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44. 水飛沫の向こう側

 荷物をまとめて宿を後にし、「急いで帰らなくても良い」という奥様の言葉に甘えて、レオン様と二人でのんびり街道を歩く。

 街道の脇には小川が流れていて、日差しを受けて川面がきらきらと輝いている。

 

 5歳の時に突然レオン様に変化したリリアナ様は、それ以降は旦那様の厳命により外出を禁じられていたが、時折庭を散歩することはあった。

 しかし、レオン様はそもそも建物の外に出ることすら禁じられていたらしい。

 それゆえレオン様は、ずっと旦那様の書庫に籠り、本を読んで過ごしていたそうだ。

 ……旦那様、5歳の子供にさすがにそれはあんまりな。


 「いいんだ。僕は気にしないから。それに、お父様の書庫には、古い外国の書物もたくさんあってね、お父様に教わりながら読むのがすごく楽しかったんだ」


 …ん?今、さりげなくすごいことを言わなかったか?


 「そう言えば、薬草の試料もたくさん挟んであって、よく食べてたなあ。パリパリして美味しいんだよ、あれ」


 確か前に奥様が、レオン様は全然食事をしなかったと言っていたが、…そういうことですか。試料でお腹いっぱいになって、ご飯を食べなかったと。


 半ば呆れて横を歩くレオン様を見るが、レオン様は鼻歌を歌いながら、時折しゃがんで道端の草を手に取って見ている。


 「草を食べたらダメですよ。ご飯は別ですからね」

 「はあい」


 レオン様が手にしていた草をぽいっと捨てて、前を歩く私の所へ駆けてくる。


 「今日のご飯は何だろう? 楽しみだね」

 「お母様から、何でも好きな物を食べさせてあげて欲しいとお金を預かっているので、好きな物を選んでいいですからね」

 「じゃあ、また豚の丸焼きが食べたい!」

 「……レオン様は豚ばっかりじゃないですか。……やっぱり、さっきの草、食べてもいいですよ」

 「あれ、緩下薬だから。食べたきゃクロードが食べれば?」


 そう言うと、レオン様は何処からか出した草を私の口に突っ込んできた。

 緩下薬? お腹を下す草?

 慌ててぶぅーっと吐き出す私を笑いながらレオン様が向こうへ駆けて行く。


 レオン様に口の中に突っ込まれた草は一応全部吐き出したが、念のために小川の水で口を漱いでいると、近くで老人が何かを拾っているのが見えた。

 私の視線に気づいた老人は笑いながら、拾ったものをひょいと見せて言う。

 

 「ここはね、蛍がいるんだ。川が汚れると蛍がいなくなるから、こうやって気づいた時にゴミを拾ってる」


 ……蛍?


 「他所から来たのかい? 気になるなら見ていくといい。今日のこの天気なら、今夜もきっと見られるはずだから」


 そう言いながら老人は軽く手を振って去って行った。


 ……ここは蛍が見られるのか。それは良いかもしれない。

 奥様に、レオン様に好きなことをさせてあげて欲しいと言われている。

 帰ってきてもきっと屋敷に閉じ込めるだけになってしまう。それならせめて、少しの間だけでも好きなことをして楽しませてあげて欲しいと。


 レオン様に蛍を見せてあげたら、喜ぶだろうか。


 しゃがんで小川を覗き込んでいるレオン様をそっと見る。

 もしかして、これが最後の外出になるのかもしれないのなら、少しでも喜ばせてあげたい。楽しませてあげたい。


 レオン様は小川の水を両手ですくっては空に放り投げ、日の光で反射し、きらきらと輝く水の塊を顔面で受け止めて、喜声を上げながら遊んでいたが、じっとそれを見ている私に気づいてこちらへ駆け寄ってくる。


「どうしたの?」

「どうしたらレオン様が喜ぶか考えているんです」


するとレオン様は急に困ったような顔になる。


「……クロードの裸踊りくらいじゃ、僕は喜ばないよ」

「……脱ぎませんよ」

 

 何処でそんなことを覚えてきたのかと呆れながら見ていると、レオン様はいきなりバシャバシャと小川の中に入っていき、両手で水をすくって私にかけてくる。


 「何もいらない!」


 レオン様がすくっては放り投げる水が空中で光を受けてきらきらと輝く。

 その水飛沫の向こう側でレオン様が笑いながら大声で言う。


 「クロードが居ればいい! クロードが側に居てくれれば、僕は幸せだ! 他には何もいらない!」


 ……この人の笑顔をもっと見ていたい。

 どうしたらずっと笑っていてくれるだろう。

 この笑顔を守りたい。

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