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4. 狩場にて

 まるで脅しのようなラリサ王女の誘いに震えていたお嬢様だが、「やられたら倍にしてやりかえせ」と言わんばかりの奥様の言葉に、どうやらその気になったようだ。


「うまく倒れられるか自信はないけど、……やってみます」


 ……最初から倒れるつもりらしい。


 私としては、「そうではなくて、狩りを楽しんでも良いのですよ」と言ってあげたいが、お嬢様の全身から「さっさと倒れて屋敷に帰りたい。もうこの二人には関わりたくない」という念が漏れているので、余計なことは言わないでおくことにした。




「お嬢様、お祖父様から頂いたお守りの指輪はちゃんと付けています?」


 マリアがお嬢様の胸元を見やった。


 お守りの指輪というのは、お嬢様が祖父君アシュラン様から頂いた貴重な虹色貴石の指輪のことだ。

 国内に数えるほどしかないと言われる非常に高価な虹色貴石は、その名のとおりに光が当たると、淡い虹のようにゆらゆらと輝いて美しい。


 十年前、突然行方不明になった愛孫を案じたアシュラン様が、その持ち主を守るという言い伝えのある虹色貴石の付いた指輪を、自分の指から外してお嬢様に与えたのだそうだ。 

 男物の指輪は、五歳のお嬢様の小さな指には大きすぎたので、やむなく金鎖に通してそのまま首から下げている。


 五歳の時はともかく、そろそろ自分の指に合わせて仕立て直してはどうかと何度も旦那様が仰っているのだが、その度にお嬢様が必要ないと断るのだ。


「大好きなお祖父様から頂いたのに、仕立て直すなんて出来ません」


 ……というのは建前で。

 お嬢様が私にこっそり教えてくれたのは、別な理由だった。


「この指輪、台座に知らない女の人の名前が刻まれているの。……お祖母様以外の方よ。そんな指輪を仕立て直しなんてしたら、お祖父様の秘密が皆に知られてしまうでしょう?」


 虹色に輝くさまが美しくて、何度も日にかざして眺めていたら、ある日ぽろっと貴石が外れてしまったのだそうだ。

 大切な指輪を壊してしまったと、慌てて台座に貴石をはめようとして名前が彫られていることに気づいたらしい。


「これはきっと秘密の恋よ。お祖父様の秘密は、孫のわたしが守ってあげなくちゃ」


 お嬢様は、普段はとても内気で恥ずかしがり屋なのに、こういう話になると急に身を乗り出してくる。

 お嬢様も、もう十五歳。

 そういう恋の話が気になる年頃になったらしい。




「大丈夫よ、マリア。ちゃんと付けているわ」


 お嬢様がドレスの胸元から金鎖を引っ張り出して、マリアに指輪を見せる。


「それなら安心ですね。あの蛇のような女と戦うには、お守りは絶対に必要ですもの」


 ……仮にも王女に対して、蛇のようなとは。

 言い過ぎだとは思うが、気持ちは私も同じなので、敢えて何も言わない。




 **




 エリオット王子達と共に狩場に着くと、既に天幕がいくつか張られていた。


 狩りと言っても、お嬢様が誘いを受けた今日の狩りはそう大掛かりな物では無く、食事をしながら会話を楽しみ、合間に小さな獲物を探しに行く程度のものだった。

 それでも、ずっと屋敷に籠っていたお嬢様には、初めての外出であり、初の令嬢方との交流の場である。


 もともと人見知りなお嬢様は、見知らぬ令嬢達に囲まれて、ガチガチに緊張していた。


 ラリサ王女の取り巻きらしいその令嬢達は、お嬢様に直接言葉を掛けてくるわけではないが、扇子で口元を隠しながら何やらひそひそと話していて嫌味な感じだ。


 初めは気張って顔を紅潮させていたお嬢様も、令嬢達のその様子に次第に元気が無くなってしまった。


「……クロード、もう倒れてもいい?」

「早すぎますよ、お嬢様。来たばっかりじゃないですか」


 口を尖らせて私の顔を見上げてくるお嬢様に、私はもう少し頑張るように伝える。


「だって、もう疲れてしまったの」

「それなら、私の天幕においで。ちょうど、あなたと二人で私達の将来について話をしたいと思っていたんだ」


 いきなり背後から現れたエリオット王子が、そのまま笑顔でお嬢様を抱き上げようとした。

 私は咄嗟に、お嬢様を抱き上げてエリオット王子とは反対側に降ろし、その弾みで自分がエリオット王子の腕の中におさまってしまった。


 至近距離で無言で私を見つめるエリオット王子。

 いくらお嬢様を守る為とはいえ、その居心地の悪さに耐えられず、私はすっと体を起こした。


「……クロード」


 エリオット王子が後ろから私の名を呼ぶ。

 あまりにも邪魔をされて、さすがに堪忍袋の緒が切れたかと、私は覚悟しながら振り向いた。


「確かに、お前は精悍で整った顔立ちをしていて私好みだ。……だが、私にはリリアナがいる。お前の気持ちには応えられない」


 は? 何を言っているのだ、この男は?


 エリオット王子の訳の分からない斜め上の言葉に私が呆れていると、真に受けたのか、お嬢様が目を見開いて私を見ながらぷるぷると震えていた。


 違いますって! あなたを助ける為じゃないですか。

 私は男には興味はない。

 変な勘違いはやめてくれ。




 そんな私達のやり取りを、少し離れた木の陰からじっと見ている者がいた。


 癖の強い赤の巻き髪の令嬢、あれは確か、ギリエル男爵家のアンリエッタ嬢だ。

 こちらへ来て会話に混ざるでもなく、睨みつけるような強いその眼差しに、得体の知れない不気味さすら感じる。

 やがて、横にいる下男らしき男に何かを言いつけたアンリエッタ嬢は、にやにやと不敵な笑みを浮かべながらこちらへ歩いてきた。


「エリオット様、ラリサ様があちらで探しておいででしたわよ」

「うん? そうか。リリアナ、ちょっとラリサの所へ行ってくる」


 アンリエッタ嬢の言葉に、エリオット王子は軽く手を上げてお嬢様に断ってからその場を離れた。

 一人残されて身構えるお嬢様の前に、アンリエッタ嬢は顎を上げてまるで見下すような無礼な態度で立っている。


「あの……」

「どうやってエリオット様に取り入ったのよ、あんたみたいな小娘が」


 仮にも貴族の令嬢とは思えぬ物言いに、私とお嬢様が唖然としていると、アンリエッタ嬢は嘲笑うようになおも言葉を続ける。


「自分に魅力が足りないからって、情夫まで使ってエリオット様を落とそうなんて浅ましい女ね」


 ……情夫? それは、もしや私のことを言っているのか?

 ……信じられない。こんな下品な言葉を発する令嬢がいるとは。


「お嬢様、行きましょう。こんな下劣な人間を相手にしてはいけません」


 聞くに堪えない言葉をこれ以上お嬢様の耳に入れたくなくて、私はお嬢様を促してその場を離れようとした。

 それが気に食わなかったのか、背を向けて歩き出したお嬢様に対して、アンリエッタ嬢はいきなり後ろからその体をぶつけてきた。


 お嬢様の倍以上の横幅がありそうなアンリエッタ嬢の不意の体当たりに、無警戒だったお嬢様は前につんのめって倒れてしまった。


「きゃあっ」

「お嬢様!」


 私は慌てて倒れたお嬢様を助け起こしたが、お嬢様のドレスは無残にも泥だらけだった。


「何の真似だっ⁉ 無礼なっ!」

「フフフ、無様ねぇ、地面に這いつくばって。エリオット様がどう思われるかしら」


 その太い眉を吊り上げながらアンリエッタ嬢が、お嬢様を見下ろして鼻で笑っていた。


 いくらお嬢様が社交が初めてとは言え、男爵令嬢ごときが、伯爵令嬢であるお嬢様に対して非礼が過ぎる。

 このままには捨て置けぬと私が怒りに震えていると、騒ぎを聞きつけたらしいエリオット王子が駆け寄って来た。


「どうした? 何事だ?」


 私が口を開くよりも、アンリエッタ嬢がエリオット王子の胸にしなだれかかるのが早かった。

 エリオット王子の胸元に手を付き、甘えるような目でアンリエッタ嬢はエリオット王子に訴える。


「リリアナ様が自分でよろけて勝手に倒れたのに、この大男がそれをわたくしのせいだと大声で怒鳴り散らしましたの。わたくし、とっても怖くって、こんなに震えていますのよ。ほら」


 アンリエッタ嬢はエリオット王子の手を取ると、それをドレスから大きく溢れている自分の胸元に押し当てた。


 ……男爵令嬢ともあろうものが、公衆の面前でこんなはしたない真似をするのか。


 私が驚いていると、後から駆けつけてきたラリサ王女とその取り巻きの令嬢達が、その光景を見て顔をしかめていた。

 それに対して、エリオット王子は特に顔を赤らめる様子もなく、平然とアンリエッタ嬢の盛り上がった胸元に触れながら言い放った。


「ああ、この肉! 無駄に溢れすぎだ。美しくない。私は美しくないものは見たくないんだ。アンリエッタ、見栄を張って無理に小さいドレスに肉を押し込めるのではなく、あなたに相応しいもっと大きなドレスを着なさい。私に醜いものを見せないでくれ」


 エリオット王子の情け容赦ないその言葉に、一瞬にしてその場の空気が凍り付いた。


 ラリサ王女を始め、令嬢達は息を呑んで顔を見合わせていて、アンリエッタ嬢は顔を真っ赤にして、ぷるぷると小刻みに震えている。


「それに、アンリエッタ、私はあなたをここに招いた覚えがない。招かれてもいないのに押しかけて、こんな騒ぎを起こしたのか? 礼儀がなっていないな」


 ……招かれてもいないのに、勝手にグランブルグ家に押しかけて、長々と居座ったのは誰だったか。


 ……何度帰れと言われてもそれを無視して、騒ぎを起こして城に強制送還されたのは、果たして誰だったか。


 よくもこの口からそんな言葉が吐けるものだ。

 こんなに面の皮が厚い人間を初めて見た。


 私が呆れながらエリオット王子を見ると、横にいるアンリエッタ嬢が怒り狂った、物凄い形相でお嬢様を睨みつけていた。


 あまりにも毒々しいその眼差しをお嬢様の視界に入れたくなくて、私はアンリエッタ嬢の視線を遮るようにお嬢様の前に立った。


 お嬢様が私の袖口をぎゅっと掴んだのに気づいて、顔を後ろに向けると、不安そうな顔をしたお嬢様が私を見上げていた。


「大丈夫ですよ。私がお側にいますから」 


 ほっとしたように緩んだお嬢様の白い頬に泥が付いていた。

 ドレスも泥だらけだ。

 このまま狩りを続けるわけにもいかず、エリオット王子に断って天幕に戻って着替えることにした。


 マリアと共に天幕に入ったお嬢様の着替えが済むのを、私が外で待っていると、エリオット王子からの使いが来た。

 ……ついさっき別れたばかりなのに、せっかちなことだ。


「リリアナの顔に小さな擦り傷があった。跡が残ってはいけないから、薬を取りに来るように」


 エリオット王子の細やかな心遣いに驚きつつ、その小さな擦り傷に近くにいながら気づかなかった自分の迂闊さが、私は恥ずかしかった。 


 大事なお嬢様の顔に少しでも傷跡が残ってはいけないと、天幕内のマリアに声を掛けてから、私は急いでエリオット王子の天幕に薬を受け取りに向かう。


 その途中で、エリオット王子の食事の確認をしていた王子付きのオリヴィエ様にばったり会い、不思議そうに声を掛けられた。


「クロード? こんな所でどうした?」

「お嬢様の擦り傷に薬を下さるそうで、エリオット殿下から取りに来るようにと呼ばれたのです」

「何かの間違いじゃないのか? そんな話、私は聞いていないが。それにエリオット様はリリアナ様相手なら、どうにかして手ずから薬を塗ろうとするだろうよ」


 くくっといかにも面白そうに笑うオリヴィエ様の言葉に、私ははっとした。


 ……言われてみれば、そうだ。

 あのエリオット王子なら、嫌がって逃げるお嬢様を薬を持って追いかけまわしそうだ。



 その瞬間、急にアンリエッタ嬢の怒り狂ったあの目が脳裏に浮かんだ。



 ……まさか。





 しまった! お嬢様!


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