32. 身長差約25センチ
レオン様のいる2階へ行く階段を上りながら、ふと疑問が湧いてきた。
私の火傷の手当てをした誰かは、レオン様には気づかなかったのだろうか。
レオン様には何もしなかったのだろうか。
私のいた岩の上からレオン様は目に入ったはず。
あのレオン様を目にして、何もしなかった?
川から上がった時には既にリリアナ様からの変化は済んでいたはず。
私は意識が無かったし、誰にも知られずにレオン様を連れ去ろうと思えば出来たはず。
それなのに、そうしなかったのは、何故だ?
悪意のまったくない善意の金持ち貴族?
そんな人間が、たまたまトルゥクとキオウを所持して、あの山の中を通りかかって、意識の無い私の火傷の手当てをして、何も言わずに去った?
そんなことが有り得るのか?
レオン様の待つ部屋の前に立ち、声を掛ける。
「レオン様、クロードです。入りますよ」
私が中へ入ろうとドアを開けると、レオン様はゆっくりとこちらを振り向き、私を見て微笑む。
窓から入る日差しにレオン様の蜂蜜色の髪が優しく輝いている。
……いつも思うのだが、リリアナ様と同じ顔のはずなのに、リリアナ様とレオン様は印象が全然違う。
可憐で可愛らしいリリアナ様に対して、レオン様は何と言うか、……圧倒される。
それまで考えていたことが一瞬で頭の中から吹き飛び、目の前のレオン様しか見えなくなる。
すべてを忘れて、……レオン様しか目に入らなくなる。
「中に入らないの?」
「……え? あ、はい」
久しぶりのレオン様の美しさに気圧されて、部屋の入り口で立ち尽くしていた私は、その言葉でやっと我に返る。
…思わず見惚れてしまった自分が、ちょっと恥ずかしい。
レオン様は前回と同じように、窓枠に座り、立てた片足に頬杖を付きながら外を見ていた。
窓から入ってくる風がレオン様の髪を揺らす。
河原ではずぶ濡れで青白かった肌が血色を取り戻し、紫色だった唇もいつものさくらんぼ色になっていた。
……こうして、またレオン様に会えるとは思わなかった。
……一度は死を覚悟した。
あの崖から飛び降りた時。
頬杖を付いたまま何気なくこちらを振り向いたレオン様が目を見張り、腰かけていた窓枠から降りて私の前に歩いて来て、大きく両手を広げた。
その意図が分からずに首を傾げて立っていると、レオン様は小さく笑って私のシャツの襟元を掴んでグイっと自分の方へ引っ張った。
いきなり強く引っ張られて、バランスを崩して前に倒れそうになる私をレオン様が受け止め、そのまま抱きしめる。
……え。
ふと見ると、私がぶつかったレオン様のシャツの肩口が濡れている。
……もしかして私は、また知らぬ間に涙を流していたのか?
……ええええっ。今日は涙腺がおかしい。
何故、私の意思に関係なく勝手に涙が流れるのだ。
私はどうかしてしまったのか?
「……クロード、ありがとう」
レオン様が私の背中に手を回して抱き締めながら、耳元で優しく言う。
……温かい。
私に触れるレオン様の手も、頬も、鼓動が伝わってくる胸も、とても温かくて、今更ながら生きていることを実感する。
崖から飛び降りることを決めたあの時、恐怖が無かったわけではない。
護衛といえども人間で、死ぬのは怖いし、本当のことを言うと脚がすくんだ。
けれど、私は己の務めを果たさねばならないし、それに何より、……守りたかったのだ。リリアナ様を、……レオン様を。
生きていて欲しかった。
レオン様の言葉で、今頃になってあの時の恐怖や主を守れた安堵感、……そしてまた会えた喜び、自分の中にあったいろんな感情がごちゃ混ぜになって一気に溢れてきた。
溢れ出るぐちゃぐちゃになった感情のままに、レオン様のその華奢な体を強く抱きしめる。
……良かった、あなたを守ることが出来て。
レオン様は何も言わずに、ずっと私の背中を優しく撫でていた。




