43. 愛しの豚ちゃん
レオン様を甘やかすのは一向に構わないのだが、夜中に勝手に私の寝床に入ってくるのだけは困る。
「貴族の子息ならば、一人で寝られるようにならなければ」と何度言っても聞いてくれない。
そのため私は、仕方なくお面を付けて毎晩寝ているのだが、レオン様はこれがお気に召さないらしく、毎回ぶーぶー文句を言ってくる。
「何でいつも、そんな気持ちの悪いお面を付けて寝るんだよ。夜中に怖いってば」
「レオン様が素直に一人で寝てくれれば、私だってこんな物は付けませんよ」
「甘えさせてくれるって言ったくせに」
「それとこれとは話が別です」
「嘘つき」
「今日はここを発ちますからね。最後に豚でも食べに行きますか?」
「行く! クロード、大好き」
子供なんてこんなものだ。
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さすがに三度目ともなれば慣れたもので、宿を出て、レオン様は一目散にいつもの露店に駆けて行く。
「おう、坊や、今日も来たのか。……坊やみたいな上客に向かって俺が言うのもなんだが、毎日よく食えるなあ。坊やの胃袋はどうなってるんだ?」
私もそう思う。
「だって、おじさんのとこの豚は美味しいんだもの! それに今日ここを発つから、もうこれが最後なんだ。名残惜しいよ」
ちょうど焼き上がって火から降ろされた豚を愛おしそうに眺めていたかと思うと、突然レオン様がその豚の口にちゅっと口付けた。
……のわあああっ! 何やってるんですか、レオン様⁉
まずい、リリアナ様に変化する! こんな所で!
あたふた取り乱す私に気づく様子も無く、店主が笑いながらレオン様に近づいてきた。
「はははっ、何やってんだ、坊や。そんなに名残惜しけりゃ、豚じゃなくて俺がチュウしてやるよ」
そう言うと中腰になって肩を抱きながら、レオン様の唇にぶちゅっと口付ける。
それを見た瞬間、私の中で何かがブチッと切れた音がした。
……オマエハ、イマ、ナニヲシタ……?
……レオン様の唇を奪うとは、……許せん。
「……店主、そこに直れ。……この私が叩き斬ってやる!」
ゆっくりと剣を鞘から引き抜く。
何やらレオン様が叫んでいる様子が視界に入るが、もはや何も聞こえない。
後ずさりしながら命乞いする様子の店主も、もはや手遅れだ。
……お前はレオン様の唇を無理やり奪った。……許さん、死んでその罪を償え。
思い切り剣を振り下ろすも、生意気にも店主は転がりながら避け、代わりに後ろにあったテーブルが真っ二つになる。
「……ほう、避けたか。次も逃げられると思うなよ」
腰が抜けた店主に向けて剣を振り上げたちょうどその時、後ろから何かの強い衝撃を感じて、真っ二つになっているテーブルの上に剣を持ったまま突っ伏すように倒れこむ。
…痛っ! 危なっ! 誰だ、邪魔するのは⁉
起き上がりながら、怒り振り返ると、肩でぜいぜい息をするレオン様が立っていた。
……まさか、今のはレオン様の飛び蹴り⁉
「やめろと言っているのが聞こえないのか!」
「…何故、止めるのですっ⁉」
食って掛かる私の襟首をレオン様はぐっと掴み、顔を近づける。
「……僕を飢え死にさせる気か? …それとも、お前も丸焼きになるか? うん?」
…ひぃっ。目が据わっていて怖いですっ、レオン様!
恐怖に一瞬で正気に戻り、平伏して許しを請うも、すげなく一蹴されてしまう。
「お前が詫びなければならないのは、僕じゃない」
**
カンカンカンカンッ。カンカンカンカンッ。
「おじさん、迷惑かけちゃってごめんねぇ」
金槌の音が響く中、豚肉を頬張りながら話すレオン様の呑気な声が聞こえる。
二卓あった店のテーブルのうち、無事だった方を使ってレオン様は一人で食事をしている。
……私はというと、レオン様に命じられて、己が叩き壊したテーブルの修理をしているところだ。
「いや、俺もちょっと悪ふざけが過ぎたよ。悪かったな、坊や。俺の方は、壊れた物さえ直してもらえれば何も文句はねえよ」
「……おじさん、やっぱりおじさんのとこのは美味しいねぇ。もうこれが食べられないなんて…。僕はもうおじさん無しじゃ生きられない体になってしまったみたいだ」
「そうかそうか、嬉しいねえ」
「おじさん、時々僕のうちまで作りに来てくれない?」
「いいぜ、坊やんちは何処にあるんだい?」
「……あ、僕も知らないや」
「なんだそりゃ。ははははっ」
ガンガンガンガンッ‼
何故私がこんなことをせねばならないのだ。
悪いのは、レオン様の唇を奪ったあいつじゃないか。
何故私が怒られるのだ。
レオン様の唇に触れるなんて許せない。
ガンガンガンガンッ!!!!!!!!
……あれ?……そう言えば、変化しなかった。
……キスしたのに、レオン様は変化しなかった。
とりあえず豚は置いておいて。
……店主がキスしたのに、何故レオン様は変化しなかったのだろう?
以前、寝床で私と誤ってキスをしてしまい、それがきっかけでレオン様はリリアナ様に変化したはず。
だから私は、レオン様とキスしないように、誤って唇に触れることの無いように気を遣い、寝る時もお面を欠かさないのに、これはどういうことだ?
もしかして、私以外の人間とキスしても変化しないのか? 私だけ?
いや、そもそもキスがきっかけというのは私の勘違いで、あの時、他に何かの原因があったのか?
他の原因とは何だ?
……あの時は、眠っている私の寝床にレオン様が夜中に潜り込んできたのだ。
朝方、まだうとうとしている時に、レオン様が寝惚けて寝返りを打って私と唇が触れてしまい、それからすぐに変化が始まった。
ここに、キス以外の原因が? ……分からん。
カンカン。カンカン。
食事をしながら店主と楽しそうに会話するレオン様の唇を見る。
大きな口を開けて、美味しそうに食べている。
もぐもぐしているかと思えば、また大きく開けて。
……さくらんぼのように赤いあの唇は、触れると驚くほど柔らかくてぷるぷるしていて、……ついまた触れたくなるのだ。
……キスが原因かどうかなんて、……私がもう一度レオン様とキスすればはっきりするのではないか?
……私が、もう一度、レオン様と。
ガツッ‼
「…っ痛!」
手元が狂って金槌で左の親指を強打し、その痛みで我に返り、自分が馬鹿なことを考えていたことに気づく。
何と愚かなことを考えていたのだ、私は。
……恥ずかしい。己の主をそんな目で見るなんて。情けない。
「クロード、大丈夫?」
食事をしていたはずのレオン様がいつの間にか、私の前にしゃがんでいた。
そして、痛みで顔をしかめている私の赤黒く腫れた親指を手に取ると、そのままぱくりと自分の口に咥えた。
「いはいのいはいの、ほんれいへ」
……言わんとするところは、何となく分かる。
……確かに、最初に怪我した指を咥えるのをレオン様に見せてしまったのは私だ。それは認める。
だが、何でもかんでもすぐに口に入れる癖は改めてもらわねば。
レオン様、……口の中の豚の脂で、指がぬるぬるしますっ。
ぬるぬるに悶える私の様子を不思議そうにレオン様が見ている。
「ほうひはの?」
……うわっ、舌が、指が、ぬるぬるがっ。
悶える私を呆れたように見ながら、やっと指を解放してくれたレオン様は立ち上がり、首を傾げる。
「今日のクロードは変なの。ちょっとは落ち着きなよ」
「坊やみたいな美形と一緒にいたら、心が乱れても仕方ないさ。多めに見てやんなよ」
「おじさん、こんな怪しいの連れてる僕の身にもなってよ」
「傍から見てる分には面白いけどな。これだけ顔もガタイも良い若い男が悶える姿なんてなかなか見られないしな」
まるで珍獣でも見るようなレオン様と店主の視線に心が折れそうになるも、己の主を不埒な目で見た罰だと思って甘んじて受けるが、……つらい。
……護衛って、こんなに心が辛い仕事だったかなあ。
自分が壊したテーブルを、また使えるように添え木をしてどうにか修理し、レオン様が食事を終えたのを確認してから、店主の元へ代金の支払いに行く。
私の顔を見ながらずっと薄ら笑いを浮かべているのが癪に障るが、これ以上ここで揉め事を起こすと、今度は私が本当にレオン様に丸焼きにされそうなので我慢する。
すると店主が、支払いを終えて立ち去ろうとする私の目を見て、妙なことを言ってきた。
「なあ、道のりは厳しいだろうが、俺は応援するぜ。頑張んなよ」
……は? 何を言っているのだ?
レオン様が一緒なのに険しい道を行くはずが無いだろう。
しかも、レオン様は馬車にも馬にも乗れないのだぞ。
私にレオン様を抱えて、そんな険しい道を行けと? 殺す気か?
……先程のことをまだ根に持っているのか?
それを言うなら、私だってお前がレオン様の唇を奪ったことを忘れていないぞ。
店主を一瞥し、余計なことは言わずにその場を離れた。




