔をしてリリアナ様の側にいたらいいのか、分からないのだ。
オリヴィエ様に返す言葉を見つけられず、私はただ俯いていた。
軽く肩をすくめたオリヴィエ様は、護衛騎士達に指示をしてエリオット王子を先に探しに行かせ、後を追って自分も探しに行く去り際に私の肩にぽんっと手を乗せて、優しい顔で言った。
「急ぎじゃないのなら、ここで待っていなさい。殿下を見つけてきたら、屋敷まで送ろう」
オリヴィエ様のその優しさがとても有難かった。
……リリアナ様は何も悪くない。それは分かっている。
リリアナ様を傷つけたくはない。だが、リリアナ様と二人きりになると、私はきっとまた傷つけてしまう。
そうならない為に、誰か第三者が側にいてくれることは有難かった。
拳を突き上げたまま、目に涙を溜めて私を見るリリアナ様の元へ歩いていき、そっと手を添えて、その拳を降ろすと、リリアナ様の目からずっと堪えていた涙がぽろっと零れ落ちた。
「……クロード、どうしてわたしを避けるの? わたし、あなたに何かした?」
私の上着を掴み、瞬きもせずに真っ直ぐに私を見る、この大きな青い瞳。
レオン様と重なって見えて、レオン様に責められているようで、辛いのです。
あなたは何も悪くない。悪いのは私だ。




