25. 無神経、主を泣かせる
川の側を通り過ぎ、しばらく山道が続いたかと思うと急に目の前が開けて、馬車の窓から見える眼下に広がる町並みにリリアナ様と私は声を上げた。
「わあっ、クロード、見て! お城が見えるわ!」
「本当だ。ああ、グランブルグ伯爵家も見えますね」
私は、窓に両手をつけて外を見ながらはしゃいでいるリリアナ様の横に並んで外を見た。
すると急にリリアナ様が静かになり、何気なく横を見ると、目を見開いたまま固まって私を見ていた。
「どうかしましたか?」
「……え、あの、だって、その」
「はい?」
声が小さくてよく聞き取れなかったので、私が耳を近づけて聞き取ろうとすると、リリアナ様の体がふにゃふにゃと力が抜けたように崩れ落ちる。
「……え? リリアナ様? どうしたのですっ?」
これから神殿へ行き、祭りに参加するのではなかったのか。
こんな所で意識を失ってどうする?
何もない馬車の中で意識を失うようなら、大勢の人間が集まる祭りになど到底参加出来るわけがない。
……屋敷へ引き返そう。
私が意識を失くしたリリアナ様を抱え起こして、引き返すようにと御者に声を掛けようとした時だった。
うっすらと目を開けたリリアナ様が、私の袖を引っ張った。
「……待って、クロード。大丈夫だから、このまま神殿へ行かせて。お願い」
「ダメです。リリアナ様のお体の方が大事です」
「嫌よ、このまま帰りたくない。せっかくここまで来たのに。林檎を貰って帰りたいの。ねえ、クロード、お願いよ」
まだ目の焦点が合わない、こんな状態で懇願されても、「はい、分かりました」と言うわけにはいかない。
……たかが林檎の為に、何故ここまで無理をしようとするのか私にはさっぱり理解出来ない。
「林檎なら、今度私が買ってきます。籠いっぱい買ってきますから、それなら良いでしょう?」
神殿の下げ渡しの林檎も、元はどうせ商人から仕入れたものだろう。
それなら、私が店に行って買ってきても同じだ。
一個などと言わず、店にあるだけ全部の林檎を買って来よう。
……今はリリアナ様のお体が大事だ。引き返そう。
「……さ、帰りますよ。……って、え? リリアナ様?」
リリアナ様が私の腕の中で、私の顔を見上げたまま、号泣していた。
瞬きもせずに、ぼろぼろと大粒の涙を流している。
「……え、何故? どうして?」
「酷いわ、クロード。そんなことを言うなんて」
「……そんなことと言われても。私は何か酷いことを言いましたか?」
「わたしの気持ちなんて、全然分かってくれないのね」
涙がさらに勢いよく溢れ出し、そのうちしゃっくりまで出てきてもリリアナ様が泣き止む様子が無い。
……どうしよう。
何故、リリアナ様がここまで泣くのか、私には全然理解出来ない。
何がそんなに悲しいのだろう。
……参ったな。
私は困り果てて、泣き続けるリリアナ様を見た。
……先月の疲れがまだ残っているのか、馬車の中で気絶するほど体が弱っているのなら、神殿には行かずに引き返すべきだ。
しかし、それではリリアナ様が納得しないし、それに旦那様や奥様に送り出されて来たのに、辿り着けませんでしたとすごすごと帰るのもなあ。
私は何か良い方法は無いものかと考えを巡らして、閃いた。
「このまま神殿に行きましょう、リリアナ様。だから、もう泣き止んでください」
私は上着のポケットからハンカチを取り出し、リリアナ様の涙で濡れた頬を拭った。
まだ一粒二粒ぽろっぽろっと零れる涙をそのままに、リリアナ様が私を見上げる。
……あーあ、泣き過ぎて目が赤くなってる。
これは絶対マリアに怒られるやつだと私は自嘲した。
「……いいの、クロード? 本当に?」
「はい。本当です。そのかわり」
「……きゃあっ」
私は馬車の床に座り込むリリアナ様を両手で抱え上げて座席に座り、自分の膝の上に、抱きかかえたままのリリアナ様をそっと乗せた。
「私が、こうしてリリアナ様をずっと支えています。これなら安心ですから」
たとえリリアナ様の体力が無くても、突然意識を失っても、こうやって私がずっと抱きかかえていれば大丈夫だ。
「神殿に着いても、私がこうしてリリアナ様を支えて、リリアナ様の足になります。それで宜しければ、神殿に行きましょう。それがお嫌なら、今すぐ屋敷に引き返します。……どうしますか?」
膝の上で固まるリリアナ様の顔を覗き込みながら、私は返事を待った。
リリアナ様は困ったように視線をあちこちに彷徨わせながら、もにょもにょと返事をする。
「……クロードって、こんな人だったかしら?」
「え、何ですか? 聞こえませんよ」
「……このままで、お願いしますっ。もうっ、もうっ、こんなこと言わせないで。恥ずかしいっ」
リリアナ様がぺちぺちと私の胸を叩いたかと思うと、そのままばふっと私の胸に顔を伏せた。
赤くなったり、固まったり、泣いたり、ころころと変わったリリアナ様の顔は、神殿に着くまで私の胸に伏せられて見えなかった。




