21. ばれてしまった秘密と新たな秘密のお仕事
リリアナ様が戻ったことで喜びに沸いた屋敷も、夜が更けて皆が眠りにつき、今は静まり返っている。
私はなかなか寝つけずに、一人で庭に出てぼんやりと夜空を見ていた。
自分で繕ったマントを手に、私は木の根元に座って幹にもたれた。
色々あったが、リリアナ様を連れて無事に帰れたことは良かったと思う。
誓いを果たせたこと、信頼に応えられたこと、それは良かったと思う。
……だが、気づいたらふと考えているのは、レオン様のこと。
ずっと私の心の奥に引っ掛かっているのは、レオン様のことだった。
私はリリアナ様の護衛だ。
リリアナ様を守るようにと旦那様に命じられてお側に仕えているし、皆がリリアナ様の帰りを喜ぶのも分かる。
……でも、レオン様は?
レオン様もグランブルグ伯爵家の大切な一人息子のはず。
それなのに、リリアナ様と違って、誰にもその存在を知られずに、その身を案じられることも、帰りを望まれ喜ばれることも無い。
本来なら名門伯爵家の令息として大切に扱われているはずなのに、私のような者と一緒に人に知られぬように逃げ隠れしてばかりで、食べたい物も満足に食べさせてあげられなかった。
あのまま、レオン様のままお連れすることも出来たはずなのに、私が迂闊にもキスしてしまったばっかりに、レオン様はリリアナ様に戻ってしまった。
私が己の過ちを言い出せないばかりに、レオン様のことを誰にも話せない。
誰もレオン様が現れたことを知らない。
私のせいで。
「自分の顔だ」と言ってレオン様が刺繍したマントを握りしめ、私は後悔に苛まれていた。
私のせいだっ……。
「……レオン様っ、申し訳ありません」
「……やっぱり現れたのね」
誰もいないはずの夜更けの庭に響く突然の声に、私が驚いて振り返ると、そこには奥様が一人で立っていた。
「……奥様」
「雨で変化するなら、川に流されて変化しないはずがないわ。それなのにあなたが一言もレオンに触れないから疑問に思っていたけど、やはりレオンは現れたのね」
何も答えられずにいる私の手からマントを取り、それを広げて見ながら奥様が言葉を続けた。
「あなたは知らないかもしれないけど、この生地はあなた用に特別に誂えたものなの」
……特別な生地? 高価な物とは知っているが、私用とは?
「ひいては我が子を守るためよ。お金に糸目を付けずに、国中から最も細く強い糸を探し出して、国一番の織物職人に通常の倍以上の目の細かさで織らせた特別な生地でね、田舎の針子に扱えるような物では無いわ」
……どうりで、やたらと重たい生地だと思った。針も刺さらないし。
……ということは、このマントは物凄く高価な物なのでは?
それを破いてしまった! しかも、私が縫ってしまった! どうしよう。
「あなたはマリアに宿で会った子供が刺繍したとか言い繕っていたけど、いくら子供でも、この生地に針が刺せるほど肝が据わった平民がいるとは思えない。……レオンでしょう、あの子がこれを縫ったのね?」
……ああ、もう誤魔化せない。これ以上は無理だ。
静かに、真っ直ぐに私を見つめる奥様に、私は覚悟を決めて答えた。
「……そうです。レオン様です」
私のその言葉を聞いた途端、奥様はぎゅっとそのマントを胸に抱きしめて、はらはらと涙を零した。
「……奥様」
「ああ、クロード。あなたを責めているわけじゃないの」
静かに涙を流す奥様に何と声を掛けたらいいのか分からず、私が黙ってその場に立ち尽くしていると、しばらくしてハンカチで涙を拭いた奥様がにっこりと微笑みながら口を開いた。
「あなたが言いたくないことを無理に言わせるつもりはないから、心配しないで」
「……」
「この破けたマントを見れば、どれほどリリアナが危険な目に遭って、あなたが命懸けで守ってくれたかが分かるわ。あなた以上に信頼して護衛を任せられる人はいない。私たち家族にとって、あなたの代わりはいないのよ」
「……私はただ、これまでに旦那様や奥様から受けた恩をお返ししているだけです」
「口では何とでも言えるけど、実際にそれが出来る者はそうはいないわ」
「……」
「リリアナとレオンの護衛はこれまでどおり、あなたにお願いするわ。あなた以外にいないもの」
優しい顔で私を見る奥様に、私は何も言えなかった。
ここまで信頼してくださる奥様と旦那様に言えない秘密を、私は抱えている。
いっそ、今ここで奥様に打ち明けてしまえば、楽になるだろうか。
例えそれで罰を受けたとしても、黙ったまま、隠したままでいるよりはきっとマシだ。
もやもや考えながらも、私は顔を上げて奥様の顔を見た。
……よし、打ち明けよう。言ってしまおう。
「……あの、奥様」
「言わなくても良いって言ってるでしょ」
決死の覚悟で打ち明けようとする私の言葉を奥様が遮る。
……いや、でも、言わないわけにも。
「何となく想像はつくから」
……え、……想像がつく? ……ええええ⁉
「あなたのその顔を見れば、何となく分かるわよ」
……え、私の顔で? な、何か書いてありますか?
「ふふっ。可愛いわね」
……ほ、本当にばれているのか? まさか奥様も特殊能力の持ち主とか?
「ああっ、その場に居たかったわ! 絶対面白かったでしょうに」
生温かい目でにやにやしている奥様を見て、私は奥様はリリアナ様に似ているとずっと思っていたが、そうではなくレオン様に似ているのだとやっと気づいた。
悪戯っ子のような目で、「わたしは良いけど、夫には内緒ね。殺されるわよ、ふふっ」と言われたが、私はまだ死にたくありませんっ。
その後しばらく、奥様と二人で星を見上げながらレオン様の話をした。
自分の知らないレオン様の話をして欲しいと、奥様に頼まれたのだ。
レオン様は豚の丸焼きがお気に召したようだと私が話すと、奥様は信じられないと目を見開き顔を横に振った。
十年前に現れた時は、レオン様はとにかく人と接するのを嫌がり、食事さえも共にすることを拒み、何も口にしたがらなかったそうだ。
それが、今回十年ぶりに現れたと思ったらいきなり豚の丸焼きとはと、奥様は驚いて言葉を失っていた。
そして、私の手持ちが不安だったために一度しか豚の丸焼きを食べさせてあげられなかったと私が申し訳なく話すと、次からは好きなだけ食べさせてあげて欲しいと、奥様からお金を預かった。
その上、豚の丸焼きだけでなく、宿代や着替えなど、「今度からはちゃんと請求しなさいね」と言いながら、それ以上のお金を頂いた。
……おおおおっ、まさかこんなに頂けるとは。
奥様にお話して良かった。
「これなら毎日豚を一頭食べても大丈夫ですよ、レオン様」と、私が心の中でレオン様の喜ぶ顔を思い浮かべていると、奥様が意外なことを口にした。
「もし、またレオンが現れることがあったら、……その時は急いで帰って来なくても良いわ」
「何故ですか?」
「……帰って来ても、きっとまた屋敷に閉じ込めるだけになるからよ」
「そんな!」
「グランブルグ伯爵家の子供は娘だと、リリアナだと周知されてしまっている以上、レオンを表に出すのは難しいわ。……それなら、屋敷に戻る前に少しでも、あの子の好きなことをさせてやりたい」
奥様は私の手を取ると言葉を続けた。
「レオンが豚の丸焼きが好きなら、幾らでも食べさせてやって。したいことがあるなら、行きたい所があるなら、すべてあの子の好きにさせてやって。こんなこと、あなたにしか頼めないの、クロード」
そうして私は、無事に連れ帰ることを条件に、奥様から寄り道の許可を頂いた。
……あのレオン様と寄り道。
嫌な予感しかしないのだが。




