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34. 縮まる距離

 人気のない町外れに、それらしき古い水車小屋を見つけた。

 朽ちかけた木壁の隙間からは灯りが漏れていて、そっと近づいて中の様子を伺ってみると、中から数人の男達の下卑た笑い声が聞こえる。


 「…こんな綺麗な子供は見たことねえな!」

 「ここら辺じゃ目に出来ねえ上物だ。幾らで売れると思う?」

 「王都に連れて行きゃあ、金持ちのジジイが幾らでも出すだろうよ」

 「…その前に、このガキ、男か? 女か? どっちだ?」

 「引ん剥きゃ分かるだろ!」


 …レオン様を売る⁉ 剥く⁉ 無礼な! 許せん!

 怒りに震えながら、古い木戸を蹴り飛ばして中へ入ると、一人の男が泣きながら抵抗するレオン様に馬乗りになってシャツを引き裂き、他の男達がそれを囲んで囃し立てていた。


 「…何てことをっ! 許さん!」


 音を立てて入ってきた私を見て、目配せをした男達は、怯む様子もなく薄ら笑いを浮かべながら近づいて来た。


 「んあ? 誰だ、お前?」

 「許さんかったら、どうするんだ? やってみろよ」

 「出来るもんならな」


 指をぼきぼき鳴らしたり、肩を回したりして威嚇しながら、男達は私の前に立った。

 なるほど、女将が怖くて止められなかったと言うだけあって、場慣れしているようだ。

 だが、それがどうした。お前達のしたことは決して許されることではない。ただで済むと思うなよ。


 一斉に向かってきた男達を、間合いを見ながら膝を溜めて体を反転させ、高く上げた足で思い切り後ろへ回し蹴る。

 脚に頭を巻き込まれるように蹴り飛ばされ、重なって倒れた男達は、そのままぴくりとも動かない。


 一人残ったレオン様に馬乗りになりシャツに手を掛けた男は、声にならぬ声を上げて逃げ出そうとしたが、逃がすか。お前が一番許されぬことをしたのだ。

 腰を落とし、脚を高く上げて、逃げる男を思い切り蹴り飛ばす。

 吹き飛んだ男は柱にぶつかり、柱が音を立てて折れた。男は呻き声を上げて気絶し、折れた柱の元でそのまま動かなかった。


 男達を片付けてから、小屋の隅で怯えているレオン様の元へ行く。

 着ていたシャツは破かれて、頬には涙の跡が残り、がたがたと震えていた。

 ……こんなに震えて。可哀想に、どんなに怖かったことだろう。

 私のせいだ。私が、レオン様を一人にしてしまった。

 そっと手を伸ばし、涙の跡の残る頬に触れる。


 「……助けに来るのが遅くなりました。私のせいで、怖い思いをさせて申し訳ありません…」


 レオン様の目からぶわっと涙が溢れたかと思うと、勢いよく私に抱きついてきた。


 「…怖かった…!」


 大声を上げて泣き出したレオン様を強く抱き締める。

 …ああ、本当に、無事で良かった。間に合って良かった。


 「…レオン様を一人にして、申し訳ありません」

 「…来るのが遅いよ」

 「…はい、護衛失格です。申し訳ありません」

 「…でも、信じてた。絶対助けに来てくれるって」

 「レオン様がどこにいても必ずお助けします。もう絶対に離れませんから」


 私の腕の中で泣きじゃくるレオン様の髪を撫でる。

 柔らかい髪、震える小さな体。

 ……女将からレオン様が連れ去られたと聞いた時、心臓が止まるかと思った。ここに来てレオン様の姿を見るまで、気が気じゃなかった。

 ……無事で良かった。間に合ってよかった。


 レオン様の気持ちが落ち着くまで、ずっと髪を撫でながら抱きしめていた。

 しばらくして泣き止んだかと思うと、レオン様はひょいっと顔を上げて、まだ涙の粒が残っている長い睫毛を瞬かせながら聞いてきた。

 

 「ねえ、僕、お腹空いた。また豚食べてもいい?」

 「……好きですねえ。…いいですよ。怖い思いをさせてしまったお詫びにご馳走します」

 「やったー‼」


 急に元気になって、がばっと体を起こし、にっこにっこと笑顔を見せる。なんとまあ、変わり身の早いこと。

 しかし、豚一頭で気を紛らわせられるなら安いものだ。

 

 本当は、木戸を蹴破って中へ入ってきた時、怒りに任せて、あの男達全員を剣で叩き斬るつもりだった。それくらいされて当然のことをあいつ等はしたのだ。

 だが、怯えて泣いているレオン様を目にした瞬間、これ以上恐ろしい思いをさせてはならないと思った。


 私が怒りに任せてあいつ等をレオン様の目の前で斬ってしまったら、この上更にレオン様の心に恐怖を植え付けてしまうような気がした。

 あのクズ達など、どうでもいい。

 私にとって何よりも大切なのはレオン様だ。

 例えその身が無事でも、心が深く傷ついてしまっては意味が無い。

 私はレオン様のこの無邪気な心を守りたいのだ。


 レオン様を守るために、あいつ等を殺さなかった。

 この笑顔を見ていると、きっとそれで正しかったのだと思える。



 さて、宿に帰ろうとレオン様を改めて見ると、そういえばシャツが破られたのだった。

 ぼろぼろになった布切れの隙間から白い肌が見えて、何故か急に恥ずかしくなり、慌てて顔を逸らして目を閉じながら、自分の着ているシャツを脱ぎ、レオン様に差し出す。


 「レオン様、その破れたシャツのままでは帰れませんから、こちらに着替えてもらえますか?」

 「でも、これはクロードのでしょ?クロードはどうするの?」

 「私は平民ですから、裸くらい、どうってことありません。でもレオン様は、大切なお体を決して人目に晒してはなりませんから、どうか、これを着てください」


 レオン様が私の手からシャツを受け取る。

 微かな衣擦れの音を、何やら気恥ずかしく聞きながら、着替えが終わるのを待つ。


 「着たよ」


 その声に目を開けて見ると、やはり私の物だとレオン様にはだいぶ大きいが、無いよりはマシだ。


 「では、帰りましょうか」

 「……歩けない」


 ぼそっと呟くレオン様の声に、「仕方ないな」と背を向けてしゃがむと、待ってましたとばかりにレオン様は私の背に飛び乗ってきた。その足を抱えて立ち上がり、そのまま水車小屋を後にする。


 町外れにある水車小屋から、宿のある通りまでは少し距離がある。

 レオン様をおんぶしたまま、ゆっくりと歩いているが、疲れたのか、レオン様は私の肩に顔を乗せて静かにしている。

 …眠ってしまったのか?

 顔を横に向けて覗いてみようとするが、良く見えない。


 「…クロードの背中は温かくて気持ちいいね」

 

 急にレオン様が話し出す。


 「起きていたのですね。眠ってしまったのかと」

 「クロード、……助けに来てくれて、ありがとう」

 「私はレオン様の護衛ですから。当然のことです」

 「クロード、……あのね、僕は、クロードとずっと一緒にいたいんだ。離れたくないんだ」

 「…」

 「……だから、お父様には何も言わない。余計なこと言って、もしかしたらクロードと離れ離れになるかもしれないなら、僕は誰にも何も言わない。だから、心配しないで」

 

 …私が自分勝手に余計なことを言ったばかりに、レオン様の心をこれほどにも煩わせてしまっていることが情けなかった。

 レオン様を危険な目に遭わせたばかりか、こんなに幼い方に、己の主にここまで気を遣わせて、私は護衛失格だ。


 「クロードはいつも僕を守ってくれる。だから、僕は主として、自分の出来ることでクロードを守りたい」

 「レオン様」

 「クロード、ずっと一緒にいてね」

 「もちろんです。もう二度とレオン様を一人にはしませんから」

 「よおーし、クロード、走れえ!」


 ……え、この流れで何故?


 私の後ろで手を振り回しながら「走れ走れ」と急かすレオン様の自由っぷりに唖然としながらも、おんぶしたまま走り出す。


 レオン様が訳が分からないのはいつものことだ。

 リリアナ様とは全く違うレオン様に初めは戸惑ったが、少しずつ慣れてきて、今ではこれはこれで楽しいと思うようになってきた。

 知らぬ間にレオン様の影響を受けて、私も少し変わったのかもしれない。

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