3. 曲者兄妹の強引な誘い
まるで騙し討ちのような真似をして屋敷に居座ったエリオット王子は、勝手に自分をお嬢様の将来の夫だと言って、毎日お嬢様に歯の浮くような言葉を囁き続けていた。
その狂気に震えたお嬢様が旦那様に泣きついて助けを求め、激怒した旦那様が王妃に直訴した結果、エリオット王子は城に強制送還された。
あの日の皆の心からの笑顔を、私は忘れない。
「エリオット王子のあの強引で距離が近すぎるところが、本当に苦手なの……」
心底うんざりした表情で、お嬢様が零している。
これは普段、感情の起伏の少ないお嬢様には珍しいことだ。
「何かと言うと、わたしに触れてこようとするのよ? ……いつもクロードが間に入ってくれるけど」
いくら相手が王子とは言え、未婚の令嬢で、しかも人見知りの激しいお嬢様に、そう簡単に触れさせるわけにはいかない。
私の隙を見て、どうにかお嬢様に近づこうとするエリオット王子の邪魔をするのが、ここ最近の私の重要な仕事になっている。
朝食を終えて、お嬢様はいつものようにお気に入りの薔薇園へ散歩に向かう。
「雨が降ったお陰で、庭の薔薇が活き活きとして、とても綺麗ね」
自分が一切の外出を禁じたために屋敷に籠っている娘の癒しになればと、旦那様が力を入れて手入れさせている庭園は、ちょうど今が薔薇の盛りで、その甘い香りに誘われてお嬢様は時間があればここを訪れている。
朝方までの激しい雨が嘘のように、空には雲一つない。
心地よい風がそよぎ、柔らかな陽の光に、お嬢様の蜂蜜色の豊かな髪が輝いている。
それは、まるで絵画のような美しさだった。
久しぶりの穏やかな時間を、皆で楽しんでいた。
そこに、いつものあの声が響き渡り、癒しの時間の終わったことを皆に告げる。
「私のリリアナ!」
その瞬間、お嬢様はびくっと体を強張らせて、助けを求めるような目で私を見上げた。
私はお嬢様の前にすっと歩み出て、声の主エリオット王子を待ち受ける。
エリオット王子は、いつものように馴れ馴れしい笑顔を浮かべながらこちらへ歩いてきて、ちらりと私を一瞥してから後ろへ回り、お嬢様の顔を覗き込んだ。
「こんなに美しいあなたをずっと見つめていたいのに、一目見ただけで帰らねばならないなんて、拷問のようだ。……つら過ぎる」
……え? もしかして、今日はこれでもう帰るのか?
エリオット王子の言葉に、お嬢様がぱあっと笑顔で顔を上げた。
……いや、さすがにちょっとそれは露骨すぎます、お嬢様。
もう少し感情を抑える練習をしなければなりませんよと、つい心の中で呟いてしまう。
「そうか! あなたも私と同じ気持ちなんだね。嬉しいよ」
うん、このエリオット王子にはそういった気遣いは必要無いようだ。
まあいい、もう帰ると言っているし、今日はこれ以上エリオット王子に煩わされずに済みそうだとほっとしていると、向こうから誰かがこちらへ来るのが見えた。
それは、お嬢様と同じくらいの年恰好の少女だった。
いかにも身分の高そうな振舞いのその少女は、数人の侍女をつれてこちらへ歩いて来て、エリオット王子の横に並ぶと、おもむろにその薄い唇を開いた。
「……ふうん、なるほど綺麗なお人形ですわね」
「ラリサ! 将来の義姉に向かって失礼だろう」
「義姉? そんな話、わたくしは聞いておりませんわ。それに、お人形を義姉に持つ趣味もございませんし」
リリアナ様に対してあまりにも無礼なこの少女は、エリオット王子とのやり取りから妹のラリサ王女と思われた。
エリオット王子と同じ明るいオレンジがかった茶色の髪に、鮮やかな緑の瞳。
違うのは、目尻が少しつり上がっているところか。
そのせいで気が強そうな、気位が高そうな印象を与えている。
……はっきり言えば、意地悪顔とも言うが。
お嬢様に対するラリサ王女の態度に、私は内心むかむかしていた。
「……お人形ならば、義姉よりも褒美の方がふさわしいのではないかしら?」
「何を言っているんだ、ラリサ?」
「このお人形を、今日の狩りの褒美にしてはどうかと言ってるのです」
「やめなさい、ラリサ! リリアナに失礼だろう! リリアナ、申し訳ない。これは私の妹のラリサだ。妹の非礼は私が代わりに謝る。許して欲しい」
お嬢様を見下すような高慢な態度のラリサ王女の肩に手を置いて、エリオット王子は焦った様子でお嬢様に頭を下げた。
ラリサ王女のあまりの発言に言葉を失くしていたお嬢様は、エリオット王子がラリサ王女を紹介するのを聞いて、私の背後からすっと前に出てきた。
「お初にお目にかかります、王女殿下。わたくしは、グランブルグ伯爵の娘リリアナでございます」
ドレスの裾を軽くつまみ膝を曲げて優雅に挨拶をするお嬢様を、まるで品定めするように不躾に見たラリサ王女が甲高い声を投げてきた。
「まあぁ、まるで小鳥のさえずりのような小さな声で、全っ然聞き取れませんでしたわ。やり直してくださる?」
「ラリサ、いい加減にしなさいっ。リリアナ、すまないが今日はもうこれで失礼するよ。このお詫びは今度改めてするから」
言うことを効かない妹に手を焼いて、急いでこの場を立ち去ろうとするエリオット王子の手を払いのけて、ラリサ王女がずいっとお嬢様の前に来た。
「ねえ、あなたがお人形かどうか、確認する方法を思いついたわ」
ラリサ王女は二ィッと薄い唇の端を上げて、不気味な笑顔でお嬢様に囁きかけた。
「わたくし、これからお兄様と狩りに行くの。……それに、あなたも参加なさいな」
陰険な目つきでお嬢様の顔を覗き込んだラリサ王女は、そのまま言葉を続けた。
「……まさか、狩りが出来ないとは言わないわよね? 名門グランブルグ伯爵家の娘が? それとも、本当にお人形なのかしら?」
ラリサ王女の迫力に、お嬢様はまるで蛇に睨まれた小鳥のように怯えて震えていた。
いつもならお嬢様を溺愛する旦那様が飛び出てくる場面なのだろうが、残念ながら今日は旦那様は登城していて留守だ。
旦那様無しで、使用人の私達が王族に立ち向かえるはずもない。
どうしたものか困り果てていると、後ろから凛とした声が響いてきた。
「御厚意に甘えさせて頂きなさい、リリアナ」
「……お母様」
いつのまにかマリアが報告に行ったらしく、奥様がそこに立っていた。
豊かな蜂蜜色の髪を結い上げて、瞳と同じ鮮やかな青のドレスを纏った奥様は、堂々として辺りを払う気品に満ちていた。
ゆっくりとこちらへ歩いてきた奥様は、その美しさに圧倒されて言葉を失っている兄妹に挨拶を済ませると、お嬢様に向き直ってそっと話しかけた。
「リリアナ、あなたには気晴らしも必要よ。折角の機会なのだから、外に出て楽しんでいらっしゃい。……そうね、つまらなければ、大袈裟に倒れたふりでもして帰って来なさいな。こういう面倒くさい人達は一度思い切りびびらせてしまえば、きっと後が楽になるわ。ふふっ」
まるでラリサ王女のような企んだ笑顔も、この美貌だと凄味が増して背筋が冷える。
……決して奥様を怒らせないようにしよう。
「そんな真似をして大丈夫でしょうか。宜しいのですか?」
「構わないわ。その代わり、クロード。あなたは決してリリアナから離れないで。あなたが側にいると信じるから許すのです」
強い目で真っ直ぐに私を見て命じる奥様の前に、私は跪いて答えた。
「決してお嬢様のお側を離れることなくお守りし、無事に屋敷まで戻って参ります」