28. 執念の炎
念願の林檎を手にしたリリアナ様はご機嫌で、よほど嬉しかったのか林檎に頬ずりまでしている。
元気になったようなので、もう抱きかかえていなくても大丈夫かなと、私がリリアナ様を座席に降ろそうとすると、まだ目眩がすると言い出したので、私はまたリリアナ様を抱きかかえて自分の膝の上に乗せた。
「食べないのですか?」
大事そうに林檎を手で包んで眺めているリリアナ様に私は尋ねた。
「マリアに見せたいの。……それに、たくさん話したいことがあるし。……行って良かったわ。クロード、付き合ってくれてありがとう」
はにかみながら言うリリアナ様はとても可愛らしい。
「リリアナ様のその顔が見られただけでも、お供した甲斐がありますね」
私のその言葉に、リリアナ様が恥ずかしそうに手にした林檎で顔を隠すのを微笑ましく見ていた時だった。
突然、馬のいななきが聞こえたかと思うと、馬車が大きく揺れて止まった。
私が腕に抱えていたリリアナ様を、その衝撃で落とさないように咄嗟に強く抱きしめて様子を伺っていると、外でドサッという何かが倒れるような大きな音が聞こえた。
「何事だっ⁉」
驚き怯えて、私の上着を握りしめるリリアナ様を抱き締めながら、私は外の御者に声を掛けるが返事が無い。
「……どうしたの? ……何があったの?」
「……分かりません。私は外の様子を見てくるので、リリアナ様はここにいて下さい」
そっとリリアナ様を座席に降ろして、私が外に出ようとドアに手を掛けたその時、いきなりドアの窓に見知らぬ男の顔が現れた。
「……うわっ⁉」
……さっきまでの御者ではない。……誰だ、この男は?
その男は、にやにや笑いながら窓越しに中を覗いていた。
「お前が、リリアナだな?」
……え、リリアナ様?
この男は何者だ? 何故、リリアナ様の名前を知っているのだ?
正体不明のその男の視線を遮るように、私はリリアナ様の前に出る。
「……お前が屋敷から出てくるのを待っていたんだ。アンリエッタ様の恨みを晴らすためにな!」
……アンリエッタ? 何故、アンリエッタ嬢が? 自邸に幽閉されているはずでは?
突如出てきたその名前に混乱する私を無視して、私の後ろに隠れるリリアナ様に向かって男が叫ぶ。
「お前のせいでアンリエッタ様はあんなことになったんだ! 絶対に許さない! アンリエッタ様が味わった以上の恐怖をお前に味わわせてやる!」
男はそう叫ぶとドアから離れ、姿が見えなくなった。
……アンリエッタ嬢以上の恐怖とは、何だ?
このままここにいては危険だと感じて、外に出ようとするがドアが開かない。
出られないように、男が外からドアに何か細工をしたらしい。
……まずい、急いでここから出なければ危険だ。
「リリアナ様、ドアから離れてください」
リリアナ様がすぐに離れたのを見て、私はドアに思い切り体当たりをした。
何度か体当たりを繰り返して建付けが緩くなったのを見て、私は足でドアを蹴破り壊した。
何とか外に出た瞬間、強烈な臭いが鼻をついた。
見ると、馬車の周り一帯に何かを撒いたような濡れた跡があり、先程の男が少し離れた所で笑いながら蝋燭を手にしている。
……え、まさか、火を点けるつもりか⁉
「俺はアンリエッタ様の乳兄弟だ。アンリエッタ様の仇は俺が討つ!」
そう言うと男は持っていた蝋燭を投げ、走ってそこから去って行った。
逃げた男を追いかけようとするが、地面に落ちた蝋燭から一気に火が回って、前を塞がれてしまった。
「あいつっ、何てことをっ」
周到に馬車の周りに撒いたらしく、どこにも逃げる隙間なく火に囲まれ、その恨みの深さに私は言葉を失くした。
……リリアナ様は何もしていないのに。何も悪くないのに。
何故ここまで恨まれなければならないのだ。
私が馬車の中にいるリリアナ様の元へ戻ろうとして、ふと倒れている御者と馬が目に入った。
さっきの男の仕業だろう。矢で射られて絶命していた。
……よくも、こんな非道なことが。
「……クロード。……どうして? ……わたし」
馬車の中リリアナ様が、がくがくと震えながら私の後ろで燃え盛る火を見ていた。




