2. 曲者王子との出会い
私を呼びに来たマリアと共にお嬢様の部屋に入る。
すでに身支度を終えたお嬢様は、落ち着かない様子で、お守りの指輪を両手で握り締めて、何度もため息を吐きながら、部屋の真ん中をくるくると円を描くように歩き回っている。
それはそうだろう。
今まで旦那様に大切に守られて、静かに平穏に暮らしてきたのが、妙な男によって突然乱されたのだ。
これまでならば名門伯爵家の当主である旦那様が睨みを利かせれば、皆、震えあがって逃げ帰って行ったが、今度の相手は王子で、その上、旦那様が何を言っても暖簾に腕押しでのらりくらりとかわしてしまう。
掴みどころのないその王子の対応に、グランブルグ伯爵家は困り果てていた。
そして、旦那様という関門を無理やり突破した王子は、目当てのリリアナ様の元へ来てはどうでもいい話を延々と続けて、日が暮れた頃にやっと城へ帰るのだ。
断っても断ってもしつこく押しかけてくる王子に、お嬢様がうんざりする気持ちは、よく分かる。
王子が来ると聞いただけで、不安になって部屋をうろちょろする気持ちも、よく分かる。
ここにいる皆が同じ気持ちだからだ。
「お嬢様、エリオット王子が来られるまでにはまだ時間がありますから、少し落ち着いてくださいませ」
マリアが、くるくる歩き続けているお嬢様に声を掛けて、椅子に座らせようとする。
「違うの、そうじゃないの。マリア、……変な夢を見たのよ」
「変な夢とは?」
余程不安でいっぱいだったのか、ここでやっと私の存在に気づいたらしいお嬢様は、たたたっと私の元へ駆け寄ってきた。
そして私の袖口を掴んで、堰を切ったように夢の話をし出す。
「クロード、聞いてちょうだい。何処か暗い所に、わたしが一人でいて、お父様とお母様がずっとわたしの名前を呼んでいたの。アシュランお祖父様もいらした……。あれは何だったのかしら。夢なのに、何処かで見たことがあるような気がするの」
これは、恐らく十年前の出来事を言っているのだろう。
あの時のことは何も覚えていないはずなのに、何処か片隅にほんの少しだけ残っていた記憶を掘り起こされたのか。
……きっと、今朝のあの雨のせいで。
訳の分からない不安に怯える目で、お嬢様が私を見上げていた。
「私は旦那様から、何があっても側を離れずにお嬢様をお守りするよう言付かっています。お嬢様が何処にいらっしゃるにも私が付いていますから、安心してください。決してお嬢様を一人にはしません」
不安に揺れやすいお嬢様を和ませるために、腰を屈めて目線を合わせる。
上背のある私が屈んで顔が近づいたことに、少し驚いた様子のお嬢様は、顔を赤らめてはにかむように微笑んだ。
「……そうよね、クロードがいてくれれば大丈夫よね。クロード、……わたしの側を離れないでね? ずっと側にいてね?」
「はい、もちろんです」
お嬢様が恥ずかしそうに私の目を覗き込む。
「まああ、お嬢様ったら、いっつもいっつもクロードばっかり! わたしだってお側にいます! 忘れないで下さいませ」
マリアがお嬢様をからかうように、むくれた顔をこちらに向けてきた。
それを本気にしたリリアナ様が、慌ててマリアの機嫌を取りに向かう。
「忘れていないわ、ちゃんと覚えているわよ」
「クロードは、お嬢様のお気に入りですものね。分かってます。わたしとは違いますよね」
「……え、ちょっと、マリア、何を言うの?」
顔を真っ赤にしたお嬢様に、マリアが私に聞こえないように何やら耳打ちしている。
……何を話しているのだろう。
多少気にはなるが、二人で楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいる様子を見ると、どうやら私には関係ない話のようだ。
無理に割って入る必要も無いだろうと、私は腕を組んで壁にもたれながら、会話の途切れない二人の様子を微笑ましく見ていた。
しばらくして、ようやく話が落ち着いたらしいお嬢様とマリアと共に、朝食を摂るために食堂へと向かう。
どうやらお嬢様は、エリオット王子が今日も来ることなどすっかり忘れてしまったようだ。
妙な夢を見たと言って怯えていた顔も何処へやら、にこにことご機嫌だ。
その様子に、お嬢様に気づかれないようにそっと目配せしてくるマリアに、笑って返す。
お嬢様はエリオット王子があまりお好きではない。というか、苦手だ。
まあ、それはお嬢様だけではなく、お仕えしている私達皆がそうなのだが。
というのも、エリオット王子というのは、なかなか癖の強い人物なのだ。
初めてエリオット王子がグランブルグ伯爵家を訪れたのは、半年程前のこと。
明るいオレンジがかった茶色い髪に少し目尻が下がった鮮やかな緑の瞳。
見た目だけなら、穏やかで優し気な印象を受けるのだが、問題はその中身だ。
数人の護衛を引き連れて狩りに行く途中で、先触れも無く、いきなり伯爵家を訪れたエリオット王子は、門番と小競り合いになった挙句、止めに入った旦那様にこう言ったのだ。
「トイレを貸してくれ」
これにはさすがに断るわけにもいかずに、旦那様が渋々屋敷内に入れると、今度は満面の笑みでこうのたまったのだ。
「お招きありがとう、伯爵。厚意に甘えて、ゆるりと滞在させてもらう」
その時の旦那様の素っ頓狂な顔は忘れられない。
その後、旦那様がありとあらゆる言葉を並べ立てて追い返そうとしても、すべて華麗に無視したエリオット王子は、そのまま強引に屋敷に居座り続けた。
そして、頭を抱える旦那様を尻目に、傍若無人な態度で屋敷中を歩き回ったエリオット王子は、とうとう目当てのお嬢様を見つけてしまった。
「み~つけた!」
突然現れた得体の知れない不気味な男に、部屋の隅で震えるお嬢様を、両手を広げて喜色満面で抱きしめようとするエリオット王子。
さすがにこれは黙って見ていられずに、私は咄嗟にお嬢様とエリオット王子の間に割って入り、そのままエリオット王子に抱きしめられてしまった。
「うわっ」
明らかな抱き心地の違いに、エリオット王子は声を上げて飛びのき、恨めしそうに私を睨んだ。
そして、怯えて私の後ろに隠れたお嬢様に、弁解するように話しかけた。
「あなたが、リリアナでしょう? そんなに怖がらないで。ほら、見た通り、私は怪しい者じゃない」
お嬢様は私の袖をぎゅっと掴んだまま、恐る恐る顔を出してエリオット王子を見ていた。
そんなお嬢様に、エリオット王子は耳を疑うような言葉を投げかけた。
「私はこの国の第二王子エリオット。あなたの将来の夫です」
何を勝手なことを言っているのかと呆れながら聞いていると、私の袖を掴んでいた指の力が抜けるのを感じた。
振り返ると、私の後ろにお嬢様が気を失って倒れていた。
これはちょっと、お嬢様には刺激が強すぎる……。