40. 心の限界
慣れない場所での食事に戸惑っていたラリサ王女も、しばらくして自分でカトラリーを使って食べるようになったらしく、レオン様との会話も弾み、あっという間に二人で豚の丸焼き一頭食べ終え、いつしか二頭目を食べていた。
親し気な二人の声を聞くだけでも気持ちが塞ぐのに、その姿を見る気にもなれず、私は二人に背を向けてぼんやりと通りに並ぶ露店を見ながら考え事をしていた。
レオン様は今15歳で、もし普通の貴族の子息として生まれ育っていれば、そろそろ縁談が持ち上がっても不思議ではない年頃だ。
こんな風に、どこぞの令嬢と親し気に食事をされるのも当たり前の光景なのだろう。
名門伯爵家の令息で、これほどの美貌で、今まで何も無かったのがおかしいのだ。
特殊な体質の為にその存在を隠されているが、本来ならば、私など親しく口を聞くことも許されない方だ。
忘れてはいけない。この方は私の主で、私はただの護衛。身分が違う。
己の立場をわきまえろ。
「おじさん、ご馳走様~! 美味しかった!」
「本当に。わたくし、豚の丸焼きがこんなにも美味しいなんて初めて知りましたわ」
私がぼんやりしている間に食事を終えたらしく、レオン様とラリサ王女が席を立った。
代金の支払いをするために店主の元へ行くと、カティアと呼ばれていたラリサ王女の侍女がすっと横に立つ。
奥様より「レオンに好きな物を食べさせてあげて欲しい」と金は大目に預かっている。
余計な気遣いは無用だとちらりと見て、店主に金を渡そうとすると、侍女が何やら重そうな財布を取り出す。
「お食事にお誘いしたのはこちらですから、ここはわたくしが」
そう言って侍女が、これ見よがしに口を広げて中身を見せてきた重そうな財布の中には、大金貨がぎっしりと並んでいた。
……つらいっ、今日は心が辛いっ。
王女の財布には敵うべくも無く、泣く泣く支払いを任せた。……くうぅ。
「さてと、お腹いっぱいになったし、この後はどうしようか」
私の心はもうぼろぼろですよ、レオン様。この状況がまだ続くのか……。
呑気なレオン様の言葉にラリサ王女が辺りを見ながら答える。
「わたくしはもう少し時間がありますので、レオン様が宜しければ、ご一緒にこの露店と言うものを見てみたいです…」
「いいよ。じゃあ、こっちから見て行こう」
レオン様はラリサ王女の手を取って引っ張り、楽しそうに話しながら一軒ずつ露店を見ていく。
その様子を微笑まし気に見つめながら王女の侍女が付いていき、その後ろを俯いて目を伏せながら私が付いていく。
……ラリサ王女が気になるとレオン様が言っていたのは、やはり惹かれているということだったのか。
ならば、今後もこのような機会が増えるかもしれない。
少しずつ慣れて行かねばならないのかもしれないな……。
「何の香りでしょう? とても良い匂いがしますね」
その言葉にふと顔を上げると、レオン様と手を繋いだまま、ラリサ王女はきょろきょろと辺りを見回していた。
言われてみれば確かに、甘くかぐわしい香りが辺りに漂っていた。
何だろう、甘くて澄んだこの香り……。
「……これじゃない?」
レオン様がちらっと隣の露店を見て、そこに並んでいた花束の一つを手に取り、ラリサ王女の鼻の前に突き出す。
その鮮やかなオレンジ色の花は下町ではよく見かけるもので、香りが強く、日持ちがするものの、見た目が地味で華やかさに欠けるため、見映えのする花が好まれる貴族の屋敷で飾られることはなく、ラリサ王女が知らないのも無理はない。
「…これですわ! こんなに香りの良い花があるなんて知りませんでした。わたくし、この香りが好きです」
レオン様の手から花束を受け取り、ラリサ王女は目を閉じて、その花の香りを深く吸い込んでいた。
その様子を見てレオン様が私に目配せをする。
軽く頷き、隣の店で花束の代金を支払おうとすると、「やっぱりちょっと待って」とレオン様の手が横から伸びてきた。
そこに並んでいる花を少し眺めてから、「これとこれと」と幾つか選び取り、支払いを私に指示した。
「オレンジだけじゃ、ラリサには映えないからね」
「…わたくしに映えないとは、どういうことですの?」
「いいから、いいから。ちょっと待ってて」
そう言うとレオン様は、買った花をすべて私に持たせて、そこから数本ずつ抜き取って、その場で器用に何かを作り始めた。
オレンジの花を主に、そこに数本ずつ白や黄色の花と、バランスを見ながら小さな赤い花を足して茎をくるくると丸めて、あっという間に可愛らしい花冠が出来上がった。
そして、レオン様は出来上がったその花冠を、目をきらきらさせながら花冠を作るレオン様の手元をずっと眺めていたラリサ王女の頭に乗せた。
「あげる」
ラリサ王女はその花冠を落とさないようにそっと手で押さえながら、花のような笑顔で応える。
「ありがとうございます、レオン様。こんな素敵な贈り物は初めてですわ。……わたくしの宝物にします」
にっこり笑うレオン様とラリサ王女がじっと見つめ合い、その様子を満足げに見守る侍女を見ていると、そろそろ自分の心の限界を感じる。
思考が停止し、心がどんどん下の方へ沈んでいく気がする。
このまま何も感じず、何も考えずにいれば、耐えられるのだろうか……。
「……ちゃん、ねえ、クロちゃんってば!」
私を呼ぶ声で我に返ると、目の前に私の顔を心配そうに覗き込むレオン様がいた。
「何、ぼんやりしてるんだよ。さっきから呼んでるのに。どうしたの?元気無いね」
「…あ、いえ、何でもありません。……そんなことより、花冠の作り方なんてよくご存じでしたね」
気持ちの落ち込みをレオン様に見抜かれたことを誤魔化そうと、とっさに目を逸らし話題を変える。
レオン様は、花冠を触りながら侍女と楽しそうに話をしているラリサ王女を見ながら、何でも無いことのようにさらりと答えた。
「ああ、あれ。お父様の本で読んだ」
「……旦那様は意外に可愛らしい趣味をお持ちなんですね」
「……それで、どうしてクロードは元気が無いの?」
ラリサ王女に聞かれないように、私に近づいて顔を寄せ、そっと小さな声で尋ねる。
……誤魔化されてくれないか。
だが、言えるわけない。
……レオン様がラリサ王女と親しくしているのを見ているのが辛いなんて。
自分でも、この気持ちの落ち込みが理解できないのに、説明しろと言われても困る。
どう言ったら良いものか、言葉を探して頭を悩ませていると、どこからか変な音が聞こえてきた。




