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36. 魔界の朝

 ……ああ、なんて気持ちのいい朝だろう。

 窓から朝日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえ、……寝床がぬくぬくと温かい。

 この温かさには覚えがあるが、今朝の私は前回とは違う。

 準備万端、さあっ、いつでも来い、レオン様!


 「…う、うん…」


 私の読み通り、レオン様は横で眠っているらしい。

 そろそろ寝返りを打つ頃か?

 さあ、来い!


 ごんっ。


 「痛っ」


 硬い音が響いた後に、レオン様の声が聞こえ、もぞもぞと動く気配がする。

 ふっ、どうやら私の読みが正しかったようだな。

 前回、私が眠っている間に寝床に潜り込んできたレオン様と図らずもキスしてしまったが、同じ過ちは二度と繰り返さない。


 たまたま昼間に、表の露店でお面を売っているのを見かけて、これは使えるかもしれないと心に留めていたのを、昨夜、レオン様が着替えをしている間に買い求めたのだ。


 レオン様はきっと夜中に私の寝床に潜り込んでくるだろうと予測し、それに備えてお面をつけて寝ていたのだが、思ったとおりだ。


 これなら、どれだけ寝返りを打とうが、顔をぶつけようが、キスすることはない。

 ふっ、私の勝ちです、レオン様。


 妙に静かなレオン様がどんな顔をしているのか見てみようとドヤ顔でお面を外すと、目の前には、部屋にあった木椅子を両手で持ったまま寝台に上がり、私に向かってそれを思い切り打ち下ろそうとしているレオン様がいた。


 「…うわあっ!」


 寝台から転げ落ちながらも、勢いよく打ち下ろされた木椅子を避ける。

 全力で寝台に打ち付けられた木椅子は、バキッと大きな音を立てて折れた。

 ……殺す気かっ⁉


 「…あ、何だ、クロードだったの。お化けかと思った」


 …お化けって、そんなわけあるかっ。


 「そんな変なのつけて寝ている方が悪いんだよ」

 「……寝る前に、貴族の子なら一人で寝られるようにならなければいけないと話しましたよね?」

 「そうだっけ?」


 素っ惚けるレオン様を部屋に残して、階下へ行き、女将にレオン様の身支度の手伝いと朝食の用意を頼み、ついでに、木椅子の弁償も済ませた。


 **


 「ねえ、クロード」

 「何でしょう、レオン様」

 「その変なお面、何なの? それつけたまま部屋をうろちょろされると怖いんだけど」


 起きしなにレオン様に殺されかけた私だが、せっかく手に入れたお面は無駄にしたくないので、今日はこれをつけたままレオン様と接している。


 どうやらレオン様は、このお面がお気に召さないようだが、それならそれで構わない。

 どうもこの方はリリアナ様と違って距離が近い。近すぎる。だから、あのような過ちが起きてしまうのだ。

 その点、このお面を常につけていれば、万が一、あのような過ちが起きたとしても、直接唇に触れることはないので安心だ。


 我ながら良い閃きだったと自画自賛していると、横からひょいとレオン様の手が伸びてきてお面を奪い取る。


 「何をするのですっ」

 「こんなのやめなよ。何処かの王様じゃあるまいし、クロードには必要ないよ」

 「王様? 何の話ですか?」

 

 急に出てきた「王様」という言葉に驚きつつ尋ねると、レオン様は手に持ったお面をじっと見ながら答える。


 「ずっと前にお父様の書庫で読んだ本に書かれていた、遠い異国の王様の話。あまりにも美しすぎて兵士が見惚れてしまって、士気に関わるからと必ず獰猛な仮面をつけて戦に挑んだんだって」

 「……ずっと前って、5歳の時ですよね。5歳で、旦那様の本を読んだのですか?」

 「読めるでしょ」

 「読めませんよ」


 平民の私は、10歳の時にリリアナ様の護衛に選ばれて初めて、読み書きを教えられた。

 一生読み書きが出来ないままの平民も多い中で、私は恵まれていた。

 それにしても、早くから読み書きを教わる貴族の子でも、わずか5歳で伯爵家の書庫の本が理解できる子がどれだけいるだろうか。

 いつものレオン様とは違う意外な一面を見せられて、まじまじとレオン様の顔を見る。


 「僕はクロードを戦になんて絶対にやらないから。こんなの要らないよ」


 ぷうっとむくれた顔が可愛らしい。

 ……いや、そうじゃなくて!

 このお面は、レオン様をお守りするのに必要な物なのだ。これが無いとレオン様が危険なのだ。そうじゃないと私が何をするかわからない、ってそうじゃなくて!


 私が悶えて床を叩いている間に、レオン様は手に取ったお面をしばらく眺めてから、そのまま自分の顔につけた。


 「へえ、つけたらこんな感じなんだね。面白いなあ」


 ……そうか、私ではなく、レオン様がつけても良いのだ。

 どちらかがつけていれば、とりあえず過ちは防げる。

 むしろレオン様につけて頂いた方が、むやみやたらにドキドキせずに済んで良いかもしれない。おお、これは良い考えだ。


 「レオン様、気に入って頂けたのなら差し上げます。とてもお似合いなので、普段からつけられたらどうでしょう(棒)」


 さりげなく提案する私を無視して、くるっくー、くるっくーという謎の言葉を発しながらレオン様は部屋のドアに手を掛けた。


 「レオン様?」

 「このままちょっと散歩してくる」


 …なんだってーー⁉

 名門グランブルグ伯爵家の令息がこんなキテレツなお面をつけて外を出歩くとは!

 家名に傷がつく! 旦那様に合わせる顔が無い! やめてください! 私が悪かった! お面は叩き割って捨てます! だから、だからもう許してください!


 慌てて追いかけたが、レオン様はもう階段を降り、宿のドアを開けて外に出るところだった。


 …しまったーー! 

 レオン様とキスしてしまったことを隠している上に、こんな気持ちの悪いお面をつけて外を出歩かせてしまった! 旦那様に何とお詫びをすればいいのか。

 ……もう、死ぬしかないかもしれない。


 絶望的な思いでドアを開けて外に出ると、……そこは魔界だった。

 ドアの前に立っていたレオン様に何とか追いついたのは良いが、そのレオン様の前に……同じお面をつけた女性が立っていたのだ。

 同じ奇妙なお面をつけた者同士が向き合って、きょとんと立ち尽くしていた。


 このお面を買い求めた私が言うのもなんだが、こんな妙ちくりんなお面をつけて平気で街中を歩けるような女は、いくら身なりが良くても怪しすぎる。

 しかも、よく見たら後ろの侍女らしき女性も同じ物をつけているではないか。

 怪しさを通り越して不気味だ。

 こんなのに関わったらきっと碌なことにならない。逃げるが勝ちだ。


 レオン様の手を引いて、そこから急いで立ち去ろうとすると、その女性が声を掛けてきた。

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