45. あなたを照らす光
「今夜もきっと蛍が見られる」という見知らぬ老人の言葉に惹かれて、結局、一晩その地に留まることにした。
早めに夕食を終えて、レオン様と二人で蛍を見るために外出しようとすると、宿の女将が声を掛けてきた。
「あら、今からお出掛けですか? その格好だと外はちょっと冷えるかもしれませんよ。私のだけど、良かったらこれを使ってくださいな」
そういって女将は、自分の肩にかけていた肩掛けをレオン様の肩にかけた。
寒くなった時に備えて、一応マントを持っていたが、特別仕様の私の激重マントよりも、こちらのふんわりと柔らかそうな肩掛けの方がレオン様には良いかもしれないと、有難く借りることにした。
宿を出て少しすると、そこはもう明かりも無く真っ暗だった。
昼間は賑やかだった街道も、今はもう人通りも無くひっそりと静まり返り、ただ何処からか虫の音が聞こえていた。
「クロード、真っ暗だよ。何処に行くの?」
驚く顔が見たくて、レオン様には蛍のことは伏せているのだが、暗い夜道に慣れていないレオン様は、私の腕にしがみつきながら恐る恐る歩いている。
「…わっ」
小さな羽虫がレオン様の顔に触れたらしい。
驚いて声をあげて私に抱きついてきたレオン様は、そのまま離れる様子もなく、仕方なく抱きかかえて行くことにする。
甘やかし過ぎかなという気も多少はあるが、……今だけだ。
伯爵家に帰り着いたら、こんなに近くには居られないだろう。
こんな風にレオン様を抱き上げたり、おんぶしたり。こんな風にレオン様と親しく口を利いたり、私の身分では許されることではない。
帰り着いてしまえば、すべて終わり。
夢から醒めねばならない。
そんなことをぼんやりと考えているうちに昼間の小川の近くまで来た。
あの老人は、今夜も見られるはずと言っていたが、どうだろう。
レオン様を抱きかかえたまま、辺りを見回して蛍を探すと、……いた。
小川の向こう側の生い茂る木々の中に、無数の点滅する小さな光が見える。
私も蛍を見るのは生まれて初めてだが、これ程たくさんいるとは想像もしなかった。
……なんと幻想的な光景だろう。
思わず一人で見惚れかけるが、レオン様を喜ばせるために来たのだったと思い出し、私の腕の中でうとうとと眠りかけているレオン様を起こし、そっと降ろす。
「レオン様、川の向こう側を見てください」
眠そうに目をこすりながら向こう側を見るレオン様の表情が変わる。
目が大きく見開かれ、頬が緩み、口元が大きく開く。
「…わあっ、何これ? 蛍? 綺麗!」
私の袖を掴みながら、レオン様が溢れんばかりの笑顔で川の向こう側の蛍と私を交互に見ている。
……ああ、私はレオン様のこの笑顔が見たかったのだ。
夜風で体が冷えないように、肩掛けを広げてレオン様に頭から被せて覆いながら、横に並んで座る。
レオン様が私の方にもたれてきて、私の肩に頭を乗せた。
ゆっくりと点滅する無数の光をしばらく見ていると、そのうち少しずつ移動してこちら側にも飛んでくるようになり、小さな光がすうっーっとレオン様の顔の前を横切った。
……え?
何だろう。……何処かで、見たような、気がした。
私にもたれていたレオン様が体を起こして、自分の顔の前で、両掌を上に向けてくっつけていると、そこに蛍がすぅっと飛んで来てとまった。
暗闇の中で、柔らかい光がレオン様の顔を照らす。
……この光景を、何処かで、見たような気がする。
あれは、何処だったか。……確か、ずっと昔、何処かで見た。……何処かで。
レオン様は肩掛けを頭から深く被り、隙間から見えるその白い肌が暗闇の中で淡い光に照らされている。
首を傾げつつ自分の記憶を探る私を、レオン様は黙ってじっと見つめていた。
……いつだったか、こんなことがあった。
……誰かが、こんな風に何かを深く被って、……顔が光に照らされて。
……あれは確か、私がまだ子供の頃。
…そうだ、初めて祖母に連れられて屋敷に足を踏み入れた日だ。
祖母に急用ができて、一人で離れまで帰らないといけなくなり、初めての屋敷のあまりの広さに迷子になったのだ。
屋敷中を歩き回って疲れ果てて、何処か使われていない部屋に入り込んでしまって、……あの子に会った。
誰もいない暗い部屋の中で、あの子は一人でシーツに包まってそこにいた。
使われていない家具には大きな布が掛けられていて、明かりも無い静まり返った部屋の中で、閉じたカーテンの隙間から月の光が差し込んで、あの子を照らした。
いつも離れで一緒に遊んでいる使用人の子供達とは違う、透き通るような白い肌、大きな青い瞳。思わず息を呑むほど美しい子供だった。
……え。
……あの子の、顔。
……もしかして、あの顔は、あの子は、レオン様?
横に座っているレオン様の顔を見る。
レオン様は、手のひらに蛍を乗せたまま、黙ってじっと私を見ていた。
「……レオン様。……もしかして、私は、ずっと前にレオン様に会ったことがありますか?」




