37. 出来る侍女の一本釣り
「お待ちください」
どこかで聞いた覚えのある声に振り返ると、二人のうち前にいる女性がゆっくりとお面を外して顔を見せた。
……見覚えのあるその顔に、思わず息を呑む。
気の強そうな吊り上がった目、優雅に微笑む薄い唇、いつぞやレオン様に半べそをかきながら「名前を教えて欲しい」と懇願したラリサ王女だった。
「お会いしとうございました。……あの約束を、覚えていらっしゃいますか?」
恥じらい、はにかみながらラリサ王女はレオン様に尋ねる。
……たった一度会っただけなのに、お互いにヘンテコお面をつけた状態で声も交わさずに、何故目の前にいるのがレオン様だと分かるのか。
この王女は何か特殊能力でも持っているのか?
……この執念、恐ろしすぎる。これ以上、この王女に関わるのはまずい。
知らんぷりして逃げましょう、レオン様。
私の心の声が届いたのか、ラリサ王女の言葉を華麗に無視して、すたすたと歩きだすレオン様に心の中で拍手を送る。
素晴らしい! それで良い! 妙な仏心は出さずに、ここまましらを切り通して下さい。
「待って! 待って下さい…! わたくしのこと、お忘れですの⁉」
これは前回と同じパターンか。耐えてくださいよ、レオン様。
「……会いたかったのです、あなたに…! もう一度、会いたくて、あなたを探して、探して……また会えたら名前を教えてくださると、仰ったではありませんか…!」
今にも泣きだしそうな声で、途切れ途切れに叫ぶ。
少し哀れに思えてまた振り返ると、両手でドレスをしわになるほどぎゅっと掴んで、震えながらこちらを見据えていた。
こういうことに慣れていないらしく、恥ずかしさで顔は真っ赤に染まり、目には大粒の涙が見える。
……さすがにこれは少し可哀想か。
しかし、ここまで好かれてしまっては深入りするのも危険だ。
どうする、レオン様。
まったく興味無さそうに前を歩いていたレオン様は、ラリサ王女のその涙声に突然ぴたりと足を止めて、くるりと向きを変え、ふらふらと歩き出してラリサ王女の前で立ち止まった。
そして、自分のつけているお面をひょいと頭の上に持ち上げ、鼻がくっつきそうなほど顔を近づけて、真っ赤になって固まっているラリサ王女の顔を覗き込む。
「かっわいいなぁ、この顔。大好きだ」
予測してなかっただろう、そのとびっきりの甘い笑顔の攻撃に、気力の限界に達したラリサ王女はぼんっと頭から煙を出して、そのままへなへなとその場に座り込んでしまった。
……またやってしまったか。どうも、レオン様には警戒心というものが足りない。
目も当てられぬその有様に、思わず頭を抱えてしまう。
参ったな、どうしたものか……。
思案に暮れる私を尻目に、レオン様はすとんっとその場にしゃがみ膝を抱えて、目の前に座り込んでいるラリサ王女の髪を撫でながらにこにこ笑顔で話しかける。
「僕のこと好き? 僕もあなたのこと好きだよ。僕はレオン、よろしくね」
…ええーーーー⁉
何、名乗ってるんですか⁉ 名乗ったらダメでしょう!
グランブルグ伯爵家の者だと、…いやそれよりもリリアナ様だとバレたら大変なことになる!
よりによって、このラリサ王女にバレてしまっては大変だ!
その場から攫うようにレオン様を抱えて逃げる。
まずい。すぐにここから離れねば。これ以上は危険だ。本当に危険だ。
グランブルグ伯爵家が何年も秘密にしてきたことが、私のせいで水の泡になる。
**
ここまで来ればラリサ王女も追いつけまいと、小脇に抱えていたレオン様を降ろす。
ラリサ王女とばったり出会ってしまった宿の入り口からはだいぶ遠く離れた。
しばらくは宿の辺りをまだラリサ王女がうろついているかもしれない。
もう少し様子を見て、どうにか部屋に置いてある荷物を取りに戻らなければ。
思案しながら道端をぐるぐる歩き回る私の顔を不思議そうにレオン様が覗き込む。
「ねえ、クロードはあの子が嫌いなの? どうしていつもあの子から逃げるの?」
「……別に嫌ってはいません。私はただ、レオン様があの方と関わり合いになるのを避けたいのです」
「どうして?」
「仔細はお話出来ませんが、あの方にレオン様の素性を知られると非常に困ることになります。レオン様が名乗ってしまったことは仕方ありませんが、今後は極力あの方との接触を避けて頂きたいのです」
「ふうん。でも、もう難しいんじゃない?」
レオン様が肩をすくめる。
「何故ですか?」
「だって、付いて来てるし。ほら」
私の肩越しに遠くを見遣るレオン様の視線の先を追ってみると、遠くから悠然と歩いてくるラリサ王女とその侍女が小さく見えた。
………巻いたはずなのに! 何故だ? どうして付いてこられるのだ⁉
頭を抱える私の前に、レオン様が自分のシャツの裾を持ち上げてひらひらと揺らす。
「これ」
よく見ると、レオン様のシャツの裾に細い糸が引っ掛けてあり、その糸は裾から長く伸びて地面に着き、そこから更に伸びて向こうにいるラリサ王女の侍女がくるくると巻き取っていた。
……何だ、これは⁉ いつの間に⁉
「僕の素性をあの子に明かさなければ良いんでしょう? 僕は逃げ回りたくないし、あの子と話をしてみたい。どうして、あの子のことがこんなに気になるのか、知りたいんだ」
まっすぐに私の目を見て訴えるレオン様に言葉を失くす。
確かに、逃げ回ってばかりではどうかとも思うが、しかし、レオン様は知らないが相手は王女で、いざとなったら、権力に物を言わせてくるかもしれない。
有無を言わさないような状況に陥って困るのはレオン様で、グランブルグ伯爵家なのだ。
……何と言って説明したら理解してもらえるのだろう。
……それに、ラリサ王女が気になるとは、どういうことだ?
その言葉が妙に引っ掛かり、レオン様の表情から真意を探ろうとするも、レオン様はこちらへ向かってゆっくりと歩いてくるラリサ王女をただ無言で見ていた。
……もしや、ラリサ王女に惹かれているのだろうか。
……気になるとは、そういうことなのだろうか。
「……決してレオン様の素性を明かさないと約束して頂けますか?」
……レオン様が、もしかしてラリサ王女に惹かれているのだとして、ただの護衛に過ぎない私がその邪魔をして許されるのだろうか。
……もしかしたら私はレオン様の応援をすべきなのだろうか。
頭の中がもやもやして、段々何を考えているのか、自分でも分からなくなってきた。
「約束する」
「私の名前も、出来れば伏せて頂けますか?」
さすがにリリアナ様の護衛と同じ名前ではまずいだろう。どちらも私だが。
「……いいけど、前にあの子の前でクロードの名前呼んだよね?」
「ああっ、そうでした! いや、でも覚えていないかもしれないので、どうにか誤魔化してください」
「面倒くさいなあ。……じゃあ、クロちゃんで」
「何ですか、それ。クロードと大して変わりませんよね」
「僕はクロちゃんと呼ぶけど、あの子にはクロ・チャンで通す」
「仰っている意味が分かりません」
ぎゃあぎゃあと話しているうちに、ラリサ王女と侍女がこちらへ来た。
侍女が糸をくるくると巻き取りながら、私の顔をちらっと見て、にやりと笑う。
……この侍女、出来る。
その侍女はレオン様に断ってから、シャツに引っ掛けていた糸を解いて抜き取ると、私とすれ違いざまに小さな声で呟いた。
「そう何度も同じ手が通用すると思わないで下さいね」
……何だ、この侍女は⁉
侍女が後ろに下がると、ラリサ王女がおずおずとレオン様に話しかけてくる。
「あの、レオン様。先程から気になっていたのですが、わたくし、もしかしてそちらの方に嫌われてしまったのでしょうか? 何やら避けられているような気がするのですが」
「ほーらね」という視線をレオン様が送ってくるが、実際避けているのだから仕方ない。
ラリサ王女が気になるという、話がしたいという、レオン様の言葉に渋々従っているだけで、正直言うと、私は今でもこのラリサ王女には関わりたくない。
……それに、気になるって何だ。どういうことだ。もやもやする。
「避けてないよ。クロちゃんはお腹が空いていて、早く何か食べたくて急いでただけ」
……何だ、それは。
いかにも私が食い意地が張っている人間のような言い方だが、いつも10人前位ぺろりと食べるのはレオン様の方ではないか。
私がむすっとしていると、レオン様の両手が伸びてきて、私の頬をびよーんと引っ張る。痛いっ。
けらけら笑いながら、なおも頬を引っ張ろうとするレオン様の手から私が逃れようとする様子を後ろで見ていたラリサ王女は、躊躇いがちに言葉を掛けてくる。
「では、もし宜しければ、……食事をご一緒にいかがですか?」
は? ラリサ王女と一緒に食事? 何故?
思わずぷるぷるぷるっと首を振りそうになる私を見て、ラリサ王女の後ろで侍女がふっと笑い、静かに声を投げてくる。
「豚の丸焼きはいかがでしょうか?」
その言葉に呆気にとられる私を置いて、レオン様がすっとラリサ王女の両手を握り、きらきら眩しい笑顔で応える。
「大好きだ」
……豚の丸焼きが、でしょう。
レオン様、言葉は正確に伝えなくては。
見てくださいよ、ラリサ王女のあの嬉しそうな顔。……罪作りなことだ。
ますます悪化していく状況に頭が痛くなるが、……それにしても、豚の丸焼きでレオン様を釣り上げるとは、この侍女は只者ではない。
一体どこで調べてきたのか、油断も隙も無いな。




