18. よく鳴き、よく撃たれる雉
馬繋場で預かってもらっている馬の所へ戻ろうとする私のマントを、ふいにリリアナ様が引っ張った。
「クロード、……あの、あのね、わたし、このままもう少しここにいたいの」
「何故ですか? 旦那様も奥様も、きっととても心配していらっしゃるはずです」
「……それは分かっているけど、でも、屋敷に戻ったら……もう、こんな風にはいられないでしょう?」
賊を片足で踏みつけ、エリオット王子を拳で吹き飛ばした方と同一人物だとは今でも信じられない可憐さで、はにかみながらリリアナ様が私を見る。
「……こんな風とは、どういうことでしょう? 私に分かるように仰って頂けますか?」
「だから、つまり、その、わたしは……」
「はい?」
「だから、ね。わたしは、あなたと」
「リリアナ! 一緒に帰ろう!」
意を決したように何かを言おうとするリリアナ様の後ろから、極上の笑みを浮かべたエリオット王子が駆け寄ってくる。
リリアナ様がゆっくりと首を後ろに回したかと思うと、何処からともなく、ゴゴゴゴゴゴゴ……という音が聞こえてきた。
「……うわあっ!」
驚愕の表情で後ろに飛びのくエリオット王子の背を支えながらオリヴィエ様が声を上げる。
「だから言ったじゃないですか! 空気を読むようにと!」
「今、読んだ! すまない!」
オリヴィエ様とごにょごにょ内緒話をしているエリオット王子を見ていて、私はふと気づいた。
借りた馬で駆けて屋敷まで帰るより、エリオット王子と一緒の方がリリアナ様には余程快適で安全なのではないだろうか。
エリオット王子と一緒なら馬車があるはず。
言うまでもなく、馬のように人目を引くことも無く、レオン様の時のような固い板張りの座席ではなく、王族用の馬車の柔らかい座席でゆっくりとくつろげる。
……リリアナ様はお疲れに違いないのだ。
狩場で犬に襲われて川に流され、やっと目覚めたら今度は賊と戦い、……ほんの数日前のリリアナ様からは想像も出来ないようなことばかりだ。
「馬で帰りましょう」などと非情なことは言わずに、エリオット王子が誘ってくれるのなら、それに甘えるよう勧めるべきではないだろうか。
「あの、オリヴィエ様。先程、殿下が一緒に帰ろうと仰っていましたが、お言葉に甘えさせて頂いても宜しいでしょうか?」
オリヴィエ様はエリオット王子と一瞬顔を見合わせ、後ろに首を回したまま戻らないリリアナ様の顔をちらっちらっと様子を伺うように見ながら、途切れ途切れに答える。
「……え、……ああ、そちらが良ければ、馬車の用意をするので一緒にどうぞ」
「ありがとうございます」
リリアナ様の首がゆっくりとこちらに戻ったかと思うと、私が今までに見たことも無い絶望的な表情をしていた。
……私の知らないところで何かあったのだろうか。
「……おや、リリアナ?」
馬車の手配をしようとオリヴィエ様がエリオット王子の側を離れかけた、ほんの一瞬の出来事だった。
エリオット王子は軽く首を傾げながら、リリアナ様を見ていた。
「少しふっくらしたのではないか?」
オリヴィエ様が必死の形相で駆けつけてエリオット王子の口を塞ごうとするが、リリアナ様の右の拳の方が早かった。
エリオット王子は、高く掲げられたリリアナ様の拳の先の、はるか高みできらりと輝いて消えた。
オリヴィエ様は「だから言ったのに。何処まで飛んだのやら、まったく」とぶつぶつ言いながら、護衛騎士と共にエリオット王子を探しに行った。
「クロード」
今にも泣きだしそうな顔でリリアナ様が私を振り返った。
「……あなたも、そう思う?」
そう言われても私には、エリオット王子のような一目見ただけでふっくらしたかどうかなんて察する特殊能力は無い。
「さあ、私にはよく分かりませんが」
私はふと、レオン様を思い出した。
レオン様と一緒の時は、よく抱き上げたり、肩に担いだりしたが、あの方は豚一頭一人で食べてもとても軽かった。
何気なく、私はひょいと目の前に立つリリアナ様を抱き上げてみた。
……何て軽い。
あの数十人分のパンとスープは何処へ行ったのか、信じられない軽さだ。
「……リリアナ様は羽のように軽いですね」
「これなら何か起きても抱き抱えて逃げられるな」と安心して、つい顔が緩んでしまう私を、リリアナ様はまるで魚のように口をぱくぱくさせながら見ている。
そんなリリアナ様がとても可愛らしくて、微笑みながら見ていると、そのうちリリアナ様はまたふっと気を失ってしまった。
……何故?
意識の無いリリアナ様を抱えたまま、何とかエリオット王子を探し出したオリヴィエ様が戻ってくるのを、私は通りで一人ぽつりとただ待ち続けた。
……早く屋敷に帰りたい。